塗りつぶされた肖像画
言葉に浮かぶ色をさ。メロディにのせるんだ。
しっかりと、でも丁寧に、確実に。
でもさ、メロディって時間が決まっているでしょ。サイズ感っていうのかな。
だって、いつまでもだらだらしてたら、聞いている方も疲れちゃう。
だから、ある程度制約のある時間の中で、しっかり聞こえるメッセージを、きちんと届けないといけない。
そのために、言葉から受ける感覚的な印象を、相手の耳に届く周波数に合わせないといけない。
知ってた?色って波長があって、人の目はその特定の波長を色として認識しているんだって。
でね、色には相関があって「補色」と「類似色」っていう関係がある。
音も色も波長だからさ、これを音の感覚に利用することで、より聞いてほしい、届けたいメッセージや盛り上がり方っていうのかな。
曲のメリハリがつくし、アルバムだと主題となる曲を際立たせることができるんだ。
そう、言葉から受ける感覚と、目で感じる色の波長を合わせて、それをみんなの耳に届きやすい周波数に合わせたメロディにのせる。
これが俺にとっての「音楽」なんだ。
例え、もう、言葉が聞こえなくなってしまっても。
本当に大切な人を忘れてしまった僕の手が何もつかめなくなっていても。
だけど伝えたい、作りたい音楽があるからね。
だから、どうか、どこかで俺の歌を聞いてほしい。
届かないと諦めてしまうと、動けなくなってしまうから。
『・・Pi・・・Pi・・Pi・PiPi・・・・』
うん?ああ・・・。
朝か。ここは・・・?平衡感覚がおかしい。
「ん・・・」
横を向けば、見慣れた、だけど大切で愛おしい、大好きな人。
顔を見るだけで、幸せで胸が苦しくなる。
「ああ・・・」
これは夢だ。もうこの愛おしい、幸せな時間は取り戻せなかった。
夢ならば、この後に起こる悲劇も喜劇も夢であれば、どれだけよかっただろうに。この愛しい温もりを失ってまで、生きている意味は、本当にあったのだろうか。
冷たい海の底で、酸欠にあえぎ、凍り付いた手足からの冷たさで、まだ温かく、感覚が残る心臓が「痛み」を訴えてくる時間を過ごすのは、もう耐えられない。
どうか、忘れさせてほしい。失った時間の中に埋もれさせてほしい。愛しい人に手が届く前に、伝う涙の質感で目を覚ます。
見開いた目が映す見慣れたテーブルには、女神様の欠片が置かれていた。
一度止まった足音を、もう一度鳴らす。
それは、想像していたよりもずっと重く、コールタールの水たまりから足を引っこ抜くようで。いっそ、このまま止まってしまいたいと願ってしまう。
それでも、歩くと決めた。
それでも、心が痛かった。