第2話 謎の黒い首輪
ミナが目を覚ますと、目の前に真っ白な天井が目に入った。消毒液の匂いが、ひどく鼻につく。おそらくここは救急病院なのだろう。
「……眠っていたのね……」
ミナは一人そうつぶやいた。
彼女が体を起こそうとした瞬間、首に巻き付いた“黒い輪”が、じりっと微かな痛みを放った。
「うっ!」
この痛みは彼女に……これは夢じゃなかったんだ!と思い出させた。ミナの顔から血の気が引いた。彼女はすぐに病室の入口近くにある洗面台へと歩いていった。
鏡に写ったミナの顔は酷いものだった。
顔のあちこちが細かい傷のためガーゼが貼られていた。彼女の明るい茶髪は、前髪こそ無事だったものの、自慢のロングヘアは見るも無残にチリチリとなっていた。
ミナの大きな瞳や卵型の美しい顔立ちも、白いガーゼとテープで覆われてしまった。そして眉毛やまつ毛も消えてしまって、アイブロウペンシルやマスカラで書く必要があった。
そして何より、首には黒い輪がしっかりと残っている。
「最悪……」
ミナはガックリと項垂れた。そしてそのまま、洗面台へ顔を突っ伏して泣いた。
「ああ、母さん……父さん……私はどうすればいいの!」
彼女の泣き声を聞いて、看護師の須藤と医師の前川が部屋へ駆け込んできた。前川は彼女の涙を乱暴にふき取ると、ベッドへ横たわらせ、慣れた手つきで体の状態を確認していった。
やがて、数種類の検査機器の数値をみて、前川医師は独り言のようにつぶやいた。
「どうやら特に異常はなさそうだな」
前川がそう言った時、ミナが驚いた顔をして叫んだ。
「異常がないですって? この首を見てください……襲われた老人に変な縄のような魔物を巻き付けられたんです!」
「魔物だって?いや、これは刺青じゃないのか」
刺青だって? ミナは信じられないと言った顔で前川を見た。
「私は14歳なんですよ……刺青なんてするもんですか!」
「だけど、魔物なんて言われてもね……」
「だって本当なんですから……ちゃんと調べて!」
そう言われて、前川はため息を吐き捨てて、渋々診察を始めた。だが、彼が出した結論は先ほどと同じだった。
「大人をからかうもんじゃない。やはりこれは刺青だ」
前川は首を振りながらって立ち上がった。
「これから刑事さんが来るから、昨日の出来事を正直に話しなさい。くれぐれも、今みたいな変な話をするんじゃないよ」
前川はミナをジロリと睨むと、背中を向けて部屋から立ち去った。ミナは絶望的に話の通じないこの医師に心底ガッカリした。
◆
しばらくすると、病室に2人の刑事が入ってきた。一人は優し気な老人。もう一人はカミソリのようにギラギラとした若い男だった。
刑事がやって来たとわかると、ミナの気分は重くなった。それを察した老人は、彼女に向かってにこやかに微笑みかけた。
「やあ、お嬢さん……ミナちゃんと言ったかな?こんにちは」
しかし、ミナは横を向いて返事をしなかった。
すると老刑事は肩をすくめてニヤリとした。
「どうやら歓迎されていないようだね」
彼はそう言いながら、ベッドの横にあった丸椅子を引いて座った。
「目覚めたばかりで悪いんだが……時間が経てば経つほど、犯人は遠くへ逃げてしまう。少しばかりお話を聞かせて欲しいんだ」
ミナは刑事の言葉に身を固くした。
「私の名前は佐々木ってんだ。……こっちの若いのは樋口だ。今回の事件を担当している」
「それで……私に何を聞きたいんですか?」
すると佐々木は微笑みながら頷いた。
「あの日の晩はひどい雨だった。そんな悪天候の折に落雷はつきものだが、あの晩、君の家だけに集中して25回も落雷が発生しているんだ。こんな事例は聞いたことがない」
