芸術を身に着ける意義
不本意な突撃を受け、さらにフレデリックにこってりと説教された翌日。
ユリアナは気持ちが晴れないまま、庭を散策していた。
フレデリックは怖い顔をして何度も離縁は絶対にあり得ないと言っていたが、それは間違っている。ユリアナ以上に王妃に相応しい人間がいたら、そちらを王妃にする方がこの国にとっても素晴らしいことのはずだ。利益にならない王妃を据えておく必要などない。
なのに、フレデリックはユリアナが王妃であり、それは何があっても決して変わらないと言い張る。だからユリアナは柔軟な考えをしないと国民が不幸になると訴え続けた。もちろん受け入れられるわけがなく、長い時間平行線をたどったわけだ。
昨日から何度もフレデリックとのやり取りを思い返しているのだが、やっぱり納得できない。くさくさとした気分で歩き続ける。
「そもそも、わたしが王妃であること自体がおかしいのよね」
誰に向けたものではない呟きに、アレシアが反応した。
「そうでしょうか? 王妃殿下以上に相応しい方はいらっしゃらないと思います」
「どうしてそう思うのよ? 突然、貧乏小国の王女がやってきて、無条件に傅くなんて大国の貴族なら嫌がるのが普通でしょうに」
「ですが、王妃殿下は陛下のお気に入りですから」
陛下のお気に入り、と言われて、渋面になった。
「お気に入りじゃないわよ。昨日なんて、何時間も説教されて。あれだったら、いつものようにムッツリ無言の方がよかったわ」
「……説教ではなかったと思います」
「いいえ、説教よ。最後はそんなに教養を馬鹿にされるのが気に入らないのなら、納得するまで勉強しろと言うのよ!」
馬鹿にしたように鼻を鳴らしたフレデリックを思いだし、憤慨して地団太を踏む。アレシアが頭が痛そうにこめかみを押さえながら、ため息をついた。
「勉強をするなら、専門の教師を付けますが」
「いらないわよ。今の最小限の勉強だけで十分」
そもそも王妃の公務が子供を産むこと、としか言われていないのに勉強をやるだけ無駄だ。それにやらなくていいのなら、王妃としての仕事なんてしたくはない。そして役割を放棄したとして、さっさと離縁してもらいたい。
「教えていただきたいのですが……王妃殿下の祖国では王族にどのような教育がなされるのですか?」
「経済と語学と狩りの仕方」
「どういう基準ですか、それは」
アレシアは理解できなかったのか、唖然としていた。ユリアナはそんな彼女をちらりと横目で見てから、また歩き出した。
「経済はがめつい商人に端数を騙されないために必要、語学も口の上手い外交官と交渉するために必要。狩りは厳しい冬を生き残るために必要」
「……なるほど。他には」
「あとは刺繍や裁縫ね。わたしはあまり上手ではないけれども、お姉さまたちはとても上手よ。大国の王族から直接予約が来るほどの腕前だし」
ユリアナは四姉妹の中で、裁縫の腕はイマイチだった。簡単な物ならば縫うことはできるが、売り物になるほどではない。姉たちのように刺繍の腕が素晴らしければ、自前のドレスも豪華に見せることはできるし、売ることもできて、一石二鳥なのだが。残念なことに、こちらのセンスは壊滅的だ。それでも嗜み程度にはできる。
「音楽やダンス、絵画などの芸術面は?」
「それ、身に付けて何になるの?」
「教養が高くなります」
「教養があっても、冬は乗り越えられないのよ」
祖国の厳しい冬を思い、力強く言い切った。アレシアはユリアナの迫力に口元をひきつらせる。
「いえ、ですから、王妃殿下はすでにこの大国の王妃であるので、芸術面の教養は必要かと」
「お飾り王妃なのに、教養の必要性がよくわからないわ」
首をこてんと横に傾けて、ユリアナはすっとぼけた。こんな不毛な会話の果てに、新しい教師をつけられるのは願い下げだ。アレシアの苦虫を潰したような顔を横目で見ながら、再び歩き始めた。
「でも、将来、何かあった時のためにセンスを磨くのはいいかもしれないわね」
主に刺繍の。
