今さらの初恋
ギディオンに帰国してから半月が過ぎた。
アーサーは父の命令で某伯爵家の夜会に参加していた。
華やかな空気と紳士淑女たちのたてるざわめきに、ため息がもれる。
三年ぶりに味わう故郷の風はアーサーを暗くした。半月前のあの日、実家に戻ったアーサーを待っていたのは、姉たちの手痛い洗礼だった。
「あら、アーサー、しばらく見ないうちにいい男になったじゃない。まあ、うちの旦那には敵わないけど。けどあんたの取り柄って本当に顔だけね」
長姉のファビエンヌがアーサーを見るなり、不敵に笑った。嫁いだはずの姉がなぜここにいるのかと思えば、アーサーの顔を見に帰ってきたのだという。しかし、執事のフェントンの話では、ファビエンヌは義理の母との折り合いが悪く、しょっちゅう侯爵家に滞在しているということだった。
「アーサー、わたし、今度、話題のお芝居が見たいの。付いてきて」
下の姉のモーリオンが、三年ぶりに会う弟に言った言葉がそれだった。普通、淑女は一人では外出しない。そこで、付き添いをアーサーに命じたのだ。
——この姉たちは何も変わっていない。
深く苦悩するアーサーの隣に、妹のシェリーがやってきて兄の袖を引いた。
「ねえ、お兄様、今度、とある伯爵家主催の舞踏会でわたしのエスコートをさせてあげる。……もちろんわたしに恥をかかせないでよ?」
社交界にデビューしたばかりのシェリーは、仁王立ちしながらアーサーに言った。幼いながらも高圧的な姉たちに劣らない気位の高さを見せる妹を前にして、アーサーは愕然とした。三年の歳月が流れても実家は悲しいくらいに何一つ変わっていなかった。おまけに久しぶりに会った父は、アーサーに山のような見合い話を持ちかけてくる始末だ。結婚もまた父の跡を継ぐ以上、避けられないとわかっていたが、急にそんなことを言われても困る。
「今すぐ考えろと言われても無理です」
とアーサーは突っぱねていた。
横暴な姉たちを見て育った影響で、アーサーは女という存在に失望していた。結婚して残り少ない私生活まで妻となる女性に捧げないといけないと思うと憂鬱になる。
「はぁー」
舞踏会に来て一時もしないうちにアーサーは疲れ果てていた。妹のシェリーに付き添う形で参加した舞踏会だったが、最初のダンスで足を踏んでしまい、すっかりシェリーを怒らせてしまったのだ。
「もう恥ずかしいから、舞踏会が終わるまで近寄らないで!」
シェリーはつんけんしながら、アーサーから離れ、顔見知りの令嬢たちの輪に加わっていった。足さばきを間違えたのはシェリーなのに理不尽な話だと思う。その後、アーサーは三年ぶりに参加した舞踏会で、ジーニアス侯爵家と懇意にしている貴族たちの挨拶を次々と受ける羽目になった。
「まあ、アーサー様、すっかりご立派になられて」
とある子爵家の夫人がアーサーに好意的な眼差しを向けた。しかし、アーサーはなぜか居心地の悪さを感じた。
「アーサー様のいない社交界は本当に寂しいものでしたわ」
かろうじて顔を覚えていた某伯爵家の夫人が悩ましげにため息をついた。
「ところでアーサー様には心に決めたお相手がもういらっしゃるのかしら?」
伯爵夫人に真剣な眼差しを向けられ、アーサーは背筋が寒くなった。なぜ貴族の夫人たちがこうも自分と話したがるのかようやくその意図を理解したからだ。アーサーの周りに集まった貴族のほとんどが妙齢の女性を連れており、娘を紹介しようと躍起になっていた。つまりアーサーは娘の結婚相手を探す親たちから標的にされているのだ。たしかに年頃の娘を持つ親にとって資産家のジーニアス侯爵家の後継ぎの妻の座は魅惑的に違いなかった。そしてアーサー自身に自覚はないが、夜明け前の空のように青い髪と深い森の緑を宿した知的な瞳、そして堂々たる体躯もまた年頃の少女たちの興味を引いていた。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
アーサーはほとんど逃げるようにして舞踏会の会場を抜け出した。脇道に逸れ、誰もいるはずのない場所にやってきて深々とため息をついた。
「……これだから女は」
アーサーが将来受け継ぐ爵位と資産に群がる淑女たちの浅ましさに嫌気を覚えた。息苦しさのあまり、胸に手を当てた。
「何か嫌なことでもあったのですか?」