忘れられたダンジョン
地図には記されていないダンジョン――
かつては悪なる神の使徒、ドワーフ王ダンキルが管理していた、世界から忘れ去られてしまったダンジョン。今、そのダンジョンには名前すらない。
そのようなダンジョンである。
もちろん、立ち寄る者などないない。
かろうじてそれと解る道の名残りを辿りながら、かつての【試練】のダンジョンの入り口にたどり着くと、その中からは湿度を含んだ暑い空気が溢れていた。
所々に空いた穴からは蒸気が吹き出し、そのせいで立ちこめる湯気の向こうは、熱気によって陽炎のようにユラユラと視界を揺らめかせている。
「蒸し暑いところですね〜。まるでサウナですよ。」
白髪の少年、アリウムがダンジョンの入り口手前で蒸気を吹き出していたが、不意に吹き出すのを止めた小さな穴を覗き込もうとする。
「――危ないっ!? 火傷じゃ済まないぞっ!」
中年人形の声にビクりと反応して、顔をこちらに向けると、次の瞬間、止まっていた蒸気が勢いよく吹き出した。
「あちっ!?」
無意識に展開した【アンチバリア】のおかげで、蒸気の直撃は避けられたが、その危険な温度は伝わったようで、アリウムは顔を守ろうと差し出した右手を抑えながら尻餅をついた。
「間欠泉みたいなものかな。このダンジョンは、至るところから温泉が吹き出しているようだな。」
薫ってくる匂いは、まさに硫黄の匂い。
火山ガスだろうか。それとも、硫黄泉でも吹き出しているのだろうか。
いずれにせよ、これだけの匂いが充満していると言うことは、下手をすると硫化水素による中毒死になりかねない。これでは、普通の人間では、このダンジョンを進むのは危険すぎるかもしれない。
「このダンジョンは、硫化水素、いわゆる毒のような成分で満たされている可能性が高い。毒に対する対策無しでは、普通の人間は入れないな。」
「そんな――、じゃあ、ダンジョン攻略は無理なの?」
ソーンは自分の知らない知識を話す中年人形に驚きながら、慌てて話しかけた。
せっかくの訓練場所も、侵入できないのでは意味が無い。これではわざわざ人里はなれたこんなダンジョンにまでやってきたのが無駄になってしまう。
「うーーん……、そう言われてもなぁ……。魔物相手なら対策もできるけど、空気までは……。」
精霊が存在し、魔法が使われるこの世界に、化学の概念があるようには思えない。
しかし、空気を吸わなくては生き物が生きられない事実は前世の世界と同じであり、それならば防毒マスクのような道具でもない限り、危険すぎてダンジョンの中に仲間を入れるわけにはいかない。
ただし――
「多分、俺と精霊たちは大丈夫だと思うから、ここから先は俺と精霊たちだけで行こうと思う。」
「――はあ!? なんで、そんな事言うの? あなたは毒が平気だとでも言うの?――あ……。」
思わず口を押さえたソーンに、俺は苦笑いで答えた。
「そうなんだ。俺は機械人形=ゴーレムだから、呼吸とかしてないんだ。だから、毒の空気を吸ってしまう心配はない。」
ソーンは俺の答えを聞くと、少し悲しげな表情を浮かべた。だがすぐに、いつもの凛とした表情に切り替わって反論する。
「もしそうだとしても、あなただけを危険なダンジョンに進ませるわけにはいかないわ。ここは一旦引き返して、師匠たちに別の訓練をお願いするべきだわ。」
「僕もそう思います。それに、僕とソーンさんの訓練にならなくなってしまいます。」
アリウムはこれみよがしに両腕を組みながら、呆れたように、大袈裟にため息をついた。
近頃続けているダンジョンでの訓練で自信がついたのか、以前のようなオドオドした態度は見られなくなってきている。これは、彼にとって、とても良い傾向だろう。
しかし、ここは折れてもらうしか無いと思っている。
なぜなら――
「たぶん、師匠たちは時間が無いと感じているんだと思うんだ。そうじゃなきゃ、こんなに無理矢理の強行スケジュールでの訓練をさせるわけがない。」
ダンジョン=レッチェアームで吸血鬼王が襲われた事、古竜王の卵が強奪された事、リンカータウンが襲われた事、どれも狐憑きの連中――混沌王ヒルコの分身たちが直接動いて起こした事件だ。
もっと言えば、ナギとナミが使徒の眷属になるきっかけも、狐憑きたちが原因である。
徐々にヒルコの仕掛ける攻撃の規模が大きくなってきている。時間が経てば、さらに大きな攻撃を仕掛けてくる可能性は否めない。
いまいち、ヒルコの目的はハッキリとしないのだけど……。
「とにかく、ダンキル様の話では、このダンジョンは火の属性が高いらしいから、サクヤの進化に好都合なはずなんだ。だから――」
「――まってヒロさん。毒が立ち込めていると言うけど、ダンキル師匠が管理していた時はどうしていたの? 師匠だってこの中で生活していたはずでさょ? 」
なるほど、言われてみればその通りか。
もしかしたら、換気装置のような物があるのかもしれない。
なにせ、森の女王と並ぶ発明家だし。
「わかった。じゃあこうしよう。師匠が作った換気装置のようなものがあるのかもしれないから、俺と精霊たちが先行してダンジョンに入って、その装置を探してみるよ。もし、換気装置が見つかって、上手く動かすことができたら、精霊に三人を呼びにこさせるから。」
「ピギャっ!?」
自分も残されると思っていなかったのか、古竜の子、ニールが口をポカンと開けて驚いている。まだ身体は小さいが姿は立派な竜なのだから、もう少し威厳を身につけてもらわないとな。
「ソーンさん、アリウム、ニール、少しの間、ここで待っていてくれ。」
無理矢理三人を納得させて、俺はダンジョンの入り口を潜った。
さぁ、1人(いや、一体か……)と5人のスパルタ特訓の開始だ――
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