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曖昧模糊  作者: 文ノ京子
5/8

楽しめたはずの場所

 結局、何も買わず食べずでショッピングモールを後にしてしまった。

 十一時を少し過ぎる頃のショッピングモールは、早めの昼食を摂ろうとする人でごった返していた。私は朝食もまだで出来るなら軽食を挟みたかったが、その混雑具合に思わず白旗を上げた。出入り口で保険の勧誘をしている方々に引き止められるということもなく、薄暗い雲が広がる空の下へと向かう。

 風除室の扉を開けるとチリチリというノイズが聞こえてきて、雲の印象と相まって小雨が降っているように錯覚した。実際にはそんなことはなく、このノイズはモールの出入り口で演奏の準備をするバンドのスピーカーから発せられているものだった。男女三人組は楽器から垂れるコードを持ってしばらくうろうろしたのち、テストで順々に楽器を鳴らし始めた。その三人の前には十人弱の見物客が集まっており、少し楽器を鳴らすだけでも歓声を上げていた。

 私もそちら側になる予定があったので、空腹を堪えながら駅方面に向けて歩き始める。

 お弁当屋の前を通ると唐揚げのにおいがして、入店しまおうか、という気持ちが湧いてくるが、若干遠くで鳴る楽器の音が本来の目的を思い出させて歩みを進ませた。

 途中、赤信号で立ち止まっていると、横をノンストップで通過していく男性に遭遇した。バッキバキの蛍光オレンジのリュックを背負った中年ぐらいの方だった。少し前に通った公園のベンチで荷物整理をしていた人と同一人物だった。そのときもリュックが目立っていたので、観察の目をやっていた。

 彼は一体何にせかされていたのか。いや、もしかしたら赤信号を無視することは彼にとってフィルターで除去されない行為なのかもしれない。信号無視は当たり前のこと。そもそも信号無視って何。そんな感性を彼が持っていたなら、興味深いなと思う。そんな風に思うように形成させた彼の人生にとても興味が湧いてくる。次、オレンジのリュックを見かけたときにもうちょっとこの人のことを理解できたら嬉しい。八箇所も出入り口がある地下道に彼が吸い込まれていくと足取りを追えなくなった。またどこかで。

 地下道を通ってより駅方面に近づくと、新たにギターやドラムの音が聞こえてきた。いつもだったら幅が広すぎるなと感じる歩道には何台かキッチンカーが停まっており、人の往来にちょうどいい道幅に変わっていた。

 雨天に片足が突っ込んでいるような日だが、今日は一般のアーティストたちが物寂しい公園から駅前の華々しい会場など様々な場で演奏や歌唱を披露するというイベントが開催されていた。その影響で屋台やキッチンカーがたくさん出店しており、駅前は食欲をそそるにおいと拙くともどこか聴き入ってしまうような音楽で埋め尽くされていた。

 元々はタクシー乗り場だった場所には黒くてマットな色感をしたキッチンカーが停まっていた。背後にはイベント会場の中で一番の大きさをもつステージがあった。そこではフレディ•マーキュリーを意識したであろう衣装を着た年配の男性が、こちらに伝わってくるぐらい気持ちよく歌っていた。曲名は申し訳ないが、わからなかった。思い出価格六百円のフライドポテトを購入し、ステージを見下ろせる場所でいただく。

 舞台を右左、手前、奥とアーティストは動き続け、その身体に楽しさが満ち満ちているのがわかる。観客もアーティストと同年代ばかりと思っていたが、年齢の若い方も多くいた。腕を振り上げ、声を上げ、それがさらに観客のボルテージを引き上げているように感じた。

 男性の歌唱が盛況の中、終わりを迎えた。次にアコースティックギターを肩から下げている二人の中年女性たちがステージに登った。しばらく音響関係の調整が入る。

 冷めない興奮の中に差し入るまだ温まっていない熱。張り詰めた空気が流れ始めて、女性二人の演奏失敗を煽っているように感じた。胸がムカムカする。彼女らに自己投影をして、私が緊張感を感じていた。これでは、目的である友人のパフォーマンスをきちんと見れるか不安になってくる。

 でもきっと、観客の中にも私と似た心情になっている方がいると思う。アーティストと身近なイベント関係者の中にもいるのでは。とはいっても、一番緊張するとしたらご本人方だとは思うが。

 ステージは緊迫感で囲われているように見えた。美味しそうなにおいたちは明らかに冷めていて嗅覚を刺激するのは陰鬱な秋のにおい。

 今日、全ての演奏が終わったとき、生まれた緊張感の量を楽しさはちゃんと上回っているのだろうか。もし、楽しさを感じ逃して緊張感だけを抱えてこの場を後にする人がいたら。その人は。

 後味の悪い感覚を覚えて、開始まで時間があるのにも関わらず、友人が歌唱するステージに足を向けた。

 友人が立つステージは先ほどの方々と打って変わってひっそりとしたものだった。銀行の入り口付近の空きスペースにパイプイスが並べられた簡素なものだった。だが、このイベントに参加するのが二度目だった私は、上手い人が駅外れのステージにいることも全然ありうる、ということ知っていた。下手な人が追いやられているわけではない。だから、ステージに不満はなかった。

 しかし、観覧するにあたって胸のつっかえだけが邪魔で仕方がなかった。緊張を患った状態では友人の音楽を楽しめないのは明白だった。同僚の方に勧めていただいた宮沢賢治の詩集を読んで気を紛らわせる。

 結局、詩集にも気持ちが入らないまま、舞台に立つ人が二回ほど変わり、友人の番になってしまった。自己投影癖は続いていた。

 友人は緊張していた。これは自己投影ではなく、現にMCの声は多少震え、チューニング時の歌声も細かった。

 緊迫感が緩やかになるまで待ってくれるはずもなく、演奏が始まる。完全に自己投影して私はステージから観客席を見ていた。

 関係者の書類をまとめる動作、次の番の女性の準備行動、前の演奏から続いている婦人方の立ち話、警備員の蛍光ベスト、道路を走る車、パイプイスの合間、手拍子も、雲さえ、私の歌唱を否定している、退屈そうに見ている。

 友人の歌唱が終わったころには私の心はすり減っていた。温かいものがなくなった心にぽっと出てきたのは、『自分が気持ちよくなきゃ、何もかも嫌に見える』という、どこにどう組み込めばいいかわからない感情だった。

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