憂鬱なお見合い2
令嬢が扇子を閉じて、にこりとアーサーに笑いかけた。アーサーはその素顔を呆然としながら見ていた。見事な金髪に太陽のように輝く金の瞳が眩しかった。
「え、エステル嬢?」
思いがけない再会にたじろぐアーサーをエステルは愉快そうに見つめている。
「アーサー様。どうぞわたくしのことはエステルとお呼びください」
動揺していたアーサーは、だが、アドルフに小突かれて我に返り、エステルの手の甲に口づけを落とすと、席に座った。
「ずいぶん驚いた顔をなさいますのね」
アーサーは焦った。まさかお見合い相手の名前さえ知らなかったとはさすがに言えない。
「アーサー、シェーンベルグ公爵令嬢とは初対面ではないのかい?」
アドルフに訊かれ、返答に窮した。どこから説明していいかわからないでいると、エステルが答えた。
「この間のメルレー伯爵家主催の舞踏会のときにお会いしたのです。わたくしがザクセン公に追われているときに助けていただいたのです」
するとシェーンベルグ公爵が忌々しそうに舌打ちする。
「あの恥知らずの青二才が」
この国の元第三王子をシェーンベルグ公爵はそう評した。そしてこう続けた。
「知っているのなら話は早い。君には娘と婚約してもらう」
「…………は?」
わけがわからずに混乱した。たしかにお見合いというのは結婚を前提に行われるものだが、本来なら婚約するまでには話し合いを重ね、いくつもの手順を踏むのが普通だ。それをいきなり婚約しろと言われ動揺するなというほうが無理だった。
「うちの娘の何が不満だ⁉」
公爵がテーブルを叩き、テーブルから身を乗り出さんばかりの勢いで怒鳴る。アーサーは思わずのけぞった。荒馬のような公爵を窘めたのはエステルだった。
「お父様が一緒だと話がややこしくなってしまいます。わたくしはアーサー様と二人で話し合いますから、お父様は退席してください」
「だが!」
「いいから言う通りにしてください」
娘に静かにそう言われ、気勢がそがれたシェーンベルグ公爵はしおしおと席を離れた。アドルフも場の空気を読んで、席を立つと、シェーンベルグ公爵を邸の中に招き入れた。二人の姿が消えるとエステルが頭を下げる。
「騒がしい父で申し訳ありません、アーサー様」
「い、いえ……」
エステルを目の前にして、アーサーは自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「実は今、我が家に厄介ごとがふりかかっているのです」
「厄介ごと?」
エステルが愁眉を曇らせる。
「ザクセン公がわたくしとの婚約を正式にお望みなのです」
「え?」
「ですが、わたくしはザクセン公が大嫌いなのです。父も同意見です。けれど、このままでは王家の威光でわたくしは強引に婚約させられるはめになるでしょう。もう王族ではなくても、一応、元王子ですから」
アーサーは驚いた。貴族というのはもっと遠回しな会話ばかりする生き物だと思っていたのに、エステルははっきりと自分の意思を語った。ザクセン公を大嫌いだと言った。淑女の鏡と呼ばれる女性には不似合いな言葉だったが、不思議と彼女らしいとも思った。
「でも、すでに婚約者がいることにすれば、いくら王家の力があっても簡単に破談にはできないでしょう。少なくとも相手が、この国の重鎮であるジーニアス侯爵家の次期当主なら、王家も手が出せませんわ。ザクセン公がわたくしをあきらめるまでの間で構いませんから、アーサー様に助けてほしいのです」
「……つまりぼくに仮初めの婚約者になれということですか?」
「そう捉えてもらって構いません」
話が頭に浸透してきて、アーサーはようやく落ち着きを取り戻した。状況を冷静に考えることができるようになっていた。
「けれど、アーサー様さえよろしければ、ゆくゆくは正式に結婚するのもありだと思っていますのよ」
「!」
アーサーは思わず赤くなった顔を手で隠した。この結婚話をまったく嫌がっていない自分がいた。恋愛下手なアーサーが返答に困っているとエステルが悲しそうに眉を下げた。
「アーサー様はわたくしのことがお嫌いですか?」
「い、いえ、決してそのようなことは……」
「ですわよね。あんなお手紙をくださるくらいですから、きっとアーサー様ならこの提案を受け入れてくださると思っていました」
「へ?」
顔を上げてエステルと視線を合わせると、彼女は手荷物から一枚の便箋を取り出して広げた。そこには見慣れた文字でこう書かれていた。
『黄金の薔薇の君へ。
ぼくはあなたに恋い焦がれる憐れな虜囚です。今度、ぼくと一緒に恋の方程式を解きませんか?』
「うわあー!」
アーサーは衝撃のあまり悲鳴をあげた。自分で書いておいてなんだが、あまりの文才のなさに恥ずかしさのあまり悶絶してしまう。
「アーサー様はなかなかの詩人ですね。――わたくし、このお手紙を見てあなたのことがとても気に入ってしまいましたの」
エステルがくすくすとおかしそうに笑っている。アーサーはこの段階になってようやく目の前の女性が普通の令嬢とは違うことに気づいた。エステルは反応を楽しむようにアーサーを見ている。その視線は、アーサーを弄ぶ姉たちよりも性質が悪く危険に思えた。獲物を狙う狩人の目だ。アーサーは百年の恋も冷める勢いで決断した。
――この縁談は危険だ。
アーサーがとっさにお断りの返事をしようとしたとき、口元に閉じたままの扇子を当てながらエステルは言った。
「話を受けてくださるのなら、もちろんジーニアス侯爵家の借金もすべて我が家で清算するとお約束しますわ。もともとそういう取り決めですし」
アーサーは仰天した。
「は、我が家に借金? え、なんの話ですか⁉」
「侯爵様から何も聞いておられないのですか? それについては詳しいことはわたくしも知らないので、後でジーニアス侯爵に直接確認してください。――アーサー様も混乱なさっているようですし、今日はここで失礼します」
エステルはすっくと立ちあがった。立ち去りかけたエステルは振り向きざまに笑顔でこう言った。
「ではごきげんよう」
それだけ言うと、エステルはその場から立ち去った。
恐怖のあまりアーサーの頭からさっと血の気が引いていった。