罠
事前に知らされていなかったライトとソーンは、突然のヴァンパイアロードの行動に、思わず身体を跳ね上がらせた。
「な、なにを!?」
進取の聖職者は、慌てて回復魔法を詠唱し始めるが、俺は彼女に向かって叫ぶ。
「大丈夫! 眷属化の為の儀式みたいなものです! すぐに終わります。」
俺の言葉を聞いても安心しきれなかったのか、ソーンは詠唱は止めたが、自らの武器である金属製の棒の手を両手で構え、歯を噛み締めている。
一方、ライトは落ち着いた様子で、「眷属化の為の入魂術を目の前でみれるとは……。」と、独り言を言いながらこちらへ近付いてきた。恐らく、彼の膨大な知識の中には、この行為に関する知識もあったのだろう。
その時間、10秒ほど。ナミちゃんの時より大分長いような気もするが、こちらはお任せしている立場だ。じっとして、その入魂術が終わるのを待っていた。
『……随分とヒルコに魂を食い潰されていたようだ。かなり、この娘の魂が痩せ細っている。だが、私の力を多めに注いだから、時間はかかるがいずれ回復するであろう。娘の魂の力が回復するまで、私の力が支えてくれる。ヒルコの分身体も、時期に私の力に食い殺される。まぁ、全部分身体を食い殺した時、この娘の身体は我が眷属となるのだがな。』
ナギの顔を見れば、頬がこけ、確かに疲れ切ったような顔をしている。ヒルコによる支配というものは、相当に、この少女へと負担をかけていたのだろう。身体が軽く感じたのも、その影響なのかもしれない。
「――ヴァンパイアロードよ感謝します。」
俺はナギを抱えたまま、吸血鬼の王に向かって頭を下げた。相変わらず吸血鬼王は無表情に口を一文字に結んでいて、その表情からは彼の心情を推し量ることは難しい。
『――ブラドで良い。フェンリルに私の名前を聞いているのだろ?』
吸血鬼王が俺の肩をポンと叩きながら言った言葉に、まさか、名前呼びを認められるとは思っていなかった俺は、ちょっとびっくりして、抱えた少女を落としそうになってしまった。声に出さずに頷いて肯定すると、吸血鬼王の口角が、少し上がったような気がした。
〈……オウサマ、ダイジョウブ?……カナリチカラツカッテシマッタ……。〉
それまで黙って肩に座っていた、嘆きの妖精=バンシーが、吸血鬼の王を心配する言葉をかける。可愛い人形を肩に座らせている厳つい王様という構図は、よく考えてみるとなかなかシュールな姿だ。
吸血鬼王は、そんな可愛い人形を肩から下ろし、キングスチェアの肘掛けに座らせる、そして、ふぅ、とため息をはきながら、自らも椅子に深く腰掛けた。
『――心配するな。ここの所、大きな力を使い続けてしまったからな。ちょっと疲れただけだ。白髪の少年よ、我が眷属の事、任せたぞ。なにせ、私の娘のようなものだからな。眷属になるということは、そういう事だ。まぁ、そうなると、差し詰めお前は私の孫のようなものか……うぐっ!!!』
一瞬、微笑みを浮かべた後、急に苦しみ出したヴァンパイアロードの姿に、その場にいる全員が戦慄した。彼の身体が、ボコボコと波打ち始めたのだ。頭以外の体中、何かが暴れているように蠢いている。
「――っ!? ブラドさん!?」
何が起きたわからずに、ブラドに近づけずにいると、彼は右の掌を突き出し、近づくなと叫ぶ。
『……ヒルコめ……、この狐憑きの娘に罠を仕掛けておったわ。入魂術を施す事まで計算に入れて、娘から私の中に、ヒルコの分身体が送られるようにしてあったようだ……。なに、心配するな、時期に治まる。力が弱っているとはいえ、私は不死身のヴァンパイアロードだぞ。分身体ごときにこの身を乗っ取られたりはしない………。』
〈……オウサマ、チヲワケテモラッテ、チカラヲカイフクシテ!……〉
嘆きの妖精=バンシーが、何やら慌てた様子で吸血鬼の王に話しかけるが、彼はその進言を拒絶した。
『……それはできぬよ。私はウカ様に誓ったのだから……。大丈夫だ。しばらく眠る事になるが、時間をかけてヒルコの分身体を消滅させる。嘆きの妖精=バンシーよ、真祖のヴァンパイア達が復活したら、彼等に命じて、私が動けるようになるまで、このダンジョンの防御を固めるように伝えよ!』
あまりの展開に、俺たちは声すらかける事ができず、ただただヒルコの侵食に抵抗する吸血鬼王の姿を見守ることしかできなかった。
『……すまんな、色々とお前たちに話してやるつもりだったが、しばらく眠る事になりそうだ。そちらの魔術師と聖職者よ。しばらく時間がかかるが、私が回復した後には、必ず真の歴史を教えてやると約束しよう……。』
そう言うと、一層険しい表情となり、自らの身体を抱きしめるように丸くなった吸血鬼王は、目を瞑って動きを止める。すると、今まで波打ち、蠢いていた身体は、すっと元の姿に落ち着いた。
『…… 嘆きの妖精=バンシーよ、お前は私との連絡役の為、その少年について行け。複数の精霊と契約できるようだから、お前も契約してもらうと良い。少年よ、頼んだぞ……。すまんが……、一度……、眠らせて……、もらおう………。』
そこまで言って、完全に動きを止めてしまった。
俺たちは、その姿を最後まで呆然と眺めているだけだった――