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凱旋当夜  作者: ハチ
2/2

後日談 ―待て、こんな深さは聞いてない。―

凱旋当夜の後日談です。


 ―――…どうも、視線を感じる。


「ねえ、クロエ」


 朝の市場に来ていたノラは、辺りをこそっと見渡しながら隣のクロエに声をかける。彼は彩り豊かに並んだ果物を前に、店主にどこ産の物がいいか楽し気に談笑していた。


「なんだ」


 食卓に出してくれるつもりなのか、クロエはクチュアーレを数個店主に買い求めた。クチュアーレは肉の煮込みに一緒に入れると酸味とともに深みのある味になる。クロエがよく作ってくれる料理の一つだ。

 料理が苦手なノラの目玉焼きをクロエはガリガリ食べてくれるが、実は彼は料理好き。申し訳ないと料理の勉強しようとするノラを何故か止め、彼が料理を上達させる。料理好きなのに、恋人の不味い料理を食べ続けるのは…相当な変態だと言わざるを得ない。手に負えない。もはや何目的(なにモク)なのかノラには分からない。


「あ、ダメだよ」


 店主から渡された紙袋を、クロエが義手で持った。それを見たノラは、慌てて手を伸ばす。


「ダメだよ、私が持つ」


 けれども、それはひょいと高い頭上に持ち上げられる。


「それこそダメだ。義手は不具合もないんだから、俺が持つ。それに『これ』は、生身より丈夫だって知ってるだろ」


 少し苦みの走る表情で、クロエは自分の視線を腕に落とした。そこにはシャツから(のぞ)く左腕の銀の義手。腕と大きさは変わらないが、鈍く光るその腕は周囲の人目を引くものだった。


 その義手は、三年越しに魔王を無事に倒した褒美として国王から(たまわ)った物の一つで、ともに討伐に向かった魔術師が彼のために作ってくれたらしい。三年間言葉通りに苦楽をともにした仲間からの贈り物に、彼は『生活に支障ない』というレベルで受け入れている。仲間といえど、国中で一番優秀な魔術師から最高傑作というほどの義手を貰ったのにその評価…いやほんと、三年間何があったんだ。


「それに絶対転ぶだろ、ノラ」

「ちょっと、勝手に呪い掛けるの止めてくれる? 転ばないよ」


 クロエはノラの言葉には何も返さず、人々の合間から見える噴水に視線を向ける。あれは以前、ノラがちょっとした不注意で足元にあった石に(つまず)き、そのままダイブしそうになった噴水。そのときはクロエが腕を掴んで止めてくれた。

 その次にクロエは、『ガラグリ像』を見やる。毬栗(いがぐり)を大量に抱えた小さなおじさん像だ。昔、国が食糧難で困ったときに山奥からやって来たガラグリ=ダーウェンという賢者が、大量の毬栗を運んで振舞ったらしい。その賢者を(たた)えて建てられた石造。まあ、言わずもがな、同様な感じで石造に転んだ拍子にぶつかりそうになったノラをクロエが――以下同文。


「…ちょっとクロエ、胡散臭(うさんくさ)そうな顔しないで」


 わざと目を(すが)めていたクロエは、ノラの言葉にくっと笑う。半年前まで痩せていた頬は元に戻り、(くま)は薄くなった。長めの髪はノラがちょこちょこ(はさみ)を入れて整えている。そのさらりと揺れる前髪の間から見える群青色の瞳が、優しく細まった。

 シャツとズボンにブーツというシンプルな恰好(かっこう)なのに、何故か周囲の男性よりクロエが良く見えるのは、惚れた欲目というものだろうか。いやいや、この人は以前からよくモテていたんだ…それでこちらは何度ヤキモキしたものか。


「…何ぶつぶつ言ってるんだ。本当に何かあったのか?」

「――やほやほー」


 突然、二人の間に素っ頓狂(すっとんきょう)な低音ボイスが割り込んでくる。ハッと二人が声の方に目をやると、そこに一人の男性が立っていた。年の頃は、ノラたちよりも(わずか)かに上だろうか。緩いカーブを描くこげ茶の眉に、くっきりとした二重の紫色の瞳。クロエ同様にシャツにズボンにブーツ姿で、恐ろしく美しい顔立ちをした男性。ただ、ノラは彼の頭に目を細めてしまう。

