#11 屍階
影が蠢く部屋を飛び出し、四人は来た道を全速力で駆け抜けた。木の根が作る通路は行きよりも更に複雑に入り組んでおり、まるで逃がさないように道を塞いでいるかのようだった。根が伸びる様は、生き物のようにすら見える。足元に絡みつこうとする根を避けながら、四人は走った。
「クロ、後ろや!」
玖壱の声に、クロは振り返った。影が追ってくる。人の形をしたそれらは、手を伸ばしながらこちらへと迫っていた。その速度は速く、距離が縮まっていく。
クロはナイフを構え、影に斬りかかった。刃が影を切り裂く。影は霧散するが次から次へと新たな影が迫ってくる。
「切りがねえ!」
クロは舌打ちした。『屍階』本体の核を攻撃しないとキリがない。
「こっちにも!」
凪の声が前方から聞こえる。前からも影が現れ、四人を挟み撃ちにしようとしていた。逃げ道がどんどん狭くなっていく。
「結界を張ります! 澪、いくよ!」
「う、うん!」
凪と澪が同時に印を結んだ。四人の周囲に淡い光の壁が展開され、影を弾き飛ばす。影が結界にぶつかり、ジュッという音を立てて弾かれる。だが、影は諦めずに何度も突進してくる。結界が小刻みに振動する。
「長くは持ちません!」
凪が叫んだ。その額には汗が浮かんでいる。
「わかった、一気に突破するで!」
玖壱が符を取り出し、前方の影に向かって投げた。
「玖之札・烈火乱舞!」
荒れ狂う炎が周囲を焼き払い、影を吹き飛ばす。轟音が響き、建物全体が揺れた。影が霧散し、道が開ける。
「走れ!」
四人は再び走り出した。影は執拗に追ってくるが、凪と澪の結界がそれを防いでいる。クロも前方を見据えながら、全速力で駆け抜けた。息が上がってきたが、止まるわけにはいかない。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
やがて、階段が見えてきた。上の階へと続く階段だ。来た時に使った階段だろう。
薄暗い照明が、かすかに段を照らしている。
「あそこや!」
四人は一斉に階段へと飛び込んだ。
階段に入ってすぐ、玖壱が指示を出す。
「凪、澪、影どもが上の階層に来られへんように結界を!」
「はい!」
「わ、わかりました!」
双子が階段の入口に立ち、印を結んだ。階段を塞ぐように、光の壁が展開される。透明な壁が空気を歪ませ、淡い光を放つ。影が壁にぶつかり、弾かれた。ジュッジュッという肉が焼けるような音が連続して響く。
「これで、少しは時間を稼げます」
凪が言ったが、その声は疲労を隠せていなかった。
「けど、長くは持ちません。早く上へ」
「ありがとな。さあ、行くで」
………
……
…
階段を上る足音が、狭い空間に反響する。
階段を上りながら、クロが口を開いた。
「……悪かったな」
「ん? 何がや?」
玖壱が振り返らずに聞いた。
「さっきの。あの時、罠だと切り捨てて引き返していれば、こんなことにはならなかった」
クロの声は淡々としていたが、どこか申し訳なさが滲んでいた。
「調査続行の判断をしたのはうちや」
玖壱は歩みを止めずに答える。
「うちがリーダーとして判断したんや。クロのせいやない」
「そうです」
凪も息を切らしながら言った。
「先程も言いましたが、『屍階』は対象の記憶を読み取ります。誰が対象でも、同じことが起きたでしょう」
「そ、そうですよ! 誰だって、知り合いの声を聞いたら心配になりますし…」
澪も慌てて言った。クロは小さく頷く。
「…そうか。ありがとな」
「礼を言うんは後や。まずは此処から出るで」
玖壱が階段を上るスピードを上げる。三人もそれに続いた。
♢♢♢♢♢
階段を上がり、上のフロアに戻ってきた。普通のオフィスビルのフロアだ。蛍光灯が明るく点灯し、デスクが整然と配置されている。
「さあ、窓まで戻るで」
玖壱が先導し、四人は来た道を戻り始めた。
