初夜とは夜じゃなくてもいいものです?
フレデリックはずんずんと廊下を歩く。すれ違う警備の人たちが驚きながらも黙礼するが、特に挨拶を返すことなく歩き続けた。
ユリアナは反抗するつもりもないので、連れられて行くまま周囲を見ていた。婚儀の後は祝宴が開かれると聞いている。だが向かっていく先はどう考えても控室ではない。
大体おかしい。先ほど荘厳な婚儀を挙げたばかりなのに、夫に小脇に抱えられて移動。せめて横抱きにしてくれたらまだうっとりと乙女な気分になれる。
とはいえ至近距離でフレデリックの顔を見ていられないだろうから、これがちょうどいいのかもしれない。ユリアナはすっかり諦めの境地に立っていた。このまま牢に連れていかれても、そうですかと受け入れてしまいそうなぐらい気持ちが折れていた。婚儀の前に全力で逃亡したら逃げられると思っていた自分が恥ずかしい。
警護している騎士が次から次へと扉を開ける。いくつかの扉を越えて、ようやく最後の扉にたどり着いた。
「しばらく誰も入れるな。用があれば声をかける」
「畏まりました」
警備の騎士に告げると、部屋の中に入っていった。
フレデリックの私室のようで、落ち着いた雰囲気だ。調度品も高価な物であっても、けばけばしさはない。重厚なものが多く、そのため部屋も重々しかった。窓があるはずなのだがすでに厚手のカーテンが引かれていた。
部屋の空気に息苦しさを感じる。
男性の部屋ってこんなんだったっけ?
唯一知っている兄の王太子の部屋を思い浮かべていれば、突然放り出された。
「きゃあ」
「静かにしろ」
とりあえず周囲を見回せば、寝台の上だ。高級な寝具を使っているのか、とても柔らかで手触りが良い。フレデリックは迷うことなく覆いかぶさってきた。慌てて避けようとするが、すでに両腕で囲われていて身動きが取れない。厳しい表情をしている彼の気を逸らそうと質問をした。
「……一体どういうおつもりですか?」
「式は終わった。今日は初夜だ」
「わかっております。ですがこれから祝宴があるのでは? それに日はまだ暮れておりません」
「初夜が明るいうちにしてはいけない理由はなんだ?」
「え、理由? 理由……夜の字がついているから?」
聖者との問答のようなよくわからない状態に疑問符しか出てこない。しかも婚儀の衣装を脱ぐことなく寝室に連れ込まれてしまったので、この豪華なドレスの扱い方が気になった。
ドレスにしわができても処置できるが、破れてしまったら補修できない。薄絹はとても高価で、扱いも人一倍気を遣うのだ。それに縫い付けられている宝石たちが他の――例えば目の前でユリアナの上に乗り上げているフレデリックが着ている上質な布のシャツを引っかけて、ほつれてしまったらどう弁償したらいいのか。
弁償すべき金額を思うだけで動悸が激しくなり、顔色がどんどんと悪くなる。とりあえず、布の安全を確保するため彼にどいてもらいたい。
「お前は何のために嫁いできた?」
「確か……跡取りを産むため?」
で、よかったような?
昨日の短い間に交わされた会話を思い出して、呟く。あまり自信はないがそれが一番の仕事だと言っていたような気がする。間違っても一般的な王妃として望まれてはいなかった。
「そうだ。正しく理解している。問題ないな」
何が問題ないのか考える間もなく、彼の手がドレスの胸元に伸びたのを見て不味いと理解した。破られたりしたら、一体いくらの請求が――!
「待ってください! 世の中、段取りというものがあって……!」
「気にするな。古臭い因習は必要ない」
ちがーう!
とにかくわかってほしくて大声をあげようとしたその時に。
大きな音を立てて扉が開いた。怒りを全身から漂わせたマクレガーがつかつかと寝台の側までやってきた。その後ろからがちゃがちゃと音を鳴らして鎧兜をしっかりと身に着けた騎士が五人も入り込んできた。
クーデター!?
その物々しい様子に頭の中が真っ白になる。ぎゅっと夫の腕を強く握りしめた。フレデリックはそんなユリアナを見下ろし息を吐くと、乱暴な手つきで頭を撫でる。初めての優しい行動にユリアナは目を瞬いた。
思わず彼の顔を問うように見てしまう。フレデリックはばつの悪そうな様子で顔を背けた。
「……心配ない」
「常識的に考えて心配しかありませんけど。今から辞世の句を読んでもいいでしょうか」
「不要だ」
最後かもしれない瞬間の夫婦の会話としてはとてもおかしい気がしたが、とても笑う気になれない。覚悟を決めて体を固くすれば、マクレガーが二人を見下ろすように寝台の横に立つ。さらにその両脇に立つ騎士が剣を向けてきた。
「何、盛っているんですか! あなたはサルですか、サルなんですね。でも人間に戻ってもらわないと困ります。これから祝いの夜会があるんですよ、さっさと支度してください」
「剣を下ろせ。心配しなくても、まだこれを殺すつもりはない」
けだるげに告げれば、マクレガーのこめかみに青筋が立った。
「そうですか、そうですか。どれほどこちらが心配したと思っているのですか? ひどい表情で王妃殿下を抱えて寝室に籠ったと報告を聞いた私の気分を教えましょうか?」
これは一体どうしたら?
とりあえず、ドレスも命も無事ということでいいのかしら……?
状況を飲み込めなくて茫然としていれば、フレデリックが渋々ユリアナの上からどいた。乱暴ではないが強く腕を引っ張られ、上体を起こされる。
「お楽しみは後らしい」
ユリアナをフレデリックが解放したことで、向けられていた剣が下げられた。後ろから現れた侍女たちが素晴らしい連携でユリアナを寝台から降ろす。
ここから廊下を歩いてユリアナに与えられている部屋に戻らなくてはいけないためなのか、彼女達は手際よくドレスの裾を整え、乱れた髪を直す。
「さあ、王妃殿下。こちらにどうぞ」
「え、いいのかしら?」
ちらりとフレデリックを見れば、マクレガーがいい笑顔になる。ひどく圧力のあるその笑顔に、思わず体が震えてしまった。ユリアナに向けられているわけではないのに、その笑顔が恐ろしかった。
「もちろんですとも! 祝宴の準備は整っておりますよ」
「めんどくさい……」
「へ、い、か! 何かご不満でも?」
「不満だらけだ。祝宴なんて化かし合いだ。参加したところで楽しいものでもないだろうが」
どうでもいい様に呟くフレデリックにマクレガーがかっと目を見開き、睨みつけた。
「これは陛下のためのものではありません。王妃殿下の顔を貴族たちに知らしめるためです」
「自分たちの救世主だ。先ほどの儀式だけで問題ないだろうが。もし覚えていないようならさっさと処分したらいい。使えない人間はいらん」
「そういう問題じゃないと言っています。それにこれ以上、貴族を減らされたら大変です。ほら、屁理屈を言っていないで、さっさと支度してください」
いつまでも続きそうなやり取りを気にしつつ、侍女に促されるままフレデリックの寝室を出た。