 その頭は、この広い市場に降り注ぐ太陽の光を、これ以上ないくらいに反射させる――つるぴか頭だった。うぅ…まぶしい。


「――ツィ…、お前何してんだ」


 クロエの声が僅かに緊張を(はら)んだ気がした。思わずクロエの背のシャツを摘まむと、彼はそのノラの手を掴んだ。ツィと呼ばれた男は目を細めてその様子を見ていたが、ふうっと溜息を吐くとわざとらしく、両腕を左右に開く。


「つれないねぇ。休みが取れたから、久しぶりに友達の様子を見に来たんじゃないか。お前は騎士団に行っても全然顔も出さないからさー」


 ツィは心底そう思っているようで、不義理を訴える半分、仕方ないな半分みたいな顔でくくっと喉奥で笑う。それはクロエのことをよく知る人の態度のようで、ノラはゆっくりと繋いだ指の力を抜いた。


「…元気にしてたか、ツィ」


 クロエは渋々と言ったようにそう聞くと、ツィは大型犬みたいににかっとその美しい顔を緩ませて笑う。


「元気、じゃない! 働き詰めで禿()げそう!」

「その声量は大丈夫だ、それにお前はもう禿げてる」

「いや、これは禿げじゃない。()ってるんだ」


 あはは、と笑うツィ。剃ってるのか。スキンヘッド様だ。


「こちらは、噂の?」


 話の矛先(ほこさき)が自分に向いたと分かったノラは、はっとして彼を見上げた。


「初めまして。どんな噂か存じ上げませんが、ノラ=シュシューです」


 気持ちの良い笑顔につられて、ノラも思わずにかっと笑ってしまう。それを紫色の瞳が嬉しそうに見て、口角を上げた。


「きみ、『後悔すりゃいい』の人だ」

「え」

「ちょ、ツィ!」


 驚くノラに、割り込んできたクロエ。

 『後悔すりゃいい』…これはもしかして、『後悔しても知らないわよ』事件の話? いや、事件じゃないけど。


「ツィ、お前ぇ」

「――クロエ、お茶買ってきて。ツィさんの分も三人分」


 ツィに詰め寄ろうとしていたクロエににっこり笑いかける。


「でも」

「クロエ」

「ノ」

「クロエ」


 有無を言わせないノラのお願いと(すご)みに、クロエには現れていないはずの猫耳が気圧(けお)されているようだ。クロエは渋々、()らんことを言うなよ、とツィに念を押して、市場の人込みに消えて行った。あの様子ではすぐに帰ってきそうだ。


「きみには敵わないようだね」


 クロエを見送るノラの背後から、そんな言葉を掛けてくる相手を肩越しに振り返る。


「…お初にお目にかかります、『魔術師様』」


 ノラの言葉に、少し複雑そうな表情で優しく笑う。それはノラの表情が硬かったからだろう。二人は連れ立って噴水の石段に腰掛けた。さっきの場所から離れていても、クロエなら匂いですぐに二人を見つける。

 獣人の特性はヒトと比べるととても優秀で、色々な匂いを嗅ぎ分け、親しい人ならその感情の変化さえ読み取ることができるのだ。感情が現れやすいノラが相手ではその特性は役立つ間もないだろうが。


「そう警戒しないで。本当に会いに来ただけだから。義手も(うま)く作動しているようでよかった」


 クロエに義手を作ってくれた魔術師は、ツィだった。そこに考えが至り、警戒心が一瞬緩んでノラは頭を下げた。


「彼の義手を作ってくださって、有難うございました」


 目を丸くした魔術師は、次の瞬間にはふふっと息を()らして笑う。(そば)を通った女性が彼に見とれたように歩いていく。


「わたしにお礼は必要ないよ――今日はきみに会いに来たんだ」

「私に、ですか」


 思ってもいない話にノラは首を(ひね)る。


「クロエの調子はどうだい」


 まだ微笑(ほほえみ)(たた)えたまま、彼は組んだ足の上に両手を握り合わせて置いた。自分の手の甲を親指で擦りながら、彼は視線を落とした。

 クロエとは先ほど会ったばかりだ。軽口を言い合うほどであるのに、本人ではなく、自分にもう一度聞いてくるのには理由があるのだろう。それに彼は魔術師ではあるが医療の方面にも明るく、旅の最中にもそのような役目を担っていたとクロエから聞いていた。なら、正直に伝える方がいいのだろう。


