魔法科、入学試験だよ!
こんなに勉強したのは、生まれて初めてだ。
キーアの時は勿論、紀太のときも、頭がほんとに魔法の火を噴きそうなほと、目から精霊語ビームが出そうなほど、勉強したことなんて、ない。
こんなにドーナツを食べたことも、ない。
こんなにおいしいドーナツを、はむはむしながら、粉砂糖にまみれた手でペンを握りしめて勉強したことも、ない。
目を明けていられなくなる限界まで机に齧りついて勉強し、起きたらすぐ白いタオルではちまきをし、目を覚ましたら勉強だ。
「キーアおぼっちゃま、だいじょうぶですか!」
涙目なヨニが、眠気覚ましのお茶を淹れてくれながら心配してくれる。
「火の魔法は魔素のみならず大気の影響も受けやすく、詠唱の際には天候や大気の状態を確認する必要があり──」
『だいじょぶ』が言えないよ。
なんか口から、今さっき読んだ、過去問の論述問題の模範解答が出てくるよ。
「キーアおぼっちゃま、ご飯も食べましょう!」
勉強しながら食べられるドーナツしか食べてないキーアを、トマが心配してくれる。
「水の魔法を使える人が少ないのは、水の精霊が気まぐれ、もしくは人間のこのみが厳しいのではないかと言われているが、一方で大気中の魔素や天候、水蒸気などの影響を受けにくく、安定して魔法を出力できるという利点があるため──」
『おいしすぎるドーナツを両手に持って食べ過ぎて、ちょっと『うぷっ』てなってきたので、この間作って涙が出るほど美味しかった、白菜もどきのピクルスを食べたいです!』
言ってるつもりなのに、おかしいなー?
「キーアおぼっちゃまがー!」
ヨニとトマが抱きあって泣いてる!
『心配かけてごめんよ!』
『だいじょぶ、だいじょぶ!』
言いたいのに、口からこぼれるのは
「魔法とは空想と幻想による産物ではなく、確固たる理論に基づいた科学的な現象であり──」
仕方ないので、親指を立ててみた。
顔を見あわせたヨニとトマが、胸を叩いてくれる。
「わかりました、キーアおぼっちゃま、お野菜をご用意しますね!」
「頭がすっきりして、疲労回復し、元気が出るよう、酢漬けがよいのでは?」
トマとヨニが、優秀すぎる!
「はー♡ ドーナツうまー♡」
「はー♡ 白菜もどきのピクルス、しゃくしゃくー♡」
無限ループが始まったよ!
おいしすぎて、また喋れるようになりました。
ぽんぽんたたくと直る機械みたいだよ。
突然勉強を詰めこみ過ぎて、身体も色々誤作動だよ。大変だよ。
「キーアおぼっちゃまが勉強してるところ、はじめて見ました!」
いつもやさしいトマが、にこにこしてくれる。
「うう、キーアおぼっちゃまが、こんなにお勉強なさるなんて……!」
おじいちゃん執事のヨニが、泣いてる。
今まで勉強、ぜんっっぜん! しなくてごめんよ──!
両手にドーナツを持って食べかすをくっつけた、前のキーアが、ちっちゃくなろうとしてる。
なれてないけど。
まるい背中に哀愁が漂ってるよ。
一緒に反省したよね。
これからは一緒に、勉強もがんばろー!
耳から文字が出そうなほど勉強しました。
詰めこみ過ぎた参考書の文字で、キーアの身体は、ぱんぱんだ!
「はわわわわわ」
今、揺さぶらないで! なんか出るから!
「だいじょうぶですか、キーアおぼっちゃま!」
「ゆっくり行きましょうね!」
心配してくれたヨニがついてきてくれて、トマが馬車を用意してくれる。
そーっとそーっと馬車に乗りこみ、そーっとそーっと降りたキーアは、そーっと手を挙げる。
「が、がんばってくるよ!」
「応援してます、キーアおぼっちゃま!」
「キーアおぼっちゃま、ご武運を!」
トマと一緒に、ヨニも拳を掲げて見送ってくれた。
やさしい。
うれしい。
ふわふわ頬も、胸も熱くなって、めちゃくちゃがんばれる気がする。
悪役令息の伴侶(予定)なのに、こんなにやさしい人たちと家族になれるなんて、しあわせすぎる。
ほんとはぶんぶん手を振りたいところを、そーっと手を振ったキーアは、そーっと試験会場に入る。
騎士科の試験の日もたくさんの受験生がいたけど、魔法科はすごい。
ラッシュみたいだよ。
騎士科は記念受験しようとしたら泣いちゃう感じだけど、魔法科は気軽に記念受験できるからか
「わー、すごーい! これが大公立学園かー」
「画像撮ってー!」
遊園地に来たみたいに、はしゃいで、魔道具を掲げている人たちがいる。
こんな人混みのなかで、ぴんくの髪の主人公とか、伴侶(予定)な悪役令息とか探すとか無理だから、やめておこう。今、きょろきょろしたら、何か出るから!