だが、しばらく進んでも窓にたどり着かない。おかしい。まっすぐ進めば、侵入してきた窓に辿り着くはずだ。
(何かおかしい)
クロは違和感を覚えた。来た時と、何かが違う。デスクの配置が変わっている。さっきは廊下の突き当たりに会議室があったはずなのに、今は休憩室になっている。部屋の位置も入れ替わっているようだ。そもそも、廊下はこんなに長かっただろうか。
「おい、待て」
クロが立ち止まった。
「何や?」
玖壱が振り返る。
「来た時と様子が違う。このまま進んでも、窓には辿り着けねえ」
クロの言葉に、玖壱は周囲を見回した。確かに、来た時とは何かが違う。微妙な違いだが、確実に変わっている。
「道が変わっとるんか?」
「おそらくな。『屍階』が出口を隠してる」
クロは周囲を見渡した。廊下はいくつも分岐しており、どれが正解か分からない。
「チッ、行きはよいよい帰りは怖いってか」
クロは悪態をついた。このままでは埒が明かない。
(あいつを使うか)
クロは懐から一枚の符を取り出した。黒い紙に銀色の文字が書かれている。
「出てこい」
符が光を放ち、複雑な術式が浮かび上がった。
光の線が幾何学模様を描き、その中心から黒猫が現れる。二つの尾を持つネコ、【猫又】だ。
「クロ、式神使えるんやな」
玖壱が少し驚いた様子で言った。凪と澪も、興味深そうに猫又を見ている。
「頼む。出口を探してくれ」
クロの言葉に、猫又は尾を振り、身体を分裂し始めた。一匹が二匹に、二匹が四匹に。あっという間に十六匹にまでその数を増やす。
「分身能力か。探索には便利やな」
感心する玖壱をよそに、分身した猫又たちはそれぞれ違う方向へと走り出す。廊下を駆け、部屋に入り、あらゆる場所を探索していく。クロは一気に霊力を消費したため、目を閉じて猫又の維持に集中している。
しばらくすると、一匹の猫又が戻ってきた。クロの足元にしっぽを巻き付けて、ある方向を示す。
「こっちか」
クロは目を開け、猫又が示した方向へと歩き出した。三人もそれに続く。他の猫又たちは霧のように消えていき、最後に残った一匹が四人の先頭に立った。
猫又は先導するように走り、時折立ち止まって四人を待った。廊下を曲がり、部屋を通り抜け、また廊下に出る。複雑な経路だが、猫又は迷わず進んでいく。その動きには無駄がない。
やがて、鍵のかかった扉の前で止まった。
「ここか?」
クロが扉を押すが、開かない。鍵がかかっている。クロは扉を蹴破ろうとしたが、猫又が扉をすり抜け、内側へと消えた。しばらくすると、カチャリという音がして、扉が開いた。猫又が内側から鍵を開けたのだ。
「えらい賢い子やな。神格以外の式神で自我持ちなんは珍しい」
「そうなのか」
扉が開き、その先にはまたしても廊下が続いている。
「あと少しだけ頼む」
クロは猫又の頭を撫でた。猫又は満足そうに頷き、再び分身し始める。複数の猫又が先へと進み、道を示していく。
四人は廊下を進んだ。猫又が何度も道を示し、迷うことなく進むことができた。途中、いくつもの分岐路があったが、猫又は正確に道を選んでいった。凪と澪は猫又の動きに感心しながらついていく。
やがて、見覚えのある場所に辿り着いた。
侵入してきた窓だ。
猫又は役目を終えたのか、光の粒子となって消えていった。澪は軽く手を振り、猫又を見送った。
だが、すぐに表情を曇らせた。
窓は土砂で埋まっていた。
完全に。隙間一つなく。茶色い土砂が窓を覆い、外への道を遮っている。
「お前が地下の扉こじ開けたとき、衝撃で土砂が流れ込んできたんじゃねえか?」
クロが玖壱を睨んだ。玖壱は気まずそうに視線を逸らした。
「……すまんな」
「謝ってる場合かよ。どうすんだ、これ」
クロは土砂を見つめた。窓は完全に塞がっており、人が通れる隙間はない。手で掘るにしても、量が多すぎる。
「もう一度符で…」
玖壱が符を取り出し、土砂に向かって放る。炎が土砂を包むが、土砂は微動だにしなかった。燃えるものがないのだ。