「…腕は貴方のおかげで日常生活にも、仕事にも支障ありません。体の不調を訴えることはありませんが、家にいるときにはよく転寝(うたたね)をしていますね」


 ノラの簡単な話にツィは、転寝、と呟いた。


「――…旅の話は聞いたかな」

「旅の話ですか…そうですね、所々は。彼が思い出したように話すのを聞いている感じです。…悪夢を見るようなので、起こしたときに(うな)されながらうわ言の様にぽつぽつと」


 帰って来た頃は、夜中にクロエが(うな)り声を上げて起きることが度々あった。ベッド際に置いている剣を握って構え、荒い息を必死で整えながら暗い部屋を見渡す。そのうちに隣で驚いたように委縮(いしゅく)しているノラを見て、やっと現実に引き戻されるのだ。

 剣を置き、ノラを胸に閉じ込めるように抱き寄せる。もう終わったよ、とノラが繰り返し伝えると、匂いを嗅いでノラの名前を何度も呼んできた。

 彼がこの三年間、世界を救う為に生きた時間は、ノラには到底想像できないものだった。最初は眠りが浅く、物音が少しでもすると気が立って眠れなくなる。尻尾はずっとノラの腰に巻かれたまま。ノラが傍にいると安心するようなので、クロエの耳を手で(ふさ)いだり、頭を抱き込んだりすると、徐々に眠れる時間が長くなってきた。


「きみのおかげで、クロエは元気になっているようだね」

「…彼には休息が必要だと思います。できるだけゆっくりしてほしい。私がいることで気が楽になるなら嬉しいです。…何の力もない私がしてあげられることは、傍にいることだけですから」

「――ノラくん、それ、本当に言ってるの?」

「え」


 ツィを見ると、彼は驚いたようにノラを見ていた。そして、ふっと自嘲気味(じちょうぎみ)に笑う。


「クロエは獣人だから、周囲の異変を察知する能力に()けているよね。旅をする中ではいつ魔獣に出会うか分からないから、常に周囲に気を張らなければいけない。それは魔術でもできるけれど、できるだけ魔力を温存するためには、彼に頼るしかなかったんだ。それが長く続くと彼は深く眠ることができなくなった…。いつどこで襲われるか分からない、自分の反応が遅れるとパーティの誰かが命を落とすことになる、そんな風に考えさせてしまった」


 旅の始めはまだよく笑う若者だったのに、終盤(しゅうばん)に差し掛かる頃には全く感情を見せなくなった。淡々と仕事をこなし、魔獣を誰よりも先立って切り倒していく。パーティの皆がどうにか踏ん張れていたのは、クロエの献身(けんしん)も大きかった。けれど、身体は兎も角、彼の精神が追い詰められているのは目に見えて分かった。

 浅い眠りの中やっと寝入った若者を眺めながら、どうにかしなければと思った矢先、彼の体を覆うマントに魔力を感じた。そのマントに温度を調節する魔法がかかっていること自体は、ツィも初めて見たときから知っていた。ただそれだけの存在だと思っていた。けれど、よく見てみると、それは丁寧に精密に織られた魔法で、色()せることなく美しい色をしていた。これほど強固で、万全な状態の魔法がこの三年間過酷な環境下で一度も()けることなく、(ほつ)れることなく傍にあったことにツィは改めて感心する。

 そしてそこから感じる魔力から、持ち主への想いを示す色が含まれていることに気が付いた。確か、騎士には家族はいなかったはず。恋人がいることが報告されていた。


「だから、彼に持ち掛けたんだ」

「何をです?」

「――きみとの惚気話(のろけばなし)をするようにさ」


 ノラが問い返すと、ツィはにぃっと口角を上げた。え、…惚気話?


