第一章:緑のない街
第一章:緑のない街
クレヨン属の黄色種、パストルは、今日も階段の下を転がっていた。
足が1本すり減って、文字が少しかすれる。
だけど気にしない。黄色は“笑っているように見える”のが仕事だから。
階段はメモを書き換える事でできていた。
ペットボトル属の“皮”で補強された、ぐにゃぐにゃの紙。
足音が響かない代わりに、「ぽて」という柔らかい音がする。
ぽて、ぽて。
誰かが上った。誰かが下った。
でも記録には残らない。
ここは“影”たちの通路”だった。
その影の中に、タカネという個体がいた。
他の影よりも静かで、壁に描かれた落書きの前に立ち止まる習性があった。
「ぽてって、どういう意味だと思う?」
クレヨン属のパストルが訊くと、タカネは少し考えてこう言った。
「音じゃなくて……記憶、かも。
たとえば、誰かが“そこを通ったこと”が残る音」
ぽて。
パストルはその音を聞いて、なぜだか泣きそうになった。泣いたことなんかないのに。黄色なのに。
それでも、なぜか、ぽての意味が胸にしみた。
タカネの背後に、黒くなりかけたぬいぐるみがひとつ。
綻びからは黒い糸が少し出ていた。
それは“ヌイ因子”が縫われている証だった。
だが、この時点では、誰もまだそれを知らなかった。
色のない世界で、彼らはただ、ぽてぽてと歩いていた。
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クレヨン属のパストルは、ぬいぐるみを見つめていた。
黒くなりかけたその身体。
綻びの奥からは、糸がぽろりと垂れていた。
「読まれてないんだね、最近」
「読まれる?」
タカネが聞き返す。
「ぬいぐるみって、メモを読ませないと、黒くなっていくんだよ。
だれかの物語を“感じなくなる”と、身体から色が抜けるの」
タカネは沈黙した。
でも、ぬいぐるみの小さなぽて音に、何かを感じていた。
この階段には、緑の記憶がない。
階段の側面に貼られたメモたち。
それらは過去に何度も塗り替えられ、色を薄め、そして最後には“灰色の貼り紙”だけが残った。
「ねえ、見て」
パストルが足で転がしたメモの端。そこに、かすかに緑色っぽい線がにじんでいた。
「これって……?」
「違うかも。でも、これ“ぽて記録式”じゃない」
タカネはそれを拾い、じっと見た。そして、そっとぬいぐるみに近づける。
すると──綻びの奥の糸が、一瞬、明るく光った。
「もしかして……、ぬいぐるみの中に、“記録されなかった緑”があるのかもしれない」
タカネが、低く呟いた。
その言葉に、パストルが黙り込む。
ぽて。
黙っていたぬいぐるみが、一度だけ音を鳴らした。
「……それ、ぽてって言った?」
パストルが息をのむ。
「ううん、“ぽて”じゃない。もっと違う音。痛みの音だ」
タカネの目に、都市の遠景が映る。
灰色の雲。無言の建物。
ペットボトルが、這い回る音。
洗濯ばさみ属が、一匹だけ高速で駆けていく。
「あの子は、きっと“ぽて”じゃなくて……“ぬい”を鳴らしたんだよ」
パストルは、そっと足を止めた。
「ねえタカネ、あたしたち、探してみようか。
この街のどこかに、“残ってる緑”──」
「……残ってるかどうかじゃない。
“記録されなかった緑”を、探すんだ」
タカネの目に光が戻っていた。
それは“色”ではなく、【再認色される記憶】の光だった。
こうして、ぽてぽての旅が始まった。
世界のどこにも残っていない色を探す、最初の一歩だった。