「流石に、土に炎はあかんかぁ」
玖壱は頭を掻いた。クロも、澪も、凪も、土砂をどかす術を持ち合わせていない。物理的な力で掘るしかないが、それには時間がかかりすぎる。
「結界で土砂を押し出したり…」
玖壱が提案をするが、凪がすぐに首を振った。
「いえ、無理です。結界は防御や拘束には使えますが、物を動かすほどの力はありません」
「じゃあ、クロさんの式神は…」
別案を口にする澪だったが、クロは首を振った。
「あいつは探索と偵察が専門だ。力仕事は無理だな」
四人は土砂を前に立ち尽くした。背後からは、まだ影が追って来ているかもしれない。
時間がない。
玖壱は少し考えた後、決断した。
「背に腹は代えられへん」
玖壱は凪と澪を見た。
「凪、澪、二人とも最大出力で防御結界を張ってくれ。あれを使う」
「わかりました」
「は、はい!」
双子が四人の周りに結界を張った。光の壁が四人を包み込む。
玖壱は懐から一枚の符を取り出した。それは、他の符とは明らかに違う。金色の装飾が施され、神々しい雰囲気を纏っている。紙質も違い、まるで金箔が貼られているかのようだ。
「クロも式神使うてくれたし、うちも出し惜しみなしで行くか」
玖壱は符を掲げた。符から強い霊力が溢れ出す。
「拾之札・式神符【軻遇突智】」
符が眩い光を放つ。その光から、金色の槍が現れた。全長二メートルほどの槍で、刀身には炎が纏わりついている。ただの炎ではない。神々しい、神聖な炎だ。その熱が空気を歪ませる。
玖壱が槍を土砂に向けて一言、
「貫け」
槍が土砂に突き刺さる。
次の瞬間、爆発が起きた。
轟音が響き、建物全体が揺れた。土砂が吹き飛ばされ、壁が砕け散る。コンクリートの壁が粉々になり、外の光が差し込んでくる。眩しい光が目を刺す。
爆風が襲ってきたが、凪と澪の結界が四人を守った。結界の振動に、二人が踏ん張る。
「マジか…」
クロが呆然と呟いた。槍は既に消えており、そこには大きな穴が開いていた。
「お前、神格と契約してるのか…?」
クロの驚いた声に玖壱は苦笑した。
「契約というより、知り合いから一時的に借りとるっちゅーのが正しいな」
玖壱は額の汗を拭い、息を整えながら話す。
「実力不足すぎて、軻遇突智様の力の一部だけ、それも武器しか呼び出せへんけどな。本来、式神符は式神そのものを呼び出せるはずやのに」
「それでも十分すぎるだろ」
クロは穴を見た。新鮮な外の空気が流れ込んでくる。
「さあ、出ようか」
玖壱の言葉で、四人は穴から飛び出した。外は明るく、太陽の光が降り注いでいる。クロは深く息を吸い込んだ。空気が肺に満ちる。
「助かった…」
澪が地面に座り込んだ。足が震えている。凪もその隣に座り、安堵の息を吐いた。
「お疲れ様や」
玖壱も地面に座り込み、クロは建物を振り返った。
「影どもが追ってくる様子はないな」
「『屍階』は、閉鎖空間でしか力を発揮できへん。外に出れば、何もできへんよ」
玖壱の説明に「そういうもんか」、と納得したクロ。
「しかし、厄介やな」
玖壱が建物を見つめた。
「何がだ?」
「『屍階』が山の中に出現したっちゅうことや。今までは、ビルやデパートにしか出現しなかった。人が多く集まる場所に現れて、迷い込んだ人間を取り込む。それが『屍階』の習性やったんやけどな」
「それが、山の中に出現したってことか」
「それもフロアとかじゃなく、“建物として”や」
玖壱はさらに続ける。
「これは、常識を考え直す必要があるっちゅうことや。これまでの『屍階』と別の要因で出現したのか、もしくは別物のナニカって可能性だってある」
玖壱の言葉は重かった。視線の先のコンクリートの壁が、太陽の光を反射している。
「取り込まれた人間は、どうなるんだ?」
「廃人化して、亡くなる」
クロの問いかけに玖壱の言葉は淡々としていたが、その内容は重い。