「惚気話って…あの、惚気話?」


 そうともとツィは得意げに頷く。うう、眩しい。色んな意味で。


「ガス抜きをさせたかったんだけど…あれはもう一生分、いや二度くらい生まれ変わってもまだ砂糖が吐けるくらい甘かった。ノラくん、あれは恐ろしいほど愛が深いよ。こわー、こっわー」


 ツィはわざと声色を変えて言うと、自分の両腕を両腕で()き抱くようにして、ノラから少し距離を取る。

 惚気? 惚気って…なんだ?

 自分たちの話ということだろうが…――クロエ、何を話したんだ?

 何を言ったか聞きたいような聞きたくないような。けれどそんなことで元気になるのだろうか。

 ノラの頭上に疑問マークが飛び回っているのを見て、ツィがふっと息を吐いて笑う。


「男の女性への愛なんて、世界を救えるくらい大きなものさ。話しているときのクロエの幸せそうな表情ったら…。わたしが砂糖吐く分くらいには、クロエは気力を取り戻してたよ」


 温かい声色だ。ツィが心からそう言ってくれているのが分かった。けれど、それを聞いていても、どこか自分の心の端が沈んでいることに気付く。


「…私の魔法がもっと上級のものであったら…私が()()()()()であったら、彼をもっと守れたかもしれないのに」


 出てしまった自分の言葉にハッとする。知らないうちに言葉にしてしまっていた。

 ノラが(ほどこ)した魔法は、あのときノラにできる最大で、唯一のことだった。と思う反面、彼の体を守れなかったことをどうしても悔いる自分もいた。片腕を失くしたクロエを見たときからずっと、そう思っていた。クロエに言ったことはない。これは自分の中で消化しなくてはいけないことだと分かっていたから。


「…きみは『妖精の涙(トゥワロフ)』の一族なんだろう。遠い祖先に妖精の血が入っているにも関わらず、魔力を(ほとんど)ど持たない一族。妖精がヒトの(ことわり)の中で生きる短命の我が子たちを()しみ、()んだ加護らしいね。それで一族に生まれた子たちは人生で一度だけ、生まれ持った魔法が使えるとか」

「ええ。それも生命を操るものはないんです。私にはあれしか、持ってなかったので」


 途端に、ノラの膝に置いていた手が包まれる。緩く温かい大きな手だった。顔を上げると、ツィが優しく微笑んでいた。


「違うよ、クロエにはきみのあの魔法が必要だったんだよ。あの――『暑いときにはひんやり、寒いときには温かくなる魔法』、がね。何の力もないなんてことない。きみのマントの魔法ときみの存在は、ずっと彼を守ってたよ」


 彼の声とともに額の辺りが温かくなる。これはきっと彼の魔法だ。ふわんと頭の中に映像が流れる。


 クロエがいる。帰還したばかりの頃に近い顔色で、どこか暗い洞穴(ほらあな)のような場所でマントにくるまって眠っている。腕には剣を抱えて、尻尾は腰にきちんと巻き付けて。おそらく周囲を警戒しているのだろう、普段は現わさない耳を出して険しい顔で眠っていた。時折マントに仕切りに額を擦り付ける様子が見られ、ノラの胸が(つね)られたように痛んだ。それはクロエが抱きしめるときに、額をノラの髪や首に擦り付けてくる癖と同じだった。


 そのうち場面は変わり、目の前が真っ赤に染まる。耳元でごおごおと鳴る音は、炎を追い立てる風の音。

 どうやら朝だろう、晴天の切り端が僅かに見えるだけで、視界のほぼ全て赤く染め上げる炎。その向こう側にいる魔王が起こしているようだった。パーティの面々が何か声を掛け合いながら、巨大な魔法陣が次々と空中に浮かび上がり、攻撃や守備、回復を流れるように展開している。その前衛に騎士であるクロエがいた。

 ノラはその映し出される視界に、上げそうになる声を飲み込んだ。日常には見ることはない、戦場。過去の映像だと分かっているのに、言葉を失うほどの恐怖に胸が居竦(いすく)む。しかし、心とは真逆に血が沸騰しそうになる。ノラの視界の先には彼がいた。この意思のある燃え上がる炎を相手に、彼はマントを体いっぱいに巻き付けるだけで戦っていた――長剣を持った()()()()()を出して。


