今日も今日とて決まらない
ガタゴトと揺られながら、狭い箱の中で二人きり。対面に座ったアルさんは、今日も無言で窓の外を眺めている。
「ええっと……いつも来店される曜日が同じですけど、お仕事はお休みなんですか?」
絵画みたいな横顔に見惚れそうになりながらも言葉を探せば、こちらを見た鉱石みたいな瞳が意外そうに瞬いた。きれいな人だと改めて思う。
「……ここに来る日は早番なんだ。休みは明日」
「うちの定休日と一緒なんですね。お仕事のあとにいらっしゃるのって、大変ではないですか?」
「苦ではないよ。いい運動になる」
「そうでしたか」
「……」
「……」
うう、会話が続かない。当たり前だ、お互いに個人的なことは知らないのだから。「どういったお部屋を?」とか「ご出身は?」といったやり取りは、一度で充分だった。
王都に勤め、寮に住んでいること。
同僚とふたり部屋であること。
新居は急いで探しているわけではないが、それなりの広さを希望すること。
西方の町の出身であること。
いつも決まった時間に来店すること。
……わたしの知るアルさんの情報はこれだけ。ああ、あと、穏やかな人だということくらいか。
素性が気にならないと言えば嘘になるけど、もし契約してしまえば二度と会うこともない。必要以上の個人情報は訊ねられなかった。
「あ、着いたみたいですね。ご案内します!」
やっと到着してくれたことに、少しだけ安堵する。今日こそ気に入ってもらえますように。
*
旧ランジェロ侯爵邸。元々は侯爵家の持ち物だっただけあって、無駄に大きな家だ。掃除が大変だろうな、という感想を真っ先に抱く。まあお金持ちなら、たくさんお手伝いさんを抱えるものなのだろう。
アルさんは特に感嘆の声も上げない。これまでも、たとえダンスパーティーを開催できそうな広間があろうが、敷地に山が含まれていようが、ほとんど驚くことはなかった。大きなお屋敷を見慣れているのかも?
「前の持ち主さんは、単に経営状況的に手放さざるを得なかっただけみたいです。まだまだ新しいし、手入れも行き届いてますね」
決していわく付きじゃないですからね、なんて冗談は、どうせ笑ってもらえないから飲み込んだ。
このお客さんは感情の起伏が少ない人だ。といっても、基本的に態度が穏やかなので、冷たい印象はない。
各部屋や設備を案内すると大人しくついてくるが、返ってくるのはほぼ最低限の相槌だけ。「お好きにご覧になってください」と伝えても、少し収納や書斎を確認したくらいで、今日もそれほどピンときてはいなさそう……。
「あ! ここ、近くの喫茶店がとても有名なんですよ」
窓の外を示す。部屋探しは物件本体だけでなく、立地も重要なのだ。
「ちょっと前から流行ってて!」
「……」
「人気のパンケーキ、わたしもいつか食べてみたいなって思ってるんですけど!」
「……」
「まあでも、いっつもすごい行列で。早朝から並ばないと予約も取れないらしいですし! ここに住んだら、少し騒がしいかもしれませんね」
「……」
さすがに不安になって窓から隣に視線を移すと。
「……聞いてます?」
「うん」
じっとわたしの顔を見下ろしていたアルさんは、微笑みをたたえたまま静かに頷くと、何事もなかったかのように外へ視線を移した。なんだか脱力してしまう。
今までも時々あったことだ。説明しても反応がなくて、ふと見ると、そういうときに彼が見つめているのは、内装や景観ではない。
一度だけ勇気を出して、失態があったかと尋ねたことがある。その時に「ロゼッタさんは仕事が好きなんだなと思って」と他意もなく返されて以来、わたしの中の彼の評価に『マイペース』が加わった。
思い返せば、初めて来店した時から、このお客さんはなんだか独特の空気をまとっていた。
店に入るや否や真っ先にわたしの目の前にやってくると、呆気にとられるナターシャを尻目に、「家を紹介してほしい」と言い放ったのだ。すぐに営業スマイルを貼りつけたわたしの対応力を褒めてほしい。
あまりに迷いなく突撃されたから、どこかで会ったかと記憶を探ったけれど、こんな美人が知り合いにいたら忘れるはずもない。
ともあれ、断る理由も隙もなく、あれよあれよという間に半年近い付き合いだ。
だから、わかる。
「……このお家も?」
「保留、かな」
わかってはいたが、ちょっと自信をなくしそうになる。この人、本当に新居を探すつもりはあるのかしら……?
「……わかりました! じゃあ、一度お店に戻りましょうか」
いや、むしろ燃えてくるじゃないか。気を取り直し、にっこり笑顔。最後まで付き合う覚悟はとっくにできている。わたしは負けず嫌いなのだ。
もはや意地の問題だった。絶対に、アルさんが気に入る新居を紹介してみせるぞ!
「うん。今日もありがとう」
なかなか家が決まらないにもかかわらず、鼻息を荒くするわたしの横で、彼はやっぱり楽しそうに微笑んでいるのだった。
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