9月19日 手紙
今日も昨日に続いて、あまり体調が良くなかった。頭痛と倦怠感がひどかった。起きてすぐ、ベットの横にある水を飲み頭を働かせた。昨日は、23時頃まで、通信教育のレポートをしていたため、その反動がきたのかなと考えていた。
昔と比べると、家族は、私の体について心配することが少なくなっていた。今日も私が起きる前に、父、母、妹の全員が家を出ていたのだった。しかし、それは、私にとってありがたかった。
手術前は、家族の雰囲気もあまりよくなかった。妹の葵と話すことはほとんどなく、父も母も困っていた。当時は、自分の部屋にひきこもり、勉強と寝ることをひたすら繰り返していた。
待てど暮らせど、私の症状が改善することはなかった。そんな私は、4月に手術をすることを決めたのだった。手術をする決断をした時、死ぬかもしれないという不安でいっぱいだった。あの時の、精神的な不安定さはこれまで経験したことがなかった。
少し例えると違うかもしれないが、マラソンで、一生懸命走っているのに、後ろから何人もの人に抜かれ、前に進んでいないような感覚と似ているような気がしていた。
しかし、手術が成功すると、死ぬかもしれないという不安がなくなり、不思議な気持ちになっていた。生きてて嬉しいということではなく、「今日も生きている」という気持ちになっていた。
手術後は、家族で話す時間も増えた。特に、妹の葵とは、話す時間が増え、二人で出かけるようにもなった。ネガティブな出来事も否定的に捉えることが少なくなり、生きる希望が湧いてきたのだった。
少しずつ、友だちとも連絡をとるようになっていった。今では、優衣や長谷川と二週間に1回は会うようにしていた。二人に会うことで、新たな目標も見つけることができたのだった。
そんなことを考えながら、私は、今週の予定を書くために手帳を探した。机を見渡すも見つからなかったので、引き出しを開けた。引き出しには、目当ての手帳が入っていた。
手帳を取ろうとすると、ある封筒を見つけた。気になった私は、その封筒を開けてみた。どうやら、昔に書いた自分宛ての手紙だった。
ー手紙ー
3年後の私へ。
3年後の私は、元気にしてますか?
今、私は、頭痛がひどく体に力が入りません。大好きだったソフトボールは、できなくなりました。高校へのスポーツ推薦も断り、勉強もしていません。大好きだった友だちのことも憎むようになりました。
なんで、私がこんな目に遭わないといけないの?
もう、生きる希望がなくなりました。
3年後の私は、笑ってこの手紙を見ていますか?
いかにも、中学3年生らしい文章だった。おそらく、この手紙は、病気が発症した中学3年生の時に書いたものだろう。少し古びた封筒の中に手紙を戻した。
何を書いていたんだろう。私は、笑ってしまった。当時は、本当にしんどかったんだろう。でも、あの時と比べると
今は、全然大したことではないと思えた。幼なじみである健太郎がよくいうセリフ「大丈夫、まだやれる」が頭の中におりてきた。
私は、スマホに目を向け、陽菜乃から連絡がきていることを確認した。陽菜乃は、「明日ならいける」という内容だった。
土屋陽菜乃。私の中学校時代の友だちだ。中学校地代に通っていた塾で、実咲からの紹介で仲良くなったのが陽菜乃だった。物静かで控えめな性格。人見知りということもあり、仲良くなるまてまは半年ぐらいかかった。五人集まった時に、いろいろ話すというタイプではなかったが、私と二人になった時は、よく話したのを覚えている。
五人の中で、最も勉強がよくでき、中学校時代は、学年で二番目に成績がよかった。県内で三本の指にはいる海美高校に進学した。しかし、高校に進んでから陽菜乃に連絡したことや会ったことはなかった。もともと、控えめで自分から話すことも少なかったので仕方がないのだ。
陽菜乃からの連絡を見て、私は、実咲に連絡を返した。
明日は、優衣と真波を仲直りさせる日だった。久しぶりに5人が揃うことになった。5人で会うのは、中学校3年生以来だった。
いったい、どんな感じになるのだろうか。4人の顔を浮かべると期待が高まった。私は、先ほどの封筒を引き出しの中に戻し、病院へと向かった。