最後の言葉を言う前に、アレシアがその言葉に食いついた。
「芸術……例えば衣装の流行などを追えるようになるためにも、是非とも感性を磨くべきです」
「ええ? 流行を追ってどうするのよ」
「流行を追えるようになると、作り出すことが可能になります。そうすれば、万が一、王妃殿下がこの国を後にすることになったとしても、その磨かれたセンスを使って衣装を作れば一財産になるかと」
一財産。
その言葉を聞いて、再び足が止まった。
「――そんなにお金にならないでしょうに」
「貴婦人の本気は舐めてはいけません。ちなみに王妃殿下の着ているドレス、この国の男爵家の一年分の収入に相当します」
「え!?」
驚きに、自分の着ているドレスを見下ろした。
首までぴったりとした上部にウエストから裾にかけて広がるスカート。ゴテゴテとした飾りは少ないのだが、とても質のいい生地を使っており、腰にはアクセントにドレスよりもワントーン暗い色のサッシュが締められていた。
これが男爵家の一年分相当の金額と聞いて、眩暈がする。
祖国では、生地を購入して自分たちで仕立てるのだ。もちろん見栄を張る時には商会から他国の流行のものを取り寄せるのだが、それも数年に一度と少ない。大抵は王族の女性たちが外から情報を仕入れて野暮ったくないように流行を取り入れたものを作っている。
そう考えれば、アレシアの言うように芸術的センスを磨いて、いずれはドレスメーカーとして働くのもよいのかもしれない。
気持ちがグラグラと揺れているさなか、アレシアがだめ押しをした。
「ドレスを作るなら、ダンス映えも場所映えも考えなくてはいけませんね」
「ふうん、なるほど。芸術を習得する理由に納得したわ」
勉強と称して教師をつけてもらえる間に、身につけておくべきだとユリアナは力強く頷いた。再び歩き出しながら、アレシアに尋ねる。
「ドレスメーカーになるのなら、庭園のことも知っておいた方がいいかしら?」
「庭園もそうですが、花や木々なども季節によって変わってきますし、花言葉などもありますから」
「花言葉?」
「花の種類や色に意味を持たせて、色々と伝えたいことを婉曲に伝える方法です」
「そういうものもあるのね。興味がなかったから、知らなかったわ」
二人は色々と話しながら、散策を続けた。時折、足を止めて庭に咲く花の種類と花言葉を教えてもらう。感心することに、アレシアはユリアナの疑問にすべて答えた。そのうち、知識を得るというよりも彼女のできないことが何なのかを探るべく、あらゆるものに対して質問する。
そんなことをしているうちに、いつもとは違う場所に入り込んだようだ。見覚えのない建物が見えてきて、ユリアナは立ち止まった。
「あの建物は何?」
「……申し訳ありません。ここは立ち入り禁止区域でした」
「立ち入り禁止? 王族の居住区域で?」
あまりの不思議さに、もう一度、その建物を見上げた。全体が見えるわけではないが、とても豪華な作りをしているのが見て取れる。
王族の居住区域ということから、一つだけ思い当たる場所があった。
「もしかして」
「それ以上は言ってはいけません。早く戻りましょう」
素直に頷けなくて、ぐずぐずしていると遠目であったが、見覚えのある後姿を見つけた。
「陛下?」
「本格的にまずいです。さあ、こちらへ!」
アレシアは顔色を悪くしながら、ユリアナの腕を引っ張った。
「そんなに隠しておきたいものなの?」
「隠しておきたいというよりも、不吉なのです。ここに不用意に立ち入った使用人たちが次々に体調を崩して、寝たきりになっているので」
「え、そういう理由?」
考えていた理由と異なっていたことで、目を丸くした。
「そうです。本来、後宮は王妃殿下の管轄です。ですが、そのようなおかしな現象が続くので今は立ち入り禁止になっているのです」
「でも、さっき陛下が入っていったわよね?」
「陛下は……鈍感なんですよ、多分」
適当すぎる理由を口にしながら、アレシアはユリアナを部屋に連れて戻った。