無形の混沌⑥
太陽神が『楽』プロジェクトを始めてから、かなりの年月が経った。
あれほど多かった争い事が無くなり、世の中は個人個人、それぞれが、それぞれに必要な物を自由に入れ、何不自由のない生活に満足していた。
危険に怯えることもなく、汗水流して苦労する必要もない。空腹を感じることもなく、娯楽に困ることもない。
まさに、世界は与えられた大きな恩恵に、浸り続けていた。
♢
ヒルコは、世界の常識が180°変わったこの世界で、実はまた孤独へと押し戻されつつあった。
誰もが自分の好きなように楽しめる世の中……。
これによって、娯楽に対する人々のスタンスが変わってきたのだ。
個別に、個人の自由な楽しみが、ただ願えば叶えられる。
これは、その個人そのものにおいては、これ以上ない喜び。他から文句を言われる事もなく、ただただ自分の好きな事をやれるわけで、なんの遠慮もいらない遊び。
そんな世の中では、『劇団 小さな箱』が創り出す演劇を求める者はどんどん減っていく。
どんなに、素晴らしい芸術や、エンターテイメントだとしても、その本人が最も望む娯楽には勝てない。
最適、最善、最高………。
その本人にとって、最もと名のつく娯楽が簡単に手に入れば、他に目が向くことなど無い。だって、自分が良いと思えば、それで良いのだから。
ヒルコは悩んだ。
――僕があれ程までに望んだ他との繋がり。今、何でも希望が叶うこの世の中では、繋がりは必要ないの?
自分が他との繋がりが無くなっていく事も悲しいが、それ以上に、他の人たちが、他との繋がりを必要としなくなっていく事の方が悲しかった。
――だって、一人は寂しいよ……。
それに気付けない程に、自分の事に夢中だなんて、それに気づいた時、どうなっちゃうんだろ。ヒルコは自分が苦しみ続けた寂しさや、悲しさと言った感情を思い出して、その身を固くした。
♢
他に興味がない世界――
しばらくこんな時代が続くと、無限ともいえる寿命を持つ長命種の種族に異変が現れる。
その場から動かず、その場限りで生活できる世の中を長い長い年月過ごし続けた長命種たちは、いつからか堕落し、成長を止めてしまった。
長く生き、常に成長し続けるはずの存在が、石のように、ただそこにいるだけの存在に変わっていく。
新しいものを求め、新しいものを手に入れる為に自身の能力を高める。その繰り返しを持って成長することが、生物の本来の成長とするならば、望むように何でも手に入る世界は、その者が成長する機会を奪ってしまったといえるのだろう。
長命種――繰り返し成長する時間を許されたはずの存在がその成長を止め、停滞する。
おそらく、ヤル気など消え去って、快楽に浸り続けてしまい、思考が停止してしまった……。
もうすでに、気力を保てなかった個体から、朽ち果てはじめていたのだ。
――一人が寂しいと思う事もなく、自分自身の存在すらも忘れてしまったのだね。
ヒルコは、最善とも思えた太陽神の『楽』プロジェクトが失敗だった事に気がつく。
誰しも、欲が満たされ過ぎて、欲という欲が無くなってしまうと、それ以上の欲を持てなくなってしまうのだ――
♢
初めの異変が始まってからは、その展開は早かった。
次々と滅亡する種族が現れる。
エルフ族、古竜族、神獣族、妖精族、吸血鬼族、鬼人族、etc………。
みんな何かに打ち込む事もなく、ただその場で一人満足に満足を重ねて、欲を無くし、遂には生きる欲さえ無くしてしまった。
もしかすると、欲の強い者ほど、その欲が満たされた事への満足度が高かったのかもしれない。
もしかすると、欲の多い者ほど、その欲が満たされた事の喜びが多かったのかもしれない。
もともと、何かをやろうという意欲の強いものから滅びていったのだ。
――支配する欲すら、自分の欲が満たされて得られる満足度が上がれば霞んでいくんだ。ある意味、争いを無くす為には、欲を満たすプロジェクトは最適だったのかも……。でも最善ではなかった……。
そんな滅亡への道へ突き進んでいく長命種を横目に、短命種たちの堕落はそこまで至ることは無かった。
短命種――長く生きられない為に、その身の成長を限度まで上げる前に死んでしまう。輪廻の輪に乗って、新しく生まれ変わったとしても、また初めからやり直しになってしまう。
それは、堕落においても長命種らのように、堕落仕切るところまでは至らず、また、新しく生まれ変われば、リセットされるという、悲しい誤算が良い方向に働いた為だ。
もちろん、大人になるにつれ、短命種であっても堕落は避けられない。しかし、落ちるところまで落ち切ってしまう前に、命を落としてしまうのだ。
――欠点が上手い方向に影響する事もあるのか。面白いな。
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