当たり前かもしれないけれど
「アルフレッド・カーライルは、僕だ」
唐突な告白に、わたしはたっぷり数十秒は固まった。
「は――伯爵家ってお金持ちなんですね?」
「関係ないんじゃないかな。特に援助はもらってないし」
どうにか発した馬鹿馬鹿しい感想にも、アルさん……アルフレッドさんは生真面目に小首を傾げる。
来店時に教えてもらう名前は、偽名を使う人も多い。単にお客さんの区別のためだから、契約するまでは本名でなくてもいいのだ。
だからといって、ではあるのだが。
「アルさ……アルフレッドさん、様」
「これまで通りでいいよ」
「まだ何か隠してることありますか?」
「隠し事なんてあったかな」
「大アリですよっ! 国の騎士様だとか、伯爵家の人だとか! なんで……っ」
言い募るほど、惨めさが増してきた。アルさんにとってわたしは、そんな情報を教えるほどの関係でもないのだ。
「……あなたのような人に想ってもらえるお相手が、羨ましいです」
思わず口をついて出てしまう。顔を見られなくて、地面を睨む。
「律儀で、誠実で、優しくて」
「そう思――」
やわらかな声が、途切れた。
さすがに気になり見上げると、今度はアルさんが石像になっている番だった。しばらくして、何かを思い付いたように、すいっと視線だけが降りてくる。
「……待って」
「待ちます」
「ええと。どうして他人事?」
「だって、アルさんは婚約者の方とご結婚される予定で、そのための新居を探していたんじゃないんですか?」
彼がこれほど呆然としているところは、初めて見たかもしれない。
ええ、とか、いや、とか呟いていたかと思うと、とうとう両手で顔を覆い、大きな大きなため息を吐き出した。
「はあ……どうにもだめだね。勝手がわからない」
「アルさん?」
「あのね」
こちらを、ひたりと見据えて。
「僕は、君を口説いているつもりだったんだけど」
息をするのを忘れた。世界が止まったかと思うほど、わたしはまたしてもしばらく固まる。
「というか、婚約者の話なんてしたかな?」
「し…………てないですけど! じゃあ新居のお話は?! それに、お城を建てるって本当なんですか?」
「うん」
「……まさか」
「ロゼッタさんと住むための家」
気が遠くなってきた。つまりそういうことらしい。いや、あの、もっと順番ってものがあるでしょう?!
「でも、わたしのこと、そんな風に見てくれてるなんて、これまで一度も……!」
「仕事中だったからね」
悪びれる風はない。完全に混乱するわたしを尻目に、すっかりいつもの様子で小さく微笑む。
「大体、わたしなんかのどこが」
「僕の好きな人を、あまり悪く言わないであげて」
頬に手を伸ばしてくる。ひんやりとしているのに、触れた箇所が燃えているみたい。
「覚えていないと思うけど。騎士の務めをしていた僕に、君はお礼を言ってくれたんだ。労いの言葉まで」
「そ、それだけ? ですか? そんなの誰でも、」
「かもしれないね」
あまりに釣り合わない。当然のことをしたまでだ。こんな素敵な人に想ってもらえる理由になんか……
「でも僕は、君がいいと思ったんだ」
アルさんは、口数は多くないけれど、いつだって真っ直ぐだ。小さな当たり前を受けとめてくれる、あたたかい人。
するりと指が頬を撫で、離れていく。名残惜しい、なんて思ってしまう。
「ロゼッタさん」
どうして今まで、この人の声が、優しい眼差しが、こんなにも体を熱くさせることに気付かなかったのだろう。
「好きだ」
きっとわたしの顔は、夕焼けの中でもわかるくらい赤い。
「……わ、わたしも」
「うん」
「……好き、かもしれない、です…………」
「かも、なんだ?」
「それは! 急にそんなこと言われても……っ」
「僕、なかなかの優良物件だと思うけど」
「うう、存じ上げてます……」
どうしよう、どうしたら? 気持ちの整理が追い付かない。とんでもないことが起きていて、まるで夢の中にいるかのよう。
アルさんは顎に手をあてちょっと考え込んだかと思うと、またしても勝手に納得したみたいに頷いた。薄い唇が動いて、名前を呼ぶ。
「今日のデート、楽しくなかった?」
大慌てでぶんぶんと首を振る。
「いえ! あっという間でした!」
「騎士って、やっぱり怖いかな?」
「そんなことないです! 立派なお仕事です!」
「僕のこと、嫌い?」
「全然! むしろ好――」
間抜け顔のまま静止画になる。は、はめられた!
「……嬉しいな」
だけど、こんなに照れている姿を見たら、何もかもどうでもよくなってきた。なんだ、このかわいい生き物は……!
そうだ、と彼はわたしの鞄を示す。
「さっきのプレゼント。せっかくだし、開けてみてくれる?」
そういえば、会って早々に渡されたもののうち、カードではない方の包みを開けていなかった。
手のひらにのるくらいの紙包みから出てきたのは、可愛らしいガーベラの髪飾り。……これも、好きだと話したもの。
「ありがとうございます。かわいい……」
「どういたしまして」
「――あ……あのっ」
夢なら夢のうちに、少しだけ思い切っても許されるだろうか?
「これっ、よかったら、つ、つけて……もらえませんか……?」
震える両手で差し出すと、アルさんは少しだけ目を瞪って……それから、ふわりと微笑んだ。
「もちろん、喜んで」