夢の証拠
目覚めた。
と言えるのか。
足が冷気に晒されている。視界はまだ瞼の裏に仕舞われていて、現実を捉えていない。
意識が存在しているのは確かな状態で、鼻呼吸をする。三日前に変えた部屋の芳香剤の匂いがしない。もう切れたのか、それともやはりまだ目覚めていなかったか。
そう思考した瞬間、水風船が落下して割れるように何かが頭の中で散らばった。それは気づいたら断片になっていたので原型を全く思い出せないが、恐らく“夢”だったものであろう。
消えていく断片を繋ぎ止めようとするも、握り拳の指の隙間から漏れ出ていくようにして霧散してしまう。拳の中心に更なる断片だけ残る。
基本忘れないように意識を注げば、何度も頭の中で反復して記憶として保存できると考えていたが、“夢”というやつは普通の扱いが通用しない代物のようだ。
今残る切れ端は、
『空港』『異なる性別』『逼迫感』『私の名を呼ぶアナウンス』『心臓の鼓動』
『夕暮れ』『教室』『成長した同級生』『追求』
『夕暮れ』を挙げた後から別の人の買い物カゴに商品を入れている気がしてならない。もしかしたら、『夕暮れ』以下のものと『空港』以下のものは、それぞれ違う夢で出て来たのかもしれない。そうなると二つ夢を見ていたことになるが、それは少しおかしい。
“夢”の区切りや終わりは目が覚めて初めて訪れることだと思う。故に場面が途中で切り替わっても、登場人物がまるっきり変わっても、間に目覚めがなければ“夢”は一本なのだ。繋がりがなくても関係ない。眠っている間に描き上げられる“夢”は物語ではない。始まりも終わりも決まっていない、情報整理の際に生まれるただ一つの副産物。断片を思い浮かべたときに感じる相違感は、オチや結末が決まっていることの多い環境で生きている私たちに夢を見ていたんだ、と感じさせる一つの物差しなのかもしれない。
忘れる前にあーだこーだと断片をまとめてみたが、いざ改めるとこれじゃない感が否めない。繋がりとかいう話ではなく、全体的に。これがあった気がすると挙げた要素で夢もどきを組み上げてみると、頭に微かに残る夢の温もりと激しく反発する。原作者とアニメの監督で解釈が起きるように、うまく落とし込めない。
そうこうしているうちにもっと切れ端に対しての熱が冷めていって、こんなものは最初か存在しなかったのではないかと思わせてくる。
思考への飽きが蔓延してきて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
今年は九月まで暑い日々が続くと予感していたが、なんやかんや下旬にもなれば秋の兆候が見え、油断していた肌に冷たさが突き刺さっていた。
夕暮れと夜の境目か、朝日の昇る前か。独特な光加減で雨雲色の空間が作られていた。
仕舞わずにいた扇風機は、私が寝ている間も休まず稼働していたというのに疲れを感じさせない。冷え切った足はきっとこいつのおかげと言ったものか。
扇風機のスイッチを切ると、両足に血流が走っている感覚が押し寄せてきた。段々と熱を取り戻していき、その熱で溶かされるように“夢”への興味も消えていった。