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変装

作者: 春名功武

 前日に宅配業者から盗んだワゴン車を、路肩に停車させる。宅配業者の車なら、路肩に停車していても怪しまれることがないから、仕事の時はよく利用する。仕事といっても表立って言う事の出来ない、泥棒業である。


 ワゴン車の中で、川田は西城へ変装する。西城の指紋を模った指紋テープを指に貼り付け、西城の虹彩を模ったコンタクトレンズを目にはめ、特殊なゴム素材で制作した西城の顔をかたどった仮面をかぶる。計画の半年前から体型を似せる努力もしてきた。洋服も西城の趣味に合わせた。変装が完成した。川田の部分は一ミリもなく、誰がどう見ても西城としか思えない見事な出来栄えだった。


 高級住宅街の一角にある、ひと際大きな豪邸が西城家だ。川田は指紋認証、虹彩認証、顔認証を済ませ、玄関の鍵を開けると、中へと入っていく。


 この屋敷のどこかに莫大な隠し資産があるはずだ。川田は部屋をいくつか確認すると、経験と研ぎ澄まされた嗅覚で、2階の寝室の奥にある書斎に当たりをつけた。


 書斎に入る。ぱっと見、金庫らしきものはないが、壁際の本棚に、若干の違和感を見付けた。本棚をゆっくりとスライドさせると、扉が現れる。扉には鍵は掛かっておらず、開けると、下へと続く階段になっていた。


 階段を下りていくと、煌びやかな豪華な部屋が現れる。隠し部屋だ。1階と2階の間1.5階の位置にあるようだ。その部屋に置かれている家具や絵画、彫刻、置物、宝石、ワインなどのほとんどが、高価で貴重な品だという事は一目瞭然だった。資産価値で言うと、屋敷の見えている表の部分の10倍にはなるだろう。


 その部屋の奥には、こちらの予想通り立派な金庫があった。ピッキングで金庫を解除して、扉を開けようとしたその時、ドン!と後頭部に強い衝撃を受け、気を失ってしまう。


 ベッドの上で目を覚ました川田は、すぐにそこが病院だと分かった。ベッドの周りには多くの人が駆けつけてきているようだが、どの顔にも見覚えがなかった。原因は病室の鏡に映った自分の顔を見て理解できた。川田は特殊なゴム素材で制作した西城の仮面をつけたままだったのだ。頭には包帯が巻かれている。あの隠し部屋で何かに頭を打って気を失った。そこに屋敷に帰ってきた家の者が、西城が倒れていると勘違いして、病院に運んだのだ。西城に変装していたことが、不幸中の幸いだった。


 川田は、仕事の前には徹底的に調査をする。だから西城が食道ガンで入院しているという極秘情報は掴んでいた。この病院は、西城の入院先なのだろうか。それとも、頭の打ちどころが悪く、緊急を要すると判断され、何処か別の病院に運ばれたのだろうか。


 病室の設備を見る限り、一泊何十万円もしそうだ。西城の入院先の病院が濃厚だな。それならどうして、西城本人はいないんだ。どちらにせよ、とっととこの場を去った方が良い。


 川田は病室に誰もいなくなった時を見計らい、西城の仮面をはがそうとする。しかしどういうわけか、何をどうやっても外すことが出来ない。どうなっているんだ。棚から果物ナイフを持ち出し顔に近づける。ナイフで仮面を切ればさすがに外せるだろう。しかし…


 そこに西城の妻が現れる。「あなた、何やっているの。誰か来て。早く」とパニックを起こし叫んだ。廊下にいた西城の会社の社員たちが、妻の声を聞き付け、慌てて病室に流れ込んでくる。「会長」「奥様、どうされました」「会長に何かあったんですか」。川田は圧倒され呆然となる。その隙に妻は、川田の手からナイフを取り上げると、川田の頬を思いっきり平手打ちする。「変な真似はやめて」。自殺すると思われたようだ。


 西城には、20以上も年の離れた30代の若い妻がいる事は有名な話だ。ただ、派手な顔立ちと、水商売上がりという事もあり、結婚当初から財産目当てだと囁かれていた。だけど、今の取り乱しようを見れば、本当に西城の事を愛しているのだと分かる。羨ましい限りだ。


 病室のベッドで横になりながら、川田は頭を悩ませる。いくら完璧に変装していても、本物の西城が現れれば、あっさりとばれてしまう。早くここから逃げ出さないと。しかし自殺騒ぎを境に、病室には見張り役として常に人がいる。


 担当医が病室にやってきた。明日から新しい抗がん剤治療が始まるらしい。抗がん剤治療という事は、頭の傷ではなく、食道ガンの治療か。


 親族が集まり、抗がん剤治療を頑張ろうと励ましてくる。川田は焦っていた。健康体である自分に抗がん剤が投与されてしまったら、どうなるんだ。明日までにはどうにか逃げ出さなければ。しかし部屋には24時間、見張り役がいる。


