愚図の命を天秤に
「エルザ、お姉様……!」
退室しようとする僕の前に立ちはだかった僕の婚約者を見て、控えめながらも歓喜の声を漏らすシェナ。
お姉様と呼ぶからには、僕の窺い知れないところでそれなりに良い関係を二人は結んでいたようだ。妬けちゃうね。一応僕とは婚約者のはずなんだけど。
「これはこれはエルザ様。あなたが犯人というのは一体、どういうことでしょうか?」
「簡単な話よ。あの花壇は、私がうっかり荒らしてしまったの。大事になるまで言い出せなくて、申し訳なく思っているわ。あなたに嫌われるのが怖くなってしまった
の」
「そういう、ことでしたか」
当然、そんな話を信じる者はいないだろう。僕と彼女の仲が冷めきっているのは周知の事実だし、そうでなくてもご令嬢の「うっかり」を、そのままの意味で受け取るのとの危険性ぐらいはわかってる。
それにしても、これは困った。
「シェナは使用人ではなく、私を庇ったのよ。だから、許して差し上げて?ジニー様」
言うまでもなく、比べて家格が高いのはエルザ様である。僕はこの領で実質的に一番偉い。だから旧王国の血を引くシェナよりも格が高いし、父の威光もあり逆らえる者などいない。
だけどエルザ様は、この領どころか王国の重鎮である。現宰相閣下の娘であり、その築き上げた叡智と信頼は、女性でありながら宰相閣下の後釜として相応しいと評価されてきた。もちろん王太子とのあれこれでその立場は揺らいでいるが、それでも僕のようなぽっと出の新参者が偉い顔をできる相手ではないのである。
婚約が結ばれたのはあくまでも王太子様の意向であり、僕達の間に愛はない。それゆえに、彼女が僕をどう扱うかは未知数なのだ。敵に回すべきではない。王太子様の前で待ったをかけておいて、今更な話ではあるのだが。
「不幸な、行き違いであったと?」
「ええ、とても不幸なことにね」
彼女の言葉を疑うなど、隣に侍る侍女のマリィさんに何をされるかわかったもんじゃない。彼女が僕に向ける視線は敵意そのもの。恨みを買えばあれやこの手で事故を起こすことだろう。
不幸にね、あくまで。
色々と言いたいことはある。この状況、僕の味方は一人もいなくて、まるで僕が悪者にされているようだ。エルザ様がシェナの味方をする理由も分からないし、意図があっても僕には読み取る能力がない。悲しいね。
僕は被害者なんだぞ。どうして僕が責められているんだ。
そうした叫びを全て飲み込んで、僕はみんなにこう告げた。
「そうでしたか。うっかりであれば、仕方がないですね。悪気がないのは伝わりました。ですのでこの件は不問といたしましょう」
つまりは今回の件、全て無かったことにしようという、僕からこの場にいる全員への遠回しな提案である。
エルザ様が望んでいるのはきっとこの状況。彼女からしたら、シェナの周りの人間が減るのは避けたいのだろう。理由はわからない。単なるシェナへの優しさか、打算的な何かがあるのか。
考えてもわからない以上、答えが降ってくるのを待つしかない。天気を読むのは簡単じゃない。雨乞いをしたところで、エルザ様はこちらに見向きもしないだろうし。
「感謝いたします、ジニー様。流石は私の婚約者様です」
思ってもないことを、さも本意かのように騙るエルザ様。隣の侍女さんは、婚約者という言葉に顔を顰めるのを隠そうともしてませんが。
「ええ、花はまた育てればいいですから」
僕個人としてはかなり納得のいかない結末ではあるが、まぁもとより花壇が荒らされただけではある。こうなった以上、僕も無闇に矛を振り回すつもりはない。
僕の言葉に、明確な安堵を見せたのはシェナとマリィさんだ。シェナは使用人の命が助かったから。マリィさんはご主人様の思い通りに事態が運んだからかな?どうでもいいか。
このイライラをどこかで発散すること。僕の頭はそれで一杯だった。だから気づかなかったんだ。
想定を超える馬鹿がいて、そいつがすでに牙を剥いていたことに。
「謝罪が、必要なのでは?」
それは使用人の一人の言葉だった。世界の終わりを錯覚させるほどの、痛々しい沈黙が空間を支配した。
僕も事態を理解するのに時間がかかった。たっぷり10秒を要して処理した情報をまとめるとこうだ。
御令嬢の「うっかり」を言葉通りに受け止めて、僕とエルザ様の会話の意味を全く理解せず、あろうことか慈悲を賜った立場で、無礼にも謝罪を要求した使用人がいた。
「お前、死にたいのか?」
僕の口から漏れたのは、純粋な疑問だった。
どうしたらそんな思考に陥る?僕の気持ちがわからないのか?こいつが犯人で、もとより命を捨てる覚悟がある?シェナのことはどうでもいいのか?人生すでに諦めた?そこまでプライドが大事か?僕が尊厳を捨てて、理性を抑えて合理的な判断をしたのに?僕が、こいつのために、我慢したのに?エルザ様の顔を立てて、僕が自制したというのに?こいつは、自分の思うままに、発言したのか?僕に本気で謝罪を求めているのか?そもそも謝罪って何にだ?もしかして、使用人を疑ったことを?犯人がこの中にいることが分かりきっていて、主人たるシェナもそれを理解していて、その上で僕が、お前たちを、殺さないで、おいてあげると、言っているのに?
