わざとじゃないんです!
ナターシャもホースマンさんも、アルさんの担当はわたしと決めつけているらしい。わたしが別のお客さんの相手をしている間、手が空いていても彼を待たせていることがしばしばある。接客業としてどうなの?
「すみません、お待たせしました」
彼は「ううん」と読んでいた本を閉じた。横のテーブルにはナターシャが張り切って用意したのか、山盛りのお菓子がほとんど手付かずのまま残っている。
「あ、その本!」
表紙を見て思わず声を上げた。好きな作家の作品だ。出版元が外国ということもあって、話が合う人はなかなか見つからない。
「おもしろいですよね! 最新刊が出るって聞いて、早く翻訳されないかなって楽しみで!」
「……君も好きなんだ?」
「ほとんどの作品は読んでます。あ、ファンの間で有名なあの『幻の三作目』は、まだ読めていないんですけど」
「よかったら、今度貸そうか?」
「持ってらっしゃるんですか? いいんですか?!」
「もちろん」
「やった! ……って、違う違う。ごめんなさい、新居のお話をしないとですね」
つい夢中で語ってしまった。
驚いたのは、彼がいつもより嬉しそうにしていたこと。やわらかく目尻を下げ、「大丈夫」と発した口許も弧を描いている。
「こ、こちらへどうぞ!」
どきりとして、なるべく顔を見ないようにしながら、急いでいつものようにカウンターへと促した。
*
案内するのは相変わらず立派な邸宅だ。お城ではなく一軒家だが、広い森がオマケについている。
「前の持ち主の方は、狩猟が趣味だったそうです。アルさんは狩りはされますか?」
「僕はあまり。父や兄は好きだね」
お兄さんがいる、という情報を頭の中に書き留める。個人の事情へ踏み込む時は慎重にならないと。
「こんなに大きな森なら、ご家族を招いて狩猟大会もできちゃいそうですね」
「そうだね」
近くで見ても立派な木立だ。この面積、普通の家だったら何軒くらい建てられるだろう?
ウサギなど小動物の姿は見えない。少し強い風に木が揺れて、カラスが何羽か飛んでいった。
と、地面に何か茶色い紐のようなものが落ちている。枯れ枝……にしては大きい?
そいつの先端がうにょりと持ち上がり、赤い舌がのぞく。……赤い舌?
「――きゃああっ?!」
咄嗟に何か、かたいものにしがみついた。ぎゅうと力を込めて抱き締め、叫ぶ。
「へ、へっ、へび、へびがっ!」
わたしは、この世で、ヘビがいちばん嫌いなのにッ!
しどろもどろで震えていたら、アルさんはヘビに向かって躊躇なく踏み出す。そして、あっという間に枝で器用にからめとると、向こうの茂みに放り投げてしまった。
「……ロゼッタさん?」
「ハッ!」
困惑一色の声に我にかえる。きれいな顔を至近距離で見上げ、ぶわっと顔に血がのぼる。
わたしがしがみついていたのは、アルさんの腕だったのだ!
また悲鳴を上げて飛び退き、勢いそのまま頭を下げる。
「もっ、申し訳ありません! ごめんなさい!」
あああ、お客さんになんてこと?!
混乱と恥ずかしさで、胸が痛いほどバクバクしている。
「失礼しました! 本当に、本当に!」
「平気だから顔を上げて。次からは、あまり山や森には近づかないようにしようか」
「はい!」
「うん、いいお返事」
おや? と一瞬思ったけれど、とりあえず言われるがままに頷く。アルさんも満足げだ。家の内見が終わっていて良かった……良かった?
彼は顔色一つ変えず、わたしを馬車の方へと促す。が、それより早く、馬車から走ってくる人影があった。
「おいッ! あんた、ロゼッタちゃんに何をした!」
「ジゼル君?!」
どうやら悲鳴を聞いて駆けつけてくれたらしい。アルさんがまったく説明も言い訳もしないせいで、誤解を解くのに苦労したことは言うまでもない。