とりあえず試験が終わるまでは、全力で集中だ。
『試験が終わってから、主人公とか悪役令息とか攻略対象とかに、もし逢えたらラッキーだな』スタンスでゆきましょう。
騎士科に落ちてて、魔法科まで落ちたら大変だから!
もう二度と攻略対象たちに逢えなくなっちゃうから──!
そんなの絶対イヤだぁああああ──!
涙目で受験票を確認し、人混みをそーっと掻き分け、受験会場の席についたキーアは、すぐに過去問と参考書を開いた。
ギリギリまで詰め込んだほうが安心するタイプだよ。
最後の瞬間まで詰めこみたい!
1週間しか頑張ってないから!
本気の涙目で参考書にかじりついていたら、隣の人から、いい匂いがした。
「勉強してるの? えらいね」
……3歳のお子さまに対する言葉みたいだよ。
いくら成長途中とはいえ、3歳って思われてないよね!?
あんまり頭を動かしたくないんだけどなー。
動くたびに、覚えた精霊語が、耳からこぼれ落ちる気がする。
ぽこぽこん
落ちる音まで聞こえる気がするよ……!
余裕なあなたと違って、こっちは必死なんだよう!
でも、めちゃくちゃ、いー匂いする!
覚えた言葉が落ちてゆかないように、そうっと耳を押さえたキーアは、そうっと顔をあげる。
やわらかそうな蜂蜜の髪が、ふわふわ揺れる。
みずみずしい春の若葉のような瞳が、顔をあげたキーアに見開かれた。
「……っ」
息をのむ音が、かすかに聞こえる。
3歳児だと思ったら、ちょっとおっきかったからびっくりした?
じゃなかった!
すんごいいー匂いがすると思ったら、顔面力が半端ない!
なんだこのキラキラ!
圧倒的な顔力が押し寄せるようで、息を詰めたキーアは跳びあがる。
「ルゥイ・トゥナ・ロデア殿下!」
攻略対象、人気投票不動の第一位!
王子さまポジな、大公殿下の第一子!
ふわふわの蜂蜜の髪と若葉の瞳がとろけるようにやさしい、腰砕けな甘いボイスのルゥイさまだ──!
「きゃ──!」
拍手してから、覚えたことが口と手からぼろぼろこぼれた気がして、あわあわ止める。
「あばばばば!」
あわててこぼれ落ちた項目を拾うように参考書をめくった。
「……え……」
隣でルゥイが、茫然としてる。
ごめんなさい、失礼だった!
「は、はじめまして、ルゥイ殿下、キピア家次期当主、キーア・キピアと申します」
そーっと貴族の敬礼をしたキーアは、そーっとまた席についた。
「あの、覚えたことがこぼれ落ちそうなので、今は失礼をごめんなさい!」
そーっと丁寧にお辞儀したキーアは、すぐに参考書をめくる。
この魔法理論が難しいんだよなー。
論述しろって言われると弱い!
選択式なら鉛筆を転がせるのになー。あれ、最高だよね。試験の時に『えいや!』
……待って、鉛筆じゃなかった!
つけペンだよ、転がせないよ!? どうしたらいい!?
あわあわしたら涙目が加速する!
『キーアおぼっちゃま、がんばって!』
『だいじょうぶですよ、キーアおぼっちゃま!』
トマとヨニが応援してくれる声が聞こえた気がして、あわててキーアは目を拭った。
そうだ、だいじょうぶ。
落ちつこう。
鉛筆がなくても、てきとーに選択するならできるから!
よし、だいじょぶだ、俺はやれる、やれる、やれる──!
「……僕に興味をなくす人、初めて見た」
ちいさな呟きが聞こえる。
「めちゃくちゃ興味ありますが、今は真剣にごめんなさいー!」
あばばばしながら声だけで返答したら、隣で肩が揺れている。




