氷狼
(……太陽神はまさにクソ野郎だが、そのクソ野郎を全肯定する海神も、2人を諌められない月神も、やっぱりクソ野郎だ……)
氷狼は、長身猫背で常にポケットに手を突っ込みながら、吸血鬼王と森の女王の言い争いを聞いている。だが、彼は、その細い目をさらに細くして、何も無い天井を睨みつけていた。
♢
氷狼フェンリル。神獣族の王だったこの男は、太陽神テラがやり始めた『楽』システムを、当初はかなり評価していた王である。
見かけによらず、かなり情に熱いこの男は、家畜のように扱われていた人族に同情していた。
最弱、短命、それだけでも不幸な存在であるのに、短命であるが故に能力の限界まで成長する事ができない。
数はすぐに増えるが、能力を受け継ぐわけではない為、やはり最弱のまま。
こんな不幸な存在も、『楽』システムのおかげで玩具にされることはなくなり、家畜として食料扱いされることもなくなったのだ。なんと、素晴らしいシステムなんだろう、当初はそう思っていた。
しかし、何の努力も必要無くなった仲間たちが、成長する事を忘れ、次々と退化していった。神獣とも呼ばれた一族が、ただの獣に成り下がっていく。肉体の強さも、精神的な高潔さも、自身が堕落していくと、そのたくましい筋肉は贅肉となり、明快な頭脳は呆けてしまう。これでは、かつて哀れに感じていた弱小種族にすら劣ってしまう。
そんな仲間たちの姿に危機感を抱き、原因を調べていくうちに、実は『楽』システムにこそ、その原因があると考え至った。
何もしなくても贅沢できるという事は、決して、頑張ったり、苦労したりしなくて良いというわけではない。しかし、自分自身を相当に強く戒めなくては、やはり『楽』な方へ流されてしまう。
これは、生物……いや、神々であったとしても、抗えない相なのではないだろうか――
氷狼は、神獣族の王として、システムを作った太陽神に対し、簡単に『楽』を享受できるシステムは、直ちに止めるべきだと進言した。
「このまま『楽』ばかりしていたら、堕落したただの肉塊となってしまうだろう。『楽』できる部分を制限し、メリハリをつけるべきだ。こんなシステムを続ける事は馬鹿げている。」
すると、この進言に対して、それまでニコニコと話を聞いていた太陽神は急に顔色を変え、怒り狂い、氷狼に厳しい罰を与えた。その理由は、神々への侮辱……。
その罰は熾烈で、死んだ方がましではないかと思われるような責苦を負わされた。さらに、太陽神の怒りにプラスして、海神までもが太陽神を侮辱した事への報復を唱えたのだ。
海神が氷狼に対する罰の執行で、肩で息をするまでに疲労した頃、やっとそばに居た月神がその暴力を止めた。それによって、なんとか命だけは助かり、この受けた暴力を持って、太陽神への侮辱に対する罪が帳消しにされたのだ。
氷狼は死にかけのまま、神々の神殿の外に放り出された。腫れた顔で空を見上げ、しばらく呆然としていた。
なんと理不尽であろうか。「間違っている」、「変えた方が良い」、そんな進言すら聞く耳も持たずに罰を与えるなど、こんな神ならこちらから願い下げである。
しかし、神々の力に逆らう事ができないことは、先程見せつけられた海神の力だけでも身に染みてわからされた。正直、恐怖を身体に染み付けられだと言って良いだろう。
このまま、この場で動けないまま朽ち果てるのだろうか……、そう思って諦めかけていた時、そこに月神ヨミと豊穣神ウカがやって来た。
「――助けられなくてごめんなさい。たぶん、テラ様も自分のやり方が失敗している事に気づいているのだと思うの。でも、プライドが邪魔をして、簡単に認められなくなっているのだと思う。」
巫女姿の少女は、ボロボロの氷狼の手当てをしながら涙を溢していた。
月神は、しばらくは目を瞑ったまま立っていたが、少女により氷狼の命が助けられた事を確かめると、そのまま何も言わずに神殿へと帰って行った。
「――でも、このままじゃダメよね……。誰ががテラ様を諌めて、世界を良い方向に向かわせないと、そのうち全種族が滅んでしまう――」
誰に話しているのか……。
しばらく空を見上げたまま少女の話を聞いていたが、この言葉は少女が自分自身に言い聞かせていることに氷狼は気付く。
――そうか、この娘はこの世界をなんとかしようとしてくれているのか
自分の力では世界を変える事は出来なかった。
ならば、この少女の行動にかけてみるか……。
どちらにせよ、このままでは神獣族だけではなく、この世の中の全ての種族が滅びてしまうだろう。
「――女神さん……。俺にあんたの手伝いをさせて欲しい――」
氷狼は、とても心細い声で少女に声をかける。
ついさっき、天上人から理不尽な暴力を受けたばかりなのだ。
同じ神という立場にある少女が、同じような理不尽に走るかもしれない恐怖もあったし、神が神獣などに自分の手伝いなどさせるだろうか、という不安もあったから……。
しかし……、
「――ありがとう。私も頑張ってみるわね。だから――、お手伝いお願いできるかしら?」
それ以降、氷狼は、豊穣神ウカの手伝いを続けている――
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