一日千秋
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硫黄の匂いが漂うダンジョンの入り口に、私たちはテントを張っている。
彼が一人でダンジョンに挑んでから、丸1週間が経った。
どれだけの階数が存在しているのかはわからないが、待つ身の私にとっては、そろそろ我慢も限界にきている。
毒ガスが漂っているダンジョンが、どれだけ危険であるかは理解している。そんな所に彼を一人で魔物の巣窟へと向かわせてしまった事を、今更ながらに後悔しているのだ。
『――もし、換気装置が見つかって、上手く動かすことができたら、精霊に三人を呼びにこさせるから――』
彼はこう言っていたが、1週間経った現在も音沙汰は無い。
居ても立っても居られず、私たちは、その間なんとかしてダンジョンに入る手立てを考え続けた。
アリウムの【アンチバリア】と呼ぶ魔法障壁で周りを全て覆ってしまえば、ガスを吸わずに入り込めるのでは無いか――そう思って、ダンジョンの一階フロアにチャレンジもしてみた。
しかし、しばらく進むと、完全に遮断されているはずのバリアの中なのに、私もアリウムも目眩が止まらなくなってしまったのだ。
徐々に思考能力が落ちていき、とても彼を追いかけることなど出来ないと、流石に諦める事となった。
私たちが知らない現象――
もしかしたら、彼であれば、この謎の現象が起きた理由もわかったのかもしれない……。不思議な知識を持った彼であれば。
機械人形=ゴーレムに魂を移し替えられた後、少しだけ彼の過去……、前世について教えてもらった。
元の彼は、あの姿が表すように、中年の男性であり、妻と子を持つ平凡なサラリーマンというものだったらしい。
時折混ざる、私たちの知らない言葉は、彼が暮らしていた世界の言葉。私たちが知らない知識も、彼が元暮らしていた世界の知識だと言っていた。
今あるこの世界の理、常識とは全く違う世界からやってきた彼にとっては、才能やスキル、様々な種族や魔法、精霊などいうものとは全く無縁だったそうだ。
彼の元いた世界……、全く違う理が存在する世界とはとても興味深いのだが、残してきた家族の事を思い出す時にみせた彼の表情があまりに辛そうで、それ以上、彼の前世の世界について聞く気にはなれなかった――
悔しいけれど、私たちの知識ではあの毒ガスの充満するダンジョンを探索する方法は見つけられなかった。
しょうがなく探索を諦めてキャンプへと戻り、鬱々と彼の帰りを待つ事にする。
毒ガスを嫌ってか、キャンプ中に魔物が襲ってくることはなかった。ダンジョンに限らず、外の世界にも魔物はいるのにだ。
魔物たちにも種族差はあれど知識がある。野生の感のようなものもあるだろう。
つまり、魔物たちが近寄らないという事からしても、このダンジョンに立ちこめる毒ガスは危険なものなのだ。
「ソーンさんっ! こっちに来てみて下さいっ! ダンジョンから流れてくるお湯を溜めて脚を入れてると、めちゃくちゃ気持ち良いですよっ!」
ついこの間、初めて出会った白髪の少年は、その頃のような自信無さげに話す姿は見られなくなった。
聞き取れないほど小さな声で、ハッキリと結論に達しない話し方は、初めて出会う前の少年との差も相まって、私の気持ちを逆撫でしたものだったが、スパルタ的に魔物との戦闘を重ねて自信をつけたせいか、かなり性格が変わってきたようである。いや、本来、白髪の少年の性格とは、今あるあの姿が本来なのかもしれない。
「ちょっと待って! 今行くから。それにしても、いつの間にそんなの作っていたの? 驚いたわ。」
私は素直な感想を述べたつもりだったが、白髪の少年からは、何故か笑い飛ばされた。
「――ハハっ! いつの間にも何も、ソーンさんが心ここに在らずで、ボーっとダンジョンの入り口を眺めてばっかりいただけじゃないですか。ヒロさんが心配なのはわかりますがねっ!」
ん!? 何か、馬鹿にされたような……。
だいたい、心ここに在らずって……。
一人でダンジョンに向かわせてしまったのだから、心配するのは当たり前でしょ!?
そう言おうとした矢先、白髪の少年が話した言葉に打ち消されてしまう。
「ハハハっ! ソーンさんはわかりやすいんだから。だいたい、ソーンさんの気持ちが気づかれてないと思ってるのは、ソーンさんと、まぁ、その気持ちが向かっている相手だけですよ!?」
――!?
何を言っているの!?
私の気持ちって!?
何故か顔が熱くなるのを感じる。
おそらく、私は真っ赤な顔で物凄い変な顔になっていることだろう。
私の気持ち――そんなにバレバレかしら?
「――僕みたいな、引きこもりの根暗少年でもわかるんだから、そんなにわかりやすい事、無いと思いますよ。ハハハハっ!」
何か、とても恥ずかしい。
しかし、いかにも馬鹿にされっ放しでは悔しいので、近くにあった大きめの石を、白髪の少年が作り出した即席の足湯に投げ入れた。
ボチャーーンっ!?
「――あちあちっ!? ソーンさん、何するんですか!?」
油断して【アンチバリア】を張っていなかった白髪の少年は、熱めのお湯を頭から被ってしまい、怒っている。
ああやって感情を表に出せるようになったことも、きっと彼の成長なのだろう。
いや、今はそんな事より、白髪の少年の間違った認識を正す事が先決。続け様に近くに落ちている石を投げ入れた。
「やめて!? やめてください!? ごめんなさい!? もう、ソーンさんを揶揄ったりしませんから!?」
慌てて【アンチバリア】を張った白髪の少年は、手を合わせて私に頭を下げる。
「揶揄ったりしませんから」って、私はこの少年に揶揄われていたの!?
断然、私の心に火がついた。
このままでは、聖職者としての沽券に関わる。しっかりと更生させなくてはっ!
白髪の少年に説教のひとつでもしてやろうと、腕まくりしながら一歩踏み出した所に、テント脇で寝ていた古竜の叫び声が聞こえた。
「――ピっ、ピーー!?」
慌ててダンジョンの入り口に振り返ると、精霊たちを身体に乗せた中年の機械人形が立っている。
「なんだなんだ!? 楽しそうだな! 俺も混ぜてくれよ。」
白髪の少年に笑われるのは癪だが、まだ足湯に脚を入れたわけでもないのに、確かに私の体温が一段と上がったようだ。まあ、改めて後から白髪の少年には説教しなきゃいけないけれど。
まぁ、とにかく……
「――お帰りなさい。ヒロさん――」
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