川の神②
こぽっ……。
水筒に僅かに残っていた空気が泡となって抜ける。
そっと水筒を除きこむと、中は透き通った水が表面張力よろしく、溢れそうになりながらも入り口で溢れるのを耐えている。
しかし、俺が心配している波の乙女の姿は見えない。
俺との魔力のパイプは繋がっている感覚はある。
確かに、彼女はそこには居るはず。
「………ミズハ? 」
無事を確かめたくて、何度も名前を呼んでみるが反応はない。
くそっ!?
くそっ!?
なんで!?
川の神の事などそっちのけで、ただひたすらに水が満たされた水筒に魔力を注いだ。
その行為が波の乙女にとって良い事なのかもわからない。が、しかし、やらないではいられないのだ。
《 ―― お前、精霊使いか? なんじゃ、そこに波の乙女が居るのか? まったく、そんなになるまで精霊をこき使いおって! 》
古井戸の縁でちょこんと首を伸ばし、ナーガと名乗った小さな蛇が俺を怒鳴った。
その声にハッと我に戻るが、波の乙女の為に何をしていいのか判らず、必死に魔力を注ぎ続けた。
《 お前は病人にいきなりご馳走を食べさせるのか? 普通は身体に負担が掛からぬように、お粥など身体に優しいものから与えるじゃろうがっ! 》
小さな蛇は、俺を大声で怒鳴りつけながら、俺の頭をその蛇の尾っぽを叩きつける。いつの間にか俺の頭の上へと移動したようだ。
俺の肩に乗っていたハニヤスも、何かオロオロとして慌てている。
《 なんとまぁ!? お前、精霊たらしか!? そのわりに精霊の扱いがなっておらんっ! 精霊を何じゃと思っておるっ! 》
一方的に叱りつけながら、ペシペシと頭を尾で叩きつけるナーガ。そのあまりの剣幕に、俺は魔力を注ぐ事をやめた。
するとナーガは俺の腕へとスルスルと降りて、水筒へ話しかけた。
《 可哀想に……。波の乙女よ、こんなになるまでこの者に使い潰されるとは。全く、世人とはかくも愚かで、残酷な存在よ。己の欲にばかり貪欲で、己等以外の存在を使い潰す。まさに、悪魔よの。 》
叱られた子供のように呆けている俺を無視して、ナーガは水筒にクルりと巻き付くと、突然水筒の口の中に頭を突っ込んだ。
そして、次の瞬間、小さな水の塊を咥えて顔を出すと、またスルスルと古井戸の中へと戻っていく。
俺は意味が判らず、ハニヤスと顔を見合わせながら古井戸の縁から中を覗ききんだ。
すでに古井戸にあった水は消え去り、中ではナーガが小さな水の塊を優しく包むようにして抱えている。
《 おいっ! 精霊使いっ! お前のような輩にか弱い精霊を預けてなどやれんっ! ワシがこの子を癒して世界に戻してやるから、お前は早々に立ち去れっ! 》
俺に向かって怒鳴るナーガが小さな水の塊を軽くその舌で触れる。すると、ただの水の塊だった物が、小さな波の乙女の姿はへと変わった。
その小さな波の乙女は、目を瞑ったまま動かないが、確かにミズハに違いない。
俺はミズハに近寄ろうと、古井戸の縁に足をかけた。
《 来るでないわっ! この下郎っ! 精霊の命を使い潰す無頼漢めっ! これ以上、この子を使役などさせんぞっ! そこな土小鬼、お前もそんな輩など放っておいて此方に来い。そんな精霊を道具としか思っていない輩といれば、お前もこの波の乙女のようになるぞっ! 》
とんでもない言い掛かりなのだが、俺のせいでミズハをあんな風に弱らせてしまった事には間違いない。
仲間に裏切られ、絶望していた俺の為に涙を流してくれた優しい波の乙女。彼女を消える寸前にまでさせてしまっている事を言われれば、俺には返す言葉もなかった。
黙って言い返さないでいる俺に向けて、さらにナーガの罵倒が飛ぶ。
《 精霊たらしのくせに精霊をまともに扱わん。只人でもなく、悪魔のような輩など、まさにヒトデナシとはお前のような輩をいうのじゃ! 》
古井戸の縁に足をかけたまま動けない俺の代わりに、ハニヤスが否定するが、ナーガは全く聞く耳を持たなかった。
それどころか、ナーガは、ハニヤスに対しても「騙されるな」とか「うまく利用されてるだけ」とか、まるで俺を悪人扱いで捲し立てている。
あまりの罵詈雑言に、流石の俺も何か言わなくてはと口を開きかけた時、鞘に収まっていた精霊剣の魔晶から、炎のオーラが溢れ出した――
「―――!?」
《―――!?》
その様子に驚いたのは俺よりもナーガだったようだ。それも、特大の怒りを伴っていた。
《 ――なんじゃ!? お前、半神にまで上り詰めた精霊までも己の道具にしたのかっ! さては、ワシをお前の道具にする為にここに来たかっ! そうはさせんぞ……、お前のような輩にワシはくっしたりせんっ! 》
何か盛大に勘違いされているが、すでに俺の言葉などは耳に入らないようだ。
いくら否定の言葉や、言い訳を並べても、もはや俺への憎悪は消えそうもない。
みんな、進んで俺と契約してくれたし、ブリジットに至っては、彼女の希望を叶えてやったようなものなのに、それを説明してもまるで俺が嘘を並べたててるかのような反応しか返ってこない。
それどころか、ナーガの頭の上に、水の塊が浮かび、段々と大きくなっている。どうみても攻撃的な魔力を帯びており、その意思のベクトルは俺に向かっている。
どうしたらいい――
焦る俺が何も出来ずにいると、肩に乗っていたハニヤスが、精霊剣を鞘ごと俺の腰から引き抜いて、そのまま古井戸の中に飛び込んでいった――
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