2人のナナシ③
少年は、手にしていたスプーンを置き、テーブルに着いているメンバーを見まわした。
メンバーたちも、それぞれに身を正して少年が話し始めるのを待つ。
「……あ、あれは、ダンジョン=リンカーアームで『アイリス』の皆さんに助けていただいた時でした……。」
あの日、荷物持ちのポーターとして、3人組のパーティーと契約し、ダンジョン=リンカーアームで素材集めをしていた際、3人組の非行によって、ダンジョンの裂け目に落とされたのだという。
その話については、あの日にライトとソーンは聞いてはいたのだが、実際には少年の話を信用はしていなかった。
大体にして、あの高さの崖を落ちて助かるわけがない。
魔物が跋扈するダンジョンの中を力を持たない少年が生き残れる訳がない。
そして、少年が魔物の子供と呼ばれて蔑まれていた事を知っていた――からだ。
この事については、未だにライト、ソーン2人とも後悔し続けている。
今ならば、少年が、彼の才能の力で耐えきることができると信じられる。しかし、あの時の自分たちは、まるで少年を信用しなかったのだ。それは、知らなかった事と知っていた事、それぞれが悪い方向に働いていたと言えるのだが……。
だから、2人は少し苦い顔をしながら、少年の話を聞き続けた。
「……が、崖から落ちた時、すっかり気を、う、失っていた僕は、目覚めた時には、ひ、ヒロさんと入れ替わっていたんです。何か、僕自身は、身体の中から外の世界を覗いているような、そ、そんな感覚でした……。」
そこからは、ずっとヒロの活躍を眺めていたのだと言う。ヒロは、ケインと出会い、コツコツと努力を続け、そして、自身に授けられた才能の意味に気付いた時、突然、ヒロがアリウムの存在を認識するに至ったのだというのだ。
それまでは、ヒロは自分が完全にアリウムという存在に成り代わってしまっているものだと思っていたが、その時から、アリウムを認識し、アリウムに名をつけ、そして、アリウムをなんとかしたいと考え始めたのだそうだ。
「――あなたは……、アリウム君は、ヒロ君に身体を乗っ取られていたという事なのかしら?」
ソーンが疑問を口にする。
「……う〜ん……、乗っ取られたと言えば、そうなんでしょうけど、ぼ、僕はヒロさんに主導権を返さなくて良いと言ったから……。」
正直なところ、まだ、12歳という年齢だといのに、ナナシとして生きてきていた人生に絶望していたのだと言う。
いじめ……、なんて簡単な言葉で済ませられたら、とてもじゃないがやりきれない。そんな、虐げられ続けた人生から逃げられるならば、と思ってしまった。
そう、冒険者になって一旗挙げると言う目標を持ちながらも、いじめという理不尽な悪意から逃れる事ができると思った時、ヒロに任せれば、自分は辛い思いをしないで済む、と、本気で思ってしまったのだ。
「――だ、だから、ある意味、ヒロさんがナナシとして生きてくれる、ナナシに向けられる、り、理不尽な、あ、悪意を僕の代わりに受けてくれる……、そう思ってしまったから、ひ、ヒロさんが僕に変わってナナシになる事を、無条件に、う、受け入れていたんじゃないかと思うんです……。」
理不尽に向けられた悪意。仲間たちにも想像のつかない程の悲しみを、ナナシは抱えていたのだろう。
「――もしかすると、誰かに、こ、この辛い人生を変わって欲しい……、そう願っていたから、ひ、ヒロさんが、ぼ、僕の中に産み出されたのかもしれない、そうも思うんです。」
ライトとソーンは、天井を見上げている。
この少年を悲しませる一端を担っていたと思うと、何度でも懺悔したくなるのだ。
「――じゃあ、あなたは、アリウムとしてでは無く、ヒロ君として生きている事に対して、不満は無かったと言う事なの?」
アメワは、不思議に思ってしまったのだ。だって、命を落としてしまったカヒコは、もっと生きたいと思っていたと思えるから。生きているのに、死んだように生きる。アリウムが話している事が、アメワにはそう思えるのだ。
「――生きたくても、生きられなかった人もいるのに……。」
しかし、そこまで言いかけたアメワに、アリウムは今までの話す様子とは違い、明らかに怒気を孕んで言葉を被せてきた。
「――アメワさん、あなたは、死にたいと思ってしまうほどの悪意を浴び続けた事はありますか? ないでしょう? 毎日、毎日、毎度、毎度、顔を合わせる全ての人から魔物の子供と蔑まれ、石を投げられ、略取され、存在することすら否定される……。そして誰も助けてはくれない……。」
メンバー全員が、強い口調で捲し立てるように話す少年を息を呑んで見つめた。
「……その辺に転がっている石の方が、まだ存在を許されているような感覚。ダンジョンの魔物ですら、魔石を残す分、人の役に立っているのではないかと言われる屈辱……。」
次々と明かされる少年の気持ち。信じられないが、きっと、これは彼の日常。誰一人、自分の味方ではない感覚。こんなにも恐ろしいことがあるだろうか。
「――みんな、簡単にただのイジメだよ、なんて言って済ますけど、イジメって、何? 人の物を奪い取れば窃盗や強盗。人を傷つければ傷害。犯罪でしょ? ましてや人の心を傷つけ、挙句に殺すんだ。これは殺人だよ……。実際、僕は、自ら命を断つことも考えたんだから……。」
もう、誰も何も言えない。
「――そして、一番悔しいのは、イジメをした方の人間は、簡単にそれを忘れてしまうこと。やられた人間は、絶対に一生忘れない……。受けた心の傷は、絶対に癒えることなどないのに……。」
ここまで話し終えると、少年はふぅ〜っと、大きく息を吐いた。それに合わせて仲間達も合わせて息を吐く。少年のあまりの迫力に、一同、呼吸をすることすら憚られていたのだ。
「――でも、ヒロさんは、少し違ったんです――」
自分を落ち着けるようにコップの水を飲み干し、少年は、再び話しはじめた――
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