この刑事は、あの落雷について不思議に思っているようだった。だけど、謎の老人の話をして、彼らが信じるか……ミナは疑問に思っていた。
「雷が何度も落ちて……気が付くと、泥の中で横たわっていたのよ。体に電流のようなものが流れて……ショックで呼吸もできないほどだったから」
すると佐々木はウンウンと頷いていた。
「それで……何か変なものを見なかったかい?」
「変なもの?……」
すると若い刑事の樋口が横からシャシャリ出てきた。
「何か不審な人影を見なかったかと聞いているのだ。お前の両親の体にはな、刃物による刺し傷があったのだ。落雷で弱った二人のそばに寄って……何者かがナイフを突き立てた。何か心当たりがあるだろう?」
両親が刺されていたと聞いたミナは、顔色をサッと変えた。
すると刑事の佐々木が樋口の胸を手の平で押した。
「ちょっとお前は黙ってろ!」
佐々木に怒られた樋口は、憮然としてミナを睨みつける。すると佐々木が優しく微笑みながらミナの顔を見た。
「ごめんなミナちゃん。若い刑事は血の気が多いんだ。でなきゃ、刑事なんて仕事やっていけないからね……」
だがミナの顔を真っ青になって、ブルブルと震えていた。
「父さんと母さんの死体に刺し傷ですって? 嘘でしょ!?」
ミナは目はギョロリと見開いて樋口の顔を睨みつけた。そして刺すように鋭く声を上げた。
「一体誰がナイフなんか!」
その瞬間、彼女の表情がみるみるうちに崩れて、ピッタリと閉じた瞼から涙が溢れ出た。そしてそれは発作のように湧き上がって、開いた口から噴射するように泣き叫んだ。
ミナは黒いマントの集団を思い出していた。あいつらが、まだ生きていた両親にとどめを刺したのだろうか。
ミナの胸に、怒りと悲しみが込み上げて来る。
「うわああん……!」
それを見た佐々木は困った顔をした。
あまりにも大きな声で泣いたので、となりの部屋から看護師の須藤が部屋に駆け込んで来た。
「ミナちゃん!どうしたの?」
ミナは目も開けずに須藤に抱き着く。そして彼女の胸の中で泣きながら、大声で叫んだ。
「刺したの?!ああ!」
ミナが須藤の胸の中で暴れる。
「落ち着いて……落ち着いてミナちゃん!」
須藤はミナ抱きしめながら、優しく背中をさすった。そして刑事2人をキッと睨んだ。
「もう帰ってください!この子はついさっき意識を取り戻したばかりなのですよ!」
すると佐々木は須藤に頭を下げながら立ち上がった。
「大変ご迷惑をおかけしました。今日のところはこれで失礼致します。今後は私一人で伺いますんで……」
「本当に……両親を失った子供に対してどんな取り調べをしているの?頭おかしいんじゃない?」
それを聞いた樋口は顔を赤くしながら目を剥いていたが、横で老刑事が樋口の革靴を思いっきり踏みつけたので、樋口は顔をしかめて唸った。
「それじゃ看護師さん……私らはこれで帰りますから……」
佐々木がそう言って立ち去ろうとした時、ミナの首筋に黒い輪があるのが目に入った。
「看護師さん……彼女の首にある黒い輪は一体なんだね?」
「え……ああ、先生は刺青に違いないって言ってましたが」
すると佐々木は顔をしかめた。
「……あんた、この子が刺青をするような子供に見えるのか?」
「い、いえ、そうは見えないけど……」
須藤は少しためらっていたが、佐々木を見て口を開いた。
「刑事さん……少し外で待っててください。この子が落ち着いたらすぐに行きますから」
◆
佐々木は若い刑事を先に帰すと、1人で長椅子に座って須藤を待った。しばらくすると、病室から須藤が出て来て佐々木の前で頭を下げた。
「お待たせしてすみません」
すると佐々木は立ちあがって頭を下げる。
「いやいや、元はといえばこちらのしたことですから。彼女は?」