「この炎の中でもきみのマントがきちんとクロエを守ってくれていた。…けれど、わたしは彼が(まさ)しく――『騎士』であるということを忘れてしまっていたんだ」


 再び額がふわんと温かくなったかと思うと、視界がふっと現実に戻ってくる。数度瞬きすると、やがて耳には市場の喧騒(けんそう)が聞こえて来た。手にはまだ温かな手が重なっている。


「…きみが懸命に守っていた彼を傷つけたのは、わたしだ。あの後、魔王はさらに追撃してきた。広範囲の守備展開をしていたわたしへの攻撃に、新たな防御陣を練る時間が間に合わなかった。そんなわたしを(かば)って彼は、」

「――おい。」


 二人の間に影が差す。びくっと視線を上げると、そこには不機嫌な顔を隠さないクロエが立っていた。手には三人分のお茶。尻尾が最高潮に苛立ったように、上下に揺れている。


「なにノラの手ぇにぎってんだ」


 手に持っていたお茶を投げるようにツィに渡すと、クロエは尻尾でノラの腰を抱いて離れるように(うなが)してくる。仕方なく立ち上がるノラの傍にぴたりと寄り添い、彼は熱いお茶をそっと渡してくれた。

 ノラが好きなサフールル茶。(ほの)かに果物の香りが付けられたお茶で、味は匂いとは異なり、渋い。自然と眉間にしわに寄せながら飲むことになるサフールル茶は好みが激しく分かれる。ノラは好事家(こうずか)向けのこのお茶が店に(おろ)されなくなってしまわないように、店主にアピールしながら定期的に茶葉を買い求めている。

 そんなノラを横に、クロエはよく、無、の表情で飲んでいる。不味いとも美味いとも言わない…けれども、自ら選んで飲まない。そんな彼がこの広場では一番遠い場所にある店舗まで買いに行ってくれたのかと思うと、心がふわりと温かくなる。


「ツィ、ノラに要らんこと言ったんじゃないだろうな」


 唸りそうな険しい顔をして言うクロエに、ツィはニッカリと笑う。


「要らんことは言ってないさ。激甘の惚気話でクロエが旅を乗り切ったと話していたところだ。惚気を延々話し続けるお前に、途中で立ち寄った村で熱い視線を送っていたお嬢さんたちが、次々と見事にドン引いてたという話をこれからしようと思っていたところだ」

「ほんとお前なぁ」


 熱い視線を…向けられていたんだ。…………………ふうぅん。


「賢者はお年を召しておられるし、勇者は光属性が強すぎて邪念が浄化されるというか。わたしはわたしでもうそういうのは十分なのでね、魔法で目くらましをしていたのもあって、大抵言い寄られるのはクロエだったねぇ。見た目もいいし、気もいいからねぇ」

「へぇ、そうなんだぁ。クロエさんはモテますねぇ」


 他人事のようにそう言ってお茶を飲むと、腹に巻かれた尻尾の先がくっとノラの腰に力を入れてくる。


「違うぞ、これは違う」


 そう言って顔の前で義手を振るクロエをしばらく渋顔で見返していたが、やがてノラは(たま)らず吹き出した。

 彼の義手に施された魔力は、魔女の端くれであるノラでさえ感じ取ることができる。おそらくはただの義手じゃない。けれどそれをクロエはときには買い物袋を持つため、ときには腹が立つ相手にお茶を投げ渡すため、そして今は、自らの潔白を示すために遠慮なく使っている。そういえば、この義手を家に付けて帰って来たときも、『生活に支障がない』義手だからという彼の中の理由で、何の特別な感情も見せずに貰って来た、と言っていた。


 けれど、騎士が自らの誇りである利き腕を失って、平常心でいられるだろうか。

 失ったからといって、その()()えを付けることに何の(わだかま)りもないなど、有り得るのだろうか。


「はいはい、分かってるよ」


 ノラがそう言うと、クロエはほっとしたような、少し拗ねたような表情をした。

 

 彼が苦しんでいても、救えるのは自分じゃない。そんな思い上がりはしていない。クロエは自分の力で踏ん張り、立ち上がろうとしている。それをただ傍で見守るだけだ。

 半年経って、彼のこけた頬は元通り精悍(せいかん)な顔つきになってきた。隈も薄くなり、夜も魘されることが少なくなってきた。ちなみに尻尾も艶々としている。

 きっと三年前のときに元通りとはいかないだろう。元通りになることを求めることが間違っている。すでに起きたことは、変えようがない事実。

 後悔も、懺悔(ざんげ)も、罪悪感も。それらすべてを飲み込んで、進んで行かなければいけない。時折立ち止まりながらも、決してそれに(とら)われずに、自らの足を動かして歩み出さなければ。


