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今さらの初恋2

 突然、鈴を振るような軽やかな声が響いてアーサーはぎょっとした。さっと顔を上げると大きな木の後ろから一人の令嬢が現れた。舞踏会の会場から漏れる明かりが少女を照らす。アーサーは思わず息を呑んだ。蜂蜜を溶かしたような金髪を頭の上で複雑に結い上げ、太陽のように輝く金の瞳に視線を奪われる。華やかなドレス姿の少女は、舞踏会に参加していた令嬢の誰よりも美しかった。


「……見ない顔ですね、どなたかしら?」


 少女が怪訝そうに小首を傾げたのでアーサーは慌てた。


「失礼。わたしはアーサー・エヴァンス・ジーニアス。ジーニアス侯爵家の長男です」

「……ああ、そういえば、ジーニアス侯爵家のご子息が留学から帰国していると噂を耳にしました

わ。あなたがそうなのですね」


 アーサーは我に返ると、少女の手を取り挨拶のキスをした。少女は優雅に礼をした。


「申し遅れました。わたくしは、エステル・フォン・シェーンベルグ。シェーンベルグ公爵家の娘です」


 アーサーは驚いた。シェーンベルグ公爵家といえば、何代か前の当主が王族で、今も王家とも浅からぬ縁のある一族である。


「あなたのような方がなぜこんなところに?」


 エステルがくすっと笑った。


「それはこちらの台詞ですわ。アーサー様のような方が舞踏会にいらしたら、さぞかし衆目を集めるでしょうに」


 アーサーはうんざりした顔でため息をついた。


「……それが嫌だからここにいるのですよ」

「では、わたくしたちは似た者同士なのですね」


 思いがけないことを言われて、アーサーは面食らった。


「え?」

「わたくしも舞踏会の会場が嫌で逃げ出してきたのです」


 エステルがおかしそうに微笑む。あまりの可憐さに、アーサーの心拍は跳ね上がった。この舞踏会の華のような少女もまたアーサーと同じように、貴族のしがらみが嫌でこんな場所に居るのだと思うと、たちまち親近感を覚えてしまう。

 そのときだった。


「エステル? エステル? どこにいるんだい?」


 知らない男の声が聞こえてくると、エステルがびくりと肩を揺らした。草木をかきわける音がして、誰かが近づいてくるのがわかった。どうやらエステルを探しているようだった。


「アーサー様、会ったばかりで申し訳ないのですが、匿ってもらえませんか?」

「え?」

「お願いします」


 エステルは怯えた表情を見せている。とても見捨てることなどできなかった。


「わかりました」


 アーサーはエステルの姿を茂みの奥へと隠し、背中で庇った。


「エステル?」


 やがて一人の男がアーサーの目の前に現れた。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。黒髪に銀の瞳をした涼しげな印象の青年だった。青年はアーサーを見ると、怪訝そうに眉をひそめた。


「君はこんなところで何をしている?」

「人ごみに酔いまして、気晴らしに涼んでいたところです」

「このあたりに女性が来なかったかい?」

「いいえ、見ていませんが」

「そうか。邪魔をして悪かった」


 それだけ言うと青年は立ち去った。


「もう出てきても大丈夫ですよ」


 エステルはほっとした様子で姿を現した。


「ありがとうございます。しつこくされて困っていたところだったのです」

「あれはどなたですか?」

「ご存じありませんか? ザクセン公です」


 アーサーは急いで記憶をほじくり返した。


「……たしか国王陛下の弟君でしたっけ? 陛下の即位と共に臣籍降下された方ですよね」

「そうです」


 アーサーは苦笑した。


「それはまた大変な方に気に入られましたね」


 エステルは肩を竦めた。


「ザクセン公にとってわたくしは物珍しいのでしょう」

「物珍しい?」


 エステルは木に寄り掛かって、少しだけ困った顔になった。


「わたくしは父の庶子なんです。しかも、母は女優で、巷ではそれなりに名の知れた存在だったので、ザクセン公だけでなく周りの殿方たちにとってもわたくしは物珍しい存在なのです。面白半分で近寄ってくる方がほとんどですわ。……けど、しかたありませんわ。貴族なんてそんなものですから」