僕が、こいつらに、謝るのか?
「僕が、独りだ」
今、僕はこいつらの輪から外されて、孤独な立場にいる。
一人じゃない。独りだ。
一人には誰でもなれるけど、独りには一人じゃなれない。人は人から追い出されて、初めて独りになるんだ。
僕は今、独りだ。だから、僕は僕という「少数派の味方」をしたっていいはずだ。
こうなったらもう、僕の好きにしたっていいだろ。僕は悪くない。頭の悪いこいつらが悪い。
僕は決断した。
だけどそれは、彼女の献身に比べれば遅かった。
「ジニー様!どうか、どうかお許しください。どうか、ご慈悲を……!どうか、どうか……!」
僕の足元に平伏し、慈悲を縋ったのはシェナではなくマリィさんだった。その瞳の奥には依然僕への警戒心が浮かんでいたが、その懇願がただのポーズでないことは明確だった。
「この者には、私から沙汰を下します。ですので、どうか、どうか命だけは……」
心の底からの懇願。決意に満ちた瞳とは裏腹に、全身を震わせる姿は、僕への恐怖がありありと浮かんでいた。
その姿を、複雑な表情で見つめるエルザ様。彼女は先ほどとは打って変わって、何も言わずに状況を見守っているが、その真剣度は比にならぬほど高まっており、特にマリィさんに危害が及べば黙ってはいないだろうということが伝わってくる。
「っ!?な、なぜマリィさんが謝るんだ!?悪いのはこの男だろうが!」
「黙りなさいっ!あなた、いい加減に……」
とっくに手遅れではあるが、侍女長が暴言を止めない使用人を制止した。いまだに事態の深刻さを理解できない愚かな男を見て、心の芯から熱が奪われていく感覚を覚える。
「もう、いい」
これ以上この愚図に時間を奪われるのも惜しい。
それにエルザ様が、僕に向けている視線から早く逃れたかった。信頼している侍女を地に伏せさせていることへの怒りか、事態が思い通りに進まなかったことへの憤りか、複雑な思いは最終的に僕へと向けられていた。
「そいつを城から追い出せ。いや、城だけじゃ足りないか。コンテスト領だ。コンテスト領から追放しろ。今日中にだ。いいか?二度と僕の前に顔を出させるな。次はない。次は絶対に殺すからな」
「っーーは、はいっ!ありがとうございます!」
僕の告げた最大限の慈悲に、再び頭を下げるマリィさん。なんだろうね。こんな愚図にここまでしてやる事情ってさ。
正直愚策もいいところだ。彼の示した叛意はきっと、ここで摘まなければどこかで芽吹き、いつか花を咲かせることだろう。だから本当は、ここで殺してやりたい。
僕は天秤にかけただけ。この愚図の命と、エルザ様とマリィさんのご機嫌。愚図の命に価値はないが、彼女たちのご機嫌伺いは僕にとってとても大事だ。
本当に腹が立つよ。父はどうしてこんな立場を僕に強制したんだか。
「シェナ様も、エルザ様も、異論はありませんね?」
「ええ、ないわ」
「は、はい。ありません」
ありませんじゃねぇよ。申し訳ございませんでしただろ。エルザ様はともかく、シェナの態度も非常に腹が立つ。使用人含め勘違いをしているんだ。王国にとっては知らないが、僕にとって敗戦国の姫など何の価値もない置き物だというのに。
エルザ様が入室してきた時の態度なんて最悪だ。助け舟に喜ぶ姿を僕に見せるなど愚の骨頂だ。人の気持ちとか考えないのだろうか。
主人の格を見極めることすらできない低俗な集まり。こんな城の主なんて、すぐにでも辞めてやりたいところである。
父が怖くて、それもできないんだけどね。
あーあ。どんな花が咲くのか、楽しみだったのにな。




