訊きたいことはたくさんあるけど
王都での一件は、ナターシャ達には話さなかった。幸い、転んだのだと誤魔化せる程度の擦り傷しかなかったし。
あの後、アルさんから帰り道に護衛をつけるかと申し出られたけど、断って、そこからどうやって帰ったかは……あまり覚えていない。
「最近、あのお客さん来ないわね。前に内覧した時に何かあった?」
「んー……特になかったと思うけど」
「ロゼッタに思い当たる節がないなら、あたし達はお手上げね。惜しいわぁ、目の保養だったのに」
ここ数週間ほど、アルさんはうちを訪れていなかった。ナターシャもホースマンさんも残念がっているけれど、わたしは彼の正体について話す気もなく、答えの出ない疑問を一人で反芻し続けている。
アルさん……国の騎士様だったんだ。
体を鍛えているのもそのためだろうし、冷静で、優しいのも、騎士の気質と言われたら納得する。
だけど、どうしてこんな町の不動産屋に? 望めばいくらでもいい暮らしができるはずなのに。ますます腑に落ちない。
今日も来ないのかな、とちびちびと紅茶で唇を濡らしていると、軽やかにドアベルが鳴った。ナターシャよりも早く立ち上がる。
「っ、いらっしゃいませ!」
久々に会ったアルさんは、当然ながら武人らしいところはどこにもなくて、いつものやわらかな雰囲気をまとっている。
カウンターに案内すると、口火を切ったのは珍しく彼の側。
「……この前のこと」
「……はい」
「騙すつもりは、なかったんだけど」
長いまつ毛を伏せる。
「気を遣わせたくなくて。ごめん」
国直属の騎士団といえば、王家と関わりを持つこともできる、華々しい職業だ。平民から成り上がるには相当な努力が要ると聞く。
しかし、法の遵守に口うるさいと、疎ましく思う市民も一部には存在した。彼らの見回りや取り締まりのおかげで、みんなが安心して暮らせるというのに。
「お仕事のことは気にしませんよ。新居探しに必要な情報なら、先にわたしからお訊きしていたでしょうし」
「ありがとう。……うん、君はそういう人だったね」
訊きたいことはたくさんあるけど、本人が言いたくないなら、無理強いもしたくなかった。
職務とはいえ、体を張ってわたしを守ってくれた人。やっとこちらを見た眼差しはまろやかで、あの騎士様と同一人物とは信じがたい。
「あのあと、大丈夫だった?」
「はい、おかげさまで……。アルさんこそ、しばらくお忙しかったんですか?」
「うん、ちょっとね。徹底的にやったから」
「徹底的?」
首を捻る。
「詳しくは後で。今日もお願いできるかな」
「もちろんです」
「……怖ければ、一緒に移動するのは控えるよ」
静かな言葉は先日の一件に配慮してだろう。
でも、恩人にそんなことを思うはずがない。
「大丈夫です。……アルさんなら、大丈夫です」
「嬉しいな」
そう呟き、また俯いてしまう。わかりやすく口ごもるのも珍しかった。
胸の奥がきゅっとなる。頼もしいのに、可愛らしい。ナターシャが言うように、もしもこんな表情で口説かれたら、いったいどうなってしまうだろう?
あり得ない妄想をがんばって振り払う。アルさんは、お客さん。それ以外の何でもない。
「き、今日はどんな物件にしましょうか?」
「そうだな……ロゼッタさんの、とっておきって、ある?」
「え。とっておき、ですか?」
「うん。好きなものについて話す君は、いつも楽しそうだから」
「……面白がってます?」
「どうだろう?」
「さては、今日も決める気がないですね?」
「ふふ」
鏡のように首を傾げる彼は、やっぱりどこか掴みどころがないような。
実は、とっておきは、ある。
いつか自分が住めたなら、と憧れ続けている場所。それこそ玉の輿にでも乗らなければ無理なのだが、夢を奪われたくないという勝手な思いで、誰にも紹介したことがなかった。
助けてくれたお礼ができるなら、このくらい容易い。
後から思えば、ちょっと浮かれていたのかもしれない。秘密を共有できるのが嬉しかった。
「特別ですよ。せっかく紹介するんですから、気に入ったらちゃんと契約してくださいね?」