勝利
「――ヒロ兄っ!」
「――ヒロ君っ!」
「――ヒロ殿っ!」
「――ピピーっ!」
ほんの少し遅れて、仲間たちの声が聞こえてきた――と、同時にナミが飛びついてくる。
ベルは、身体を起こし、今度は少年の右手を握った。
「……まったく、あんたは無茶ばっかりして……。私が居ないと本当ダメなんだから……。」
「――ほんとよっ! ヒロ兄が一人で走り出した時、私やアメワ姉がどれだけ心配したとおもうのよっ!」
「――そうよヒロ君。ナミなんか、君の姿が見えなくなった途端、泣き出しそうだったんだから。」
「あはは、そうですな。アメワ殿も、ナミ殿も、ヒロ殿の不在が相当不安だったようですぞ。ヒロ殿も罪作りな男ですな。」
「――ちょっと、ギースさん!? 」
「そ、そ、そ、そ、そんなことないってばっ!?」
オークの山に閉じ込められている間、真っ暗な中、ただただもがき続ける事しかできずにいたというのに、今、この場所は賑やかに優しい仲間の声で溢れ、先程までの先の見えない苦しみが嘘のようであった。
「………みんな、ありがとう。」
仲間の誰一人欠けていない。
あれだけの魔物の大群を相手にしながら、奇跡のような勝利である。
「――ヒロ君。君は、とんでもない事をしてくれたよ。」
ゆっくりと歩み寄るサムギルド長が、やれやれといった顔で自分の後ろを指差した。
彼の後ろには、フィリアを始めとする冒険者ギルドの受付譲や、魔晶職人見習いのマレット、いつも仏頂面で愛想の悪い道具屋の主人に、なんと、俺をいつも罵っていたパン屋のおばさんや、俺を追い出したアパートの大家までいる。
冒険者の面々は疲れた顔で座り込んでいるが、衛兵や、傷だらけの国軍の兵士までがこちらに向かって敬礼していた。
「――ベルさんがね、街の皆んなをまとめて連れて来てくれたの。みんな、街の為に頑張ってくれてる国軍の皆さんや、冒険者の皆さん、そして、危険を顧みずに魔物の群れへと飛び込んで行った貴方の為に、一人一人、ベルさんの呼びかけに応じて、ここまでやって来てくれたのよ――。」
なんと言うことだろうか。
あれ程までに、俺の事を蔑み嫌っていたリンカータウンの住民が、危険を顧みずにこの場に駆けつけてくれたのか。
俺は、フィリアさんの話してくれた説明が、俄には信じられなくて眼をしばつかせていた。
「――ベルさん、君は凄いな〜……。こんなにたくさんの人の心を動かせるなんて。僕にはとても考えられなかったよ。」
「……何言ってるのよ。あんたが、散々いじめられてたっていうのに、そのいじめてきた相手を助けようなんて事してるから、流石のいじめっ子たちも反省したって話なだけでしょうよ。」
良くみれば、街の住人達は、すでに魔物の群れを退けた事による高揚感が消え、なんともバツの悪そうな表情になっている。
今まで俺にしてきた事を思い出して、自分たちを恥じているのだろうか。後ろを振り向いて、すでに、街へと歩き出しているものもいる。
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「――だから言ったでしょ。あなたの事は誰かが見ててくれるよって。因果応報。悪い事をすれば悪い事が。いい事をしていたらいい事が返ってくるものなのよ。あなたは、良いことをやり続けてたってだけ。良かったわね――」
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俺の手を握る妖精の顔が、いつも思い出される前世の奥さんの顔と重なる。
――あぁ、そうだね。人に悪意を向けずに頑張ってきて良かったよ、
脳に酸素がまわり、魔力が回復し始めたのか、徐々に身体が楽になってくる。ようやく身体をお越して、空いた左手でナミの頭を撫でてやる。すると、びっくりしたようにナミの身体が跳ね上がった。ナミは、体力的には、まだまだ余裕がありそうだ。
「――ほほぉ〜っ、よくやったじゃねえか。」
突然目の前に現れた氷狼が、左手をポケットに突っ込みながら、俺の前に3枚の狐の仮面を放り投げた。
「――とりあえず、ヒルコの分身体は、始末しておいたぜ。すまんが、命を助けるなんて余裕はなかったからな。文句は言いっこ無しだぜ。」
彼は人知れず、この厄災の大元を潰してくれていたのだ。どおりで、後ろに続いていた魔物の群れが霧散しているはずだ。おそらく、煽動者が居なくなり、各々、好き勝手に何処かへ行ってしまったのだろう。本来なら、こんな風に統率が取れている筈はないのだ。
各地に散ってしまった魔物たちを討伐する必要はあるだろうが、それは今向かって来てくれているだろう、国軍の本隊に任せよう。
俺は、クレージュと握手を交わし、その後の始末を頼んだ。彼も相当疲労していたが、心良く引き受けてくれた。流石、指揮官を務めるような人物である。
♢
ヒョコっと、氷狼の脇に霜男=ジャックフロストのフユキが顔を出した。小さな雪だるまのような見た目で、表情はなかなか読み辛いが、彼もだいぶ心配してくれていようだ。
「――俺は先に行く。霜男はお前に返しておく。どうにも、こいつ、お前の魔力が恋しいらしい。」
そう言って、氷狼は霜男を残して姿を消した。
火蜥蜴、土小鬼、波の乙女、霜男の4人は、俺の側でワチャワチャと喜びあっているようだ。
「――みんな、ありがとうな。おかげでなんとかなったみたいだよ。」
精霊たちに礼を言って、俺は立ち上がった。
街の住民たちは、すでに街へと帰り始めている。
こんなにもたくさんの人が、力を合わせて魔物の大群を退けたのか。
俺は、人間同士の絆の力も捨てたもんじゃないな、と独りごちる。だって、あの人々は、種族も性別も年齢も関係なく集まり、協力しあい、そして大きな成功を成し遂げたのだから。
サムとフィリアをはじめとする冒険者ギルドの面々が、俺たちに手を振りながら街へと帰っていく。
その傍には、孤児院の仲間だったマレットもいた。
「――さぁ、俺たちも帰ろうか。」
重大なピンチを切り抜けて、曇天だった空に、いつの間にか真っ赤な夕日が沈み始めている。その燃えるような真っ赤な空は、街へ向かって歩き出した俺たちも、紅く染め上げていた――