 明くる日。川田は担当医に再度精密検査を懇願する。抗がん剤から逃れるには、健康体であることを証明するしかない。担当医はしぶしぶ承諾した。しかしまさかの事態が起こる。精密検査の結果、川田の体は末期の食道ガンに侵されていたのだ。


 川田の頭は、事態を収拾出来ずにいた。何かの間違いだ。俺が食道ガンのわけがない。こんな仮面をつけているから、体まで欺いてしまったんだ。仮面を取れば全て解決する。病室のトイレに駆け込むと、西城の仮面をはがそうとする。が、どうやっても外れない。どうなっているんだ。


 追い込まれた川田は、病室に親族を集め自分は西城ではない事を正直に白状する。しかし誰も聞く耳を持たない。一体、本物の西城はどこにいる?本人さえ現れれば、自分は川田だと証明できるのに。


 そこに担当医と数名の医者がやってきて、川田の身体を取り押さえる。「やめろ、俺は西城じゃない。川田だ。食堂ガンは何かの間違いだ」そう何度も何度も叫び続けた。しかし川田の声は届く事はなかった。担当医は嫌がる川田に抗がん剤を投入する。薬の副作用が川田を襲う。死ぬほどの激痛と苦しみが身体を支配する。


 二日続いた地獄の抗がん剤治療が終わった。治療が一段落つき、親族や社員たちは安堵する。そのちょっとした気の緩みを、川田は見逃さなかった。病院から逃げ出した。


 逃げる川田は、どうにか西城の仮面を剥がそうとするが、どうやっても、仮面はとれない。もうあの場所に戻るしかない。西城の屋敷に向かう。自分を取り戻すために。あの日あそこで何があったんだ。


 屋敷に到着した川田は、あの時と同様にセキュリティーを解除して家の中へと入って行く。書斎に入り、本棚をスライドさせ、階段を下り、隠し部屋に入る。


 煌びやかな豪華な室内に似つかわしくない光景が目に飛び込んできた。部屋の奥の金庫の前に、変装する前の自分そっくりな男が横たわっていたのだ。手と足をガムテープで縛られ拘束されていて、頭には殴られたような傷がある。かすかではあるが息はあった。


 どういうことだ。どうして俺の目の前に俺がいる。動揺を隠しきれない川田の視線は、壁に掛かったアンティークの鏡に映った自分の顔を捉えた。その瞬間、雷に打たれたように全てを思い出した。


 あの日、川田は隠し部屋を探し当て、ピッキングで金庫を解除して、扉を開けようとしていた。突如、後頭部に強い衝撃を受けて気を失う。川田の後頭部を殴ったのは、西城であった。明日から始まる新しい抗がん剤治療が嫌で、病院から抜け出してきたのだ。


 西城は、自分と瓜二つの男を見て一瞬たじろぐ。しかし、これはよく出来た変装だ。私ですら騙されそうになった。そうして、川田の顔から自分の顔をかたどった仮面をはがす。そこにはまだ30代そこそこの見知らぬ男の顔があった。こいつは誰だ。何者だ。ジャケットの内ポケットから財布を抜き取り、免許証を見る。免許証には「川田」という名前が記載されてあった。


 西城は地位も名誉も金も持っている。だけど命は消えかかっている。忌々しい気持ちになった西城の視線は、壁に掛かったアンティークの鏡に映った自分の顔を捉えた。頬が痩せこけ、やつれ果てた死神のようであった。これがわたし。なんて酷い顔だ。

 西城は強く願った。泥棒でもなんでもいい。なれるものなら、この川田という若い男になりかわりたい、と。


 川田の手足をガムテープで縛って拘束すると、隠し部屋に閉じ込めて、西城は書斎を出る。階段の手前に差しかかったところで、病魔が襲い掛かる。もがき苦しみ、足を滑らせて、階段から転げ落ちていく。そして気が付いた時には病院のベッドの上にいた。それからの西城は、自分の事を川田だと思い込んでいたのであった。


 季節は移り変わる。西城は病室のベッドに横になっていた。ベッドから降りて鏡の前に立つ。さきほど医師から、余命1カ月と診断された。鏡には頬が痩せこけ、やつれ果てた死神のような西城の顔が映っている。

「これがわたし。何て顔だ。いや、これは変装だ。そうだ、変装しているんだ。私は西城じゃない。川田だ。西城であるはずがない」

 西城は棚から果物ナイフを持ち出し、仮面を剥がすため、首元に向けて振りかざす。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が西城なのか川田なのか、最後までハラハラしました。 西城の別人になりたいという執念は凄まじいものがありましたね。
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