「――ッつ、なんだこのお茶…っ。甘いのか苦いのかどっちだ」


 ごほごほと咳をしながら、眉間にしわを寄せるツィは今口にしたサフールル茶をまじまじと見ている。


「サフールル茶ですよ。南の方にあるサンニガ地方に自生している良質の茶葉です。効能は血流改善、頭痛緩和に肩こり解消、ある種の疲労回復です。あ、あとあかぎれも治りが早くなります。まぁ、天日干しをすることで渋みが出てしまうのが難点と言われていますが、その渋みが効能を高めているので『良薬口に苦し』の王道を爆走中のお茶です」


 待ってましたとばかりにノラがそう言うと、ツィは眉間のしわはそのままに視線をどこか中に彷徨(さまよ)わせる。そして、くっときれいな眉をアーチ型に上げた。


「…本当だ、魔力巡りが良くなってる。へぇ、すごいなぁ。味は置いといて、薬茶としては優秀だ」

「味も最高ですよ」


 すかさずそう言うのを忘れない。けれど自分の好きなものが褒められるのに悪い気はしない。


「成程なるほど、これならちょちょいとできそうだ――クロエ、腕を出して。その腕に幻影魔法を掛けるよ」


 クロエのお茶を持ったままの腕を引くと、ツィは指を鳴らして空中に腕輪を登場させる。そしてそれを義手にはめようとした。


「何の幻影だ?」

「いつまでも銀色の機械のままでは見た目が悪いだろ。普通の腕に見えるように魔法を重ね掛けしよう」

「それなら要らない」


 クロエはツィの手から腕を引き抜くと、サフールル茶を持ち直してこくりと飲む。あ、また、無。


「別に生活に支障ないから必要ない」


 事も無げにそう言うと、彼は視線は近くの肉を焼く屋台に移していた。朝は軽く食べただけなので、昼時に近づいてどうやら小腹が空いているようだ。クロエは肉の匂いがする屋台を見つけては鼻をひくひくさせている。


「…でも、気になるだろ?」


 クロエを見上げるツィのその声は、どこか詰まったような声だ。そして、感情を抑えようとする声。ノラはその声にどうしたものかと思ったが、行動を起こすよりも早くクロエが視線をツィに戻した。その様子に小さく息を漏らし、そのまま今度はノラに向けた。


「ノラ。俺の腕、気になるか?」

「え、私? いや、別に…あ、ただ『あー、義手の騎士様だぁ』って、なんか女性からの可愛い声と視線を少し集めてくれているのは思うところはあるよね」

「それは知らない。俺の所為じゃない」

「その無意識にモテるのが問題なの。無意識にモテる、ってなに? こわいわー、語呂(ごろ)もこわいわー」


 なんだそれ、とノラに反論していたが、そのうちクロエは二人のやりとりを見上げていたツィに顔を向ける。驚いたような表情の彼に、クロエはなんだその顔、とぶはっと笑う。


「だから、『支障ない』。いつも言ってるだろ」


 優しく言い聞かせるようにそう言うクロエには、最初会ったときに走らせた緊張感はなかった。

 親しみを持った眼差しで仲間を見ていることに、ノラは安堵と嬉しさを感じた。一緒に過ごせなかった三年間、彼は孤独ではなかった。彼を心配し、癒そうとしてくれた存在があった。自分には解らない複雑な感情が彼らを取り巻いているのだろうが、今クロエの心にあるのは悪い感情ではないようだ。その声色と眼差しから感じられ、それが何よりも嬉しかった。


「ははっ…そっか、ならよかった」


 ツィは俯き、小さくそう言った。その広い肩がしばらく微かに震えていた。それを二人は知らない振りをした。ただクロエは、サフールル茶をまた、無の表情でこくりこくりと飲んでいた。