 女優とは社交界では下賤な職業と見なされ、蔑まれていた。そのことはアーサーも知っていたが、彼は別のことを考えていた。


「ああ、だから……」


 言いかけた言葉をアーサーはとっさに飲み込んだ。


「だから?」


 エステルが小首を傾げて訊いてくる。二人の間にできた沈黙が気まずくてアーサーは口ごもりながら言葉を紡いだ。


「その……だから、あなたはこんなにも美しいのか、と思って……」


 自分で言っておいて恥ずかしくなる。するとくすくすと笑い声が聞こえてきた。


「アーサー様はお世辞がお上手なのですね」

「いえ、決してお世辞では……!」


 言いかけて、自分は何をムキになっているのだと焦ってしまう。


「やめてください!」


 ふいに耳に飛び込んできた悲鳴にアーサーは視線を上げた。舞踏会の会場から別の棟へと繋がる通路で一組の男女がもみあっていた。本日二回目のトラブルだ。


「そんな風に震える声すらも愛らしいよ」

「放して!」


 男はにやにや笑いながら女性に迫っている。

 男のほうは知らないが、女性のほうはアーサーがよく見知っている顔だった。


「シェリー……!」


 妹のシェリーが酒に酔った男にどこかに連れて行かれるところだった。アーサーは一目散にシェリーの元に走った。男の手を払い落としてシェリーを取り戻すと、アーサーはその背中にかばい距離を取った。


「うちの妹に何か御用ですか?」

「妹?」

「要件があるなら、ジーニアス侯爵家を通して正式に申し込んでください」


 男はおそらく社交界にデビューしたばかりのシェリーのことを知らなかったのだろう。アーサーは暗に家名を出して牽制したが、男にはきかなかった。


「侯爵家なんかくそくらえだ」


男は拳でアーサーに殴りかかった。アーサーはシェリーを背後にかばいながら、すっと拳をよけ、代わりに足を出した。男はアーサーの足に躓いて、勢いよく転んだ。せっかくの正装が泥にまみれている。よろよろと立ち上がった男は屈辱に顔を真っ赤にしてアーサーを睨んだ。だが、喧嘩を挑んでも動じない、自分より上背のあるアーサーに恐れをなして、男はさっと後ろに下がった。


「くそっ!」


 捨て台詞を吐くと男は一目散に逃げだした。アーサーはやれやれとため息をつくと、シェリーに向き直った。


「大丈夫か?」


するとシェリーが叫んだ。


「お兄様が悪いのよ!」

「……は?」

「付き添いできたくせにわたしの傍を離れるからいけないのよ!」

「舞踏会が終わるまで近寄るなと言ったのはお前のほうだろうが」


 呆れはてていると、シェリーは顔を真っ赤にして瞳に涙をためていた。アーサーはあっけに取られた。


「……もしかして、お前、泣いてるのか?」

「泣いてなんかいないわ!」


 いつもの高慢な口調でそう言いながらも、シェリーの目から大粒の涙がこぼれた。考えてみれば無理もない話だ。社交界デビューしたばかりの世間知らずの小娘が男にかどわかされそうになったのだ。さぞ怖かったに違いない。


「……悪かった」


 アーサーが謝ると、シェリーはつんと顎を逸らす。


「わかればいいのよ。まったく肝心なときに役立たずなんだから」


 シェリーが無言で手を差し出した。長年で身に付いた下僕体質のおかげでアーサーはすぐに意図を理解し、ハンカチを渡した。シェリーはハンカチで涙を拭っている。

しばらくしてシェリーが落ち着きを取り戻すころ、アーサーは背後を振り返った。先ほど語らった大きな木の下に金髪の少女の姿はなかった。



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