女難の相の男の旅立ち
アーサー・エヴァンス・ジーニアスは、今、人生の岐路に立たされていた。彼は三年前から故郷のギディオン王国を離れ、隣国に留学に来ていた。学ぶべきことも多く友人もいて、充実した生活を送っていたが、アーサーは歴史ある侯爵家の長男であり跡取りだ。いつまでも気ままに暮せないことはわかっていた。わかってはいたが、実家に帰るのが嫌で、ずるずると留学を続けていた。しかし、今朝届いた一通の手紙がアーサーを凍り付かせた。
——そろそろ家に戻って次期侯爵家当主としての務めを果たすように。でないと、仕送りを打ち切る。 父より――
いくら世事に疎い侯爵家の子息とはいえ今年で十八歳になるアーサーは、今の生活を維持するための金銭が自分でどうにかできるものではないことを知っていた。通っている大学では、金銭的なことを理由に学問を続けられなくなって退学した学友が何人かいたからだ。
「はぁー」
大きなため息がもれた。
侯爵家を継ぐことが嫌なわけではない。そのために育てられてきたから覚悟はしていた。ただ……。
「あの家に帰るのか……」
アーサーの実家は悪魔の住処だった。
幼い頃から傲慢な姉二人のおもちゃにされ、わがままで生意気な妹に振り回されてきた。他に男兄弟はおらず、母は社交にしか興味のない人間で、家にアーサーの味方は誰もいなかった。だから留学と称して家を出たのだ。正直言って帰りたくなかった。だが、父の命令は絶対だ。何より仕送りを打ち切られたら、家に戻るしか道はない。父はそれがわかっていてわざわざ仕送りのことを書いてきたのだと聡いアーサーはわかっていた。不定期に送られてくる父の手紙から、上の姉はすでに嫁ぎ、下の姉は婚約が決まったということは知っていた。妹は今年社交界デビューを果たし、完璧な礼儀作法を身に付けた淑女になったという。大丈夫だ、脅威は半分に減っていると何度も自分に言い聞かせながら、アーサーは荷造りを開始した。