「そういえばわたしが二人に声を掛ける前、ノラくん何か周囲を気にしているみたいだったけど、何か気になることがあったの?」


 浮上したツィに赤い目で思い出したように言われ、ノラはあ、と思い出した。そうだったそうだった。


「そうそう、市場に来てからずっと私たち見られているような気がしてたんです。今までもクロエと出かけていたときにちょいちょいあったんですが。誰がというか何となく色んな人に見られているというか…。クロエが女性から見られるときの、捕食者の視線ではないみたいで」

「捕食者ってなんだ。というか、それなら早く言え。…でもおかしいな、そんな気配があれば俺も気付いただろうに」


 ぐいっと腰を引き寄せられる。慣れた感触に、黒い尻尾をそっと撫でる。微かに温かいそれに触れていると安心する。


「――あのさ、それって今でも感じる?」

「え、あー…そうですね。少し」


 ツィの問いに、周りに気取られないように視線をやる。クロエは切り目長の瞳で鋭く周囲を観察しているようだった。そのうちふと、噴水近くの屋台前に立っていた小さな女の子がこちらを見ているのに気付いた。肩までのふわふわの空色の髪の中から、左右にくるりと羊の小さな角が生えている。その茶色い瞳は長方形のように横割りになっていた。その隣には母親だろう、よく似た風貌(ふうぼう)の女性が屋台の野菜を吟味しているところだった。


「ねえお母さん、あの黒猫のおにいちゃん、なんでお隣のおねえちゃんに尻尾巻き付けてるの?」


 え、私たち? ノラはぎょっとしたが、そんなこちらを指さして女の子は無邪気に母親に笑顔を向ける。


「え? ああ、あれはとても大好きだよっていう行為だよ。メリーちゃんの尻尾もとても繊細な部分でしょう。好きな人と手を繋ぐみたいに、そんな部分を大好きな人に巻き付けてるんだよ」


 はっと自分の腰を見る。黒い太い尻尾ががっちりと、いつもの通りに巻かれている。


「自分の繊細な部分を差し出せるって…おねえちゃんもおにいちゃんのことを大好きなんだね」


 生温かい眼差しを感じる。しかも、羊親子だけじゃない、周囲の人たちがちらりと見て微笑ましそうにしている。


「――…ねえ、クロエ。尻尾のある獣人は、恋人ができると相手に尻尾を腰に巻き付けるって言ってたよね? 旅してたらそれが常識だったって言ってたよね?」


 ノラは周囲を見渡す。ヒトも獣人もいろんな人たちがいる市場には、恋人同士と思わし気な人たちもたくさんいる。中にはトラ、狼、サル…尻尾のある人たちが楽しそうにお相手と歩いていた。その様子を見渡しながら、最後にはクロエにひたりと視線を合わせる。


「いない…っ、よく見ると誰もそんな人いないっ。あそこにも、あそこにも、あそこもあそこも、尻尾を相手に巻き付けてる恋人なんていないじゃないっ」

「なんだ、今気付いたのか。まぁ、大抵は二人きりのときとかが多いだろうしなぁ。でも人前でするのが非常識ってわけじゃないぞ」


 クロエはけろっとそう言う。


「ちょっと、どういう――え、ちょっと待って。それを人前で…しかも、ずっとしてる私たちってバカップル――ぐっ、嘘でしょっ」

牽制(けんせい)になって丁度よかったんだ。ノラ人がいいからすぐに好かれるし」

「――なんだ…それ…ぐっ」


 恥ずかしさのあまりに頭を抱えて、噴水のツィの隣の石段に項垂れる。恥ずかしい。とても恥ずかしい。そんなことを人前で堂々としていて、買い物をしたり、公園を散歩したり、なんなら暴れていた子どもに危ないよ、なんて注意をしたりしていた。自分はいい大人なのに、バカップルの状態で。…バカップルの状態で。


「――だからノラくん、こいつの愛は深いって言ったでしょ」




「こんな深さは聞いてない!」


 ノラが涙目で反論すると、ツィとクロエは同時にサフールル茶を吹き出した。

本編よりも長い後日談ってどうなんだと思いますが…。

ちなみにクロエは人頭人体で、尻尾だけ生えています。

けれど、生やそうと思えば猫耳生えます。そのときには、人頭の耳消えます(こだわり


お読みいただきありがとうございました。

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