「記憶を読まれ、精神を削られ、最後には何も残らへん。肉体は生きとるけど、魂は空っぽになる。そして、やがて肉体も死ぬ」
「……酷い死に方だな」
「ああ。発生条件は未だにわからず、出現タイミングも不規則で、一般人が取り込まれたらまず間違いなく死ぬ。せやから、零級指定されとるんや」
玖壱は立ち上がった。凪と澪も立ち上がり、建物を見つめた。
「……この建物、どうするんだ?」
クロが尋ねた。
「封鎖やな。公安が結界を張って、誰も入られへんようにする。そして、祓う方法を探す」
「祓えるのか?」
「分からん。でも、やるしかないやろ」
玖壱は歩き出した。クロも、凪も、澪も、それに続いた。
「それにしても、クロも式神使えるんやな。知らんかったわ」
「まあ、基本使わないからな」
「たしかに。呼び出すだけでえらい疲れるしな」
二人は軽く笑い合った。凪と澪も、ほっとした様子で笑顔が見える。
「あ、あの…クロさん」
おずおずと澪が声をかけた。
「また機会があれば、一緒に調査させてください」
「ああ、構わねえよ」
「次はもうちょっと楽な仕事がええな」
「おい、依頼してきた側のセリフじゃねーだろ」
玖壱の冗談にクロがツッコミを入れる。
四人の笑い声が山の空気に溶けていった。
♢♢♢♢♢
翌日。公安怪異対策課の事務室。
玖壱は報告書をまとめながら、昨日の調査を振り返っていた。『屍階』の山中出現。これは大きな問題だ。
(すぐに対策を練らんと)
上層部への報告は既に済ませた。だが、具体的な方針はまだ決まっていない。『屍階』を完全に祓う方法が、現状では確立されていないためだ。
「玖壱副隊長」
玖壱が頭を抱えていると、凪が書類を持って事務室に入って来た。
「『屍階』の封鎖作業ですが、今日の午後から開始する予定です」
「りょーかい。封鎖が完了したら、すぐに報告してや」
「はい」
凪が去った後、玖壱は再び報告書に目を落とした。
(昨日の調査、無事に全員帰還できたのは幸運やった)
もしクロがいなければ、どうなっていたか分からない。式神による探索がなければ、あの迷路のようなフロアから脱出できなかっただろう。
玖壱は窓の外を見た。青い空が広がっている、雲一つない快晴だ。
「クロか…」
玖壱は小さく呟いた。
「式神も使える探偵…ね」
そして再び報告書の作成へと戻った。ペンを走らせる音が、静かな事務室に響く。
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事件報告書
事件名 S10-333号 土砂崩れ現場における怪異調査案件
発生場所 K市郊外山間部(土砂崩れ発生地点)
怪異名 屍階
等級 零級指定怪異
参加者 国家公安怪異対策課 時雨隊
副隊長:玖壱
隊員:夜境 凪、夜境 澪
外部協力者
怪異探偵:クロ
特記事項 本事例は『屍階』の山中出現という前例のない事象である。
従来、『屍階』はビルやデパートなど人が多く集まる閉鎖空間にのみ
出現するとされていたが、今回は山間部の地中に埋没した建造物内
に発現した。
建物は比較的新しく、電気・ガス・水道などのインフラが
稼働していたが、建築記録は一切存在しない。
『屍階』は対象の記憶を読み取り、知人の幻影を作り出して獲物を
誘引する。
建物内部の構造を自在に変化させ、出口を隠蔽する能力を持つ。
影を操り侵入者を攻撃するが、閉鎖空間外では活動不能となる。
取り込まれた人間は廃人化し、やがて死亡する。
現状、完全な祓除方法は確立されていない。
追記 当該建造物は公安により封鎖措置が取られ、
結界による侵入防止処置が施された。
『屍階』の出現条件変化の可能性を鑑み、全国の山間部における
同様事例の調査が必要と判断される。
Wright/__です。
本作品を読んでいただき、ありがとうございます。
人間の歯もサメみたいに生え変わってくれ
あと親知らず生えるなら虫歯の歯の代わりになってくれよ




