悪なる神と冒険者③
俺たちは慎重に階段を降りた。
地下30階――そこは、今までのフロアとは明らかに様子が違っていた。
他のフロアのように、ダンジョン産の魔物が死ぬと残す魔石が転がっていない。その代わりに、鼻を突くような鉄の匂いが漂っている。
「………何? この匂い………。」
嗅覚の鋭いナミが、耐えられないといった様子で両手で鼻を隠す。
同じく鼻のきくニールも、その強烈な匂いに顔を顰めている。
身体にまとわりつくような重苦しい湿度を含んだ空気。匂いだけでなく、口の中に鉄の味が広がるような感覚は、とても気持ち悪い。
「………これ………、血の匂いね………。」
ナギが呟く。
吸血鬼王の眷属であり、血操を得意とする彼女は、フロアに広がる匂いを血の匂いと断言した。
「血の匂いって………。ダンジョン産の魔物は死ねば消えるはずよ? 血だけが残るなんて事はないはずだわ。」
「じゃあ、魔物じゃなくて、冒険者の血の匂い? でも、ダンジョンの中に充満するほどの血の量って、どんだけよ?」
アメワが言う通り、ダンジョン産の魔物なら血を残さない。ここまでの道のり、魔石だけが転がっていたのがその証だ。
ただし、森の女王の管理するダンジョン=インビジブルシーラにいる虫型の魔物たちは、死骸を残し、体液を撒き散らしていた。
軍隊蟻のような魔物は、そんな死骸の掃除屋であり、自分たちの餌として巣に運んでくれる事で、ダンジョン内の秩序は保たれている。
しかし、それはあのダンジョンの特殊性だ。
それは後から聞かされた話でわかった。
あれは、ウカ神の魔力核を今の俺の身体である機械人形=ゴーレムの核に使ったことにより、【試練】のダンジョンとしての役割を失った為に起こった特殊性。その為、ダンジョン外の魔物が自然に増え、新しく作りだされたあのダンジョン独自の生態系なのだ。
「ここまでドラゴン相手に無双している冒険者が殺られたのか? しかし、ダンジョン内に血の匂いが充満するほどとなると、実は大勢の冒険者でダンジョンに挑んでいたとか………。」
もし、軍隊規模でダンジョンに挑んだというなら、上級種のドラゴンを殲滅することも可能だろうか。
しかし、この狭いダンジョンの通路で数の有利は活かしづらい。横一列に並ぼうとしても、5人程度が限度。それ以上になれば武器を振りかぶることも出来なくなってしまう。
古代ギリシャの戦法『ファランクス』のように、重装備の戦士を並べたとしても、ドラゴンの吐く強力なブレスや、咆哮といった攻撃が浴びせられる中、地下30階まで前進するのは至難の業だろう。
「――大勢で押し寄せたなら、それなりに人の通った痕跡も多く残るはずよ。ここまでの間、見かけたのは床に転がる魔石だけ。」
「そうだな。だとすれば、この血の匂いはどこから………。」
アメワの考察に納得する。
この道中、人の生活痕など無かった。
俺は、危険を回避するべく、ダンジョンの先を目を凝らして見る。しかし、薄明かりしか存在しないダンジョンの中ではなかなか難しい。
「――ここで悩んでいてもしょうがない。前進して、使徒の部屋を探さないと。」
ダンジョンに広がる血の匂いは、恐怖を掻き立て、思考を鈍らせる。
自分自身を奮い立たせ、前進を決断した。
託された目的もある中、ここから引き返す選択肢は取り辛い。しかし――
「あまりにも危険だと判断したら、俺を殿にして上の階に向かって逃げるんだぞ。」
全員がうなづく。
ここで俺の言葉に反発が無いのは、信頼されているという事だろう。ありがたい。
それまでと同じ隊列を組む。
俺は先頭に立ち、いざとなれば殿になる。
緊張感が高まり、慎重に前進。周囲を確認しながら、進んでいく。
やはりこの階には魔石は落ちていない。魔物も出ない。魔石が大量に転がっているのも異常なのだが、それ以上に今の状況の方が異常に感じてしまう。
ズズッ………
突然、前方から地面をするような音が聞こえた。
後続にハンドサインを送る。
全員が息を潜めて、音に集中するが音は途切れてしまった。
(………何かがいる………。)
目を凝らして音のなった辺りを伺うが、何も見えない。
ハンドサインで前進を指示。
全員、すぐに戦闘に入れるように武器を構えながら、再び通路を歩き始めた。
「―――うっ!?」
先程、音がした辺りまでくると、急に匂いがキツくなり、その強烈な匂いに耐え切れなくったナミが嘔吐する。
さらに、そこに広がった地獄のような風景に、パーティーメンバー全員が唖然として立ち尽くした。
「うえっ――」
アメワとナギも込み上げるものを堪え切れず、その場にしゃがみ込む。
ニールもあまりの惨状に頭を尻尾で隠して、目の前の風景を視界に入れることを拒否していた。
「――なんだ、こりゃ………。」
あまりの惨状に言葉が出ない。
このフロアに立ちこめる血の匂いの理由がそこにあった。
なんと、そこから先、通路を埋め尽くすほどの死体が転がっていたのだ。
ぼんやりと光苔に照らされた死体の山。
まるで血の海のような通路。
足の踏み場もないほどに、そこには【死】があふれかえっていた――
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