佐々木はそう言うと、須藤の顔をジッと見つめた。
「ミナちゃんは眠りました。ご両親を亡くされて……相当ショックなんだとおもいます」
佐々木は頷いた。
「色々失礼をしてすみません。それで……彼女は何と?」
すると須藤は佐々木の顔色を見ながら話しだした。
「それがですね……ミナちゃんが落雷にあった時、黒いコートを着た集団を見たって言ってたんですよ」
「黒い集団だって?」
須藤は頷いた。
「5~6人くらいいたのかな? その中のリーダーみたいな人……その人は老人だって言ってたわ。そいつにあの黒い輪を巻き付けられたんだって」
「巻き付けられたって言ったのか」
須藤は頷いた。
「その時は、黒い輪がまるで蛇みたいに飛び掛かって来たって言ってたかしら? でも前川先生は全く信じなくて……そりゃ、オカルトみたいな話……刑事さんも信じないでしょ?」
佐々木刑事は微笑んだ。
「そういう須藤さんは信じるのかい?」
すると須藤は少しニヤリとした。
「刑事さん、病院ってけっこう出るんですよ?」
「出るって何が?」
「お化けですよ」
「死んだ患者が化けて出るのか?」
「患者だけでありませんよ、医者だって死んだ後に出勤してくるんですから」
すると佐々木は頭の後ろをポリポリと掻いた。
「そんな馬鹿な」
すると須藤はハハハと笑った。
「ほら、信じないでしょ? 前川医師もミナちゃんの話に耳を貸そうとしなかったわ。だから口を噤んじゃったのよ」
「なるほどね……」
「刑事さんはこんなことを言うと信じないかもしれないけど……あの黒い首輪……時々ビクビクッって動くのよ」
「動く?」
「なんかああいう生物がいるでしょ?……木なんかに貼り付いて擬態するみたいなさ……私気持ち悪くて」
佐々木は少し難しい顔をした後、すぐに柔らかい顔に戻った。そして須藤に向かって微笑んだ。
「看護師さん、あんた、医師の先生に、この黒い輪について良く調べるように言っておいてくれんか。もしかしたら何かの染料とか……犯人に何かされたのかもしれん」
佐々木がそういうと、須藤は小さく頷いた。
佐々木はその後すぐに病院を出た。外はすっかり日が暮れていて、街灯が周囲を照らしていた。目の前の大通りを、車のライトがビュンビュンと走り抜けていた。
佐々木は車に乗り込むとすぐにエンジンを始動させた。そしてパワーウインドーをスーッと開けて右ひじで窓へもたれかける。それからタバコの箱を取り出すと、それを揺すってに火を着けた。
そして、胸いっぱいに煙を吸い込むと、車の天井に向かって吐き出した。
佐々木は眉間に皺を寄せながら、黒いコートを着た老人について考えを巡らせた。
「あの黒い輪が生きている? 一体何なのだ?」
考えても考えても……説明のつかない出来事が多すぎた。多くの事柄が、オカルト的な理由がなければ説明のつかないものだった。
「断言してもいい……あの娘は犯人の顔を見ている……」
佐々木は車を発進させようと車のギアを入れる。そしてアクセルを踏み込んだが、車は動かない。ブウン、ブウンとエンジンの噴ける音だけが何度も繰り返された。
「ん?どうした?」
佐々木が車から降りて確認しようと思ったその時、車のフロントが大きく持ち上がった。
「ああーーっ! 何だ! 何が起こった!」
ミシミシと音をたてながら車が車はそのままグングンと持ち上がる。そしてそのまま車の先が天を向いた!
「あーーっ!誰がこんなことを!」
佐々木は車の扉を開けようとしたが、車体が変形して開かない。するとフロントガラスの向こうから、ウネウネと、謎の触手が蠢いているのが見えた。
「ああーっ!」
夜の駐車場で、佐々木の悲鳴が響いた。




