無形の混沌⑦
街の広場で『劇団 小さな箱』の公演を終えた時、誰も居ないと思っていた広場の中央から、小さな拍手が聞こえてきた。
「――凄いっ! 凄いですねっ!」
馬車に向かって歩きながら、興奮したような大きな声で話しかけてくる少女。人の形に姿を変えていたヒルコは、怪訝な目でその少女を見ていた。
「――みんな、自ら何かを創り出そうなんて発想しなくなっているのに、あなたは素晴らしい演劇を作り上げている! こんなに感動したのは久しぶりですっ! ありがとございますっ!」
少女は、尚もヒルコ達を賞賛する。返事もしないヒルコに構わず、いつの間にか目の前にまで近づいていた。
「――テラ様が始めた『楽』プロジェクトの弊害をものともせず、しっかりと自らの力で演劇という、他人の為の娯楽を創り上げるなんて、あなた方の精神力は素晴らしいです。」
狐のような耳をピョコピョコ、ふさふさの尻尾をユラユラ、上機嫌なのか、頬も紅潮しているように見える。そう、『劇団 小さな箱』の演劇に感動している観客と同じような反応なのだ。
しかし、話している内容からすると、ヒルコの演じた劇に感動しているといより、演劇をしている事自体に感動しているようだった、
「……こうやって、他人の為に動ける方々が居るうちに……、自分の欲を満たしきって、何もかもやる気を無くしてしまった者だけにならないうちに……。」
ヒルコを目の前にしながら、自らの考えに没頭している少女。ぶつぶつと、独り言を言い続けている。
「……やはり、なんとかしてテラ様を説得しなくちゃ……。このままじゃ、みんな何も考えない人形と同じになっちゃうもの……。」
ヒルコの扱う人形を見つめて、両手の拳を握りしめた少女。キリリとした巫女姿ではあるが、その華奢な身体は如何にも頼りなくみえる。
しかし、その瞳に宿る確かな決意は、ヒルコにはヒシヒシと感じとれた。
(――この少女は、決意を持って、何かをやろうとしているのだろうか?)
ふと、周りを見回すヒルコ。
相変わらず誰も居ない広場。
争いはなくなり、他人を害する者はいない。
しかし、他人を慮る者も居なくなり、意欲を持って何かに挑もうというものも居なくなった。
何が正解で、何が失敗なのか……、何が正義で、何が悪なのか……。
恐らく、100%絶対というものはあり得ないのだろう。だからこそ、最善を目指すべきなのだ。
太陽神は、彼女なりに問題を解決した。しようと努力したのだ。
しかし、その結果、新しい問題が起こったのは明らかである。その新しい問題を解決する為に、また努力すれば良い話しなのだが……。
だがしかし、その新しい問題に気づかないのか、それとも、気づかないふりをしているのか、そこを解決しようと動かない太陽神は、それこそが問題なのだろう。
(――自分で気づくのが最善。もし、自分で気づけないのなら、他人から教えて貰えばいい。その上でどう動くかだろうな。)
長い長い時を過ごし、様々な人々を観察して、さらに自ら『劇団 小さな箱』として、人々の中に深く溶け込んできたヒルコは、太陽神からの声かけを待ち望みながらも、問題について理解している。
もし、太陽神に力を貸すように頼まれれば、喜んで粉骨砕身、少しでも役に立てるように頑張りたいと考えているのだ。
でも……。事実、太陽神からの呼びかけは、何百年待ち続けたところで、無いのだろうともわかっているのだ。だから……。
……もし、目の前で独り言ちる少女が、もし、太陽神の間違いを正そうと動くならば、自分も役に立ちたいと考える自分がいる。
それが、ずっとずっと思い続ける太陽神の為になるかもしれないと……。
(――テラが気づけないのならば……、僕が気づかせてあげられたなら……、テラの役に立てた事になるんじゃないだろうか……。)
家族――、兄妹――、ヒルコが、太陽神とそんな関係を望むのだとしたら、自分が太陽神の間違いを正して、導くべきなのではないか――
話すことができないヒルコは、突然、少女の目の前で人型の変身を解いた。
その場に残ったのは、馬と馬車と小さな箱、そして決まった形を持たない無形の混沌――透明なスライムだけである。
その変わりように驚く少女を尻目に、スライムはさらに、その身体を文字へと変形させた。
「ぼ.く.に.も.て.つ.だ.わ.せ.て」
突然のヒルコたちの変化に驚きながら、表現された文字を読み上げる少女。最後まで読み上げると、少女は可愛らしく笑った。
「私はウカ――狐神のウカ。太陽神テラ様に使える豊穣神の末席に名を寄せるものです。」
両手を胸に寄せ、無形の混沌を前に決意を述べる。
「――私は、テラ様に滅びに向かって進んでいる世界の現状をお伝えして、なんとか問題を解決していただけるようにお願いするつもりです。もしあなたが私の手伝いをしていただけるのであれば、あなたも、今世を知る証人として、私と一緒にきていただけますか?」
こうして、太陽神からの呼びかけを待ち続けた無形の混沌は、狐神ウカに付き従い、自らの思いを伝えるべく、神々の神殿へと向かう事になった――
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