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夢も希望もない婚儀


 大きな両開きの扉が開かれた。ぐっとお腹に力を入れ、背筋を伸ばす。

 扉の向こうには教会の厳かな空間があった。


 特別な礼服を着た司祭と国王が祭壇の前でユリアナを待っている。両脇には招待された貴族たちが立っており、贅を凝らした衣装を身に纏い、この婚儀の彩を添えていた。どこか緊張した空気が漂っているせいなのか、おしゃべりをする貴族が誰一人いない。


 胃が痛い。


 自分の息遣いすらも大きいのではないかと思ってしまうほどの静寂は胃を容赦なくキリキリしてくる。三人の姉姫たちの婚儀に出席してきたが、愛し愛された関係ではなくても誰もが二人のことを祝福し、それなりに喜びの空気が満ちていた。結婚に対しては漠然とした思いでしかなかったが、少なくとも葬儀を想像したことはない。


「逃げたい」


 声にならないほどの小さな呟きが無意識のうち飛び出した。貴族たちは好意的というよりも逃がさないと言わんばかりの圧力を作っており、フレデリックは隠すことなく不機嫌オーラを放っている。


 今すぐドレスをまくり上げて、先ほど歩いてきた廊下を全力疾走したい。なんであんな怖い人と結婚しなくちゃいけないのだろう。今から逃げても遅くないはずだ。


 ユリアナは視線を彷徨わせて、隙がないか周囲をよく見る。


 中央にフレデリックと司祭、そして両脇には貴族。フレデリックの両脇に……警備にあたっている騎士がいるけど、ユリアナの立つ位置から距離がある。幸いにして、ユリアナの後ろにいる騎士も少し距離を取っている。


 不意打ちなら駆け抜けられそうだ。人間やろうと思えばなんだってできるものだ。どんな難題だって気合で乗り越えられるはず。


「ユリアナ王女殿下」


 ヒヤリとした声がユリアナを現実に引き戻した。はっとして、一番近い位置に立つ人に目を向けた。マクレガーがじっと冷ややかな目で彼女を見ていた。


 マクレガーは昨日と異なり、黒の貴族の正装で身を固めていた。華やかな色合いではないが、彼の硬質な印象もあってとてもよく似合っているが恐ろしさも何故か倍増中だ。


「な、何かしら?」

「逃げることはお勧めしません。この国は軍事国家ですから。よく覚えておいてください」

「……わかっています」


 図星を指されて、目をうろつかせた。理解していることを確認して、マクレガーは満足そうに軽く頷いた。


「さあ、準備はいいですか?」

「はい」


 差し出された腕にそっと手を預ければ、マクレガーは導くようにゆっくりと歩き始める。ヒールの高いユリアナの歩調に合わせてくれていて、とても歩きやすい。


「ユリアナ殿下の肖像画だけでドレスを作りましたが、とてもよくお似合いです」

「ありがとうございます」


 褒められたが、微妙な気持ちで曖昧に微笑んだ。


 何一つ準備をしないまま、はっきり言えば着の身着のままやってきた。国王が承諾してから三日後には迎えの馬車がやってきて、あれよあれよという間にこの国に連れてこられたのだ。


 思い出の品をいくつか持ってきたが、それ以外はすべてこちらの国で用意された物だ。もっともあの短時間のうちに、輿入れに相応しい支度ができたかと言えばはなはだ疑問だ。一番上の姉にお願いしたら支度を整えてくれたかもしれないが、それでも半年以上はかかる。


 当然婚儀のドレスや宝飾品も勝手に用意されたものだ。昨日到着して、今日初めてそのドレスを見たのだが。


 普通に生きていたら一度も見ることのないほど贅沢な作りをしていた。


 肉厚で滑らかなシルクサテンは柔らかい印象を与えるクリーム色、そして胸から腰にかけてふんだんにちりばめられた小さな宝石たち。


 ドレスの裾には繊細な模様の刺繍が施されていた。胸には大ぶりのダイヤが飾られ、耳にも同じく雫型にカットされたダイヤが使われている。肘の上まである白絹のロンググローブの上から太めの銀の腕輪が嵌められていた。


 豪華すぎて、重すぎて、ユリアナの胃はひっくり返りそうになるほど痛んでいた。あまりにも違い過ぎる経済力に吐き気すら覚えた。人は身の丈に合わないことをすると、具合を悪くするのだと身をもって知った。


「まあ気楽にやってください。ほら、陛下は見た目だけはいいですから。心の中ではどんな風に扱ってもらっても構いません。性格は横暴で暴力的、色々と問題ばかりですしね」


 そう言われて、ユリアナの到着を待っているフレデリックを見た。

 鍛え上げられたがっしりとした長身の体躯に、やや厳しめの表情ではあるが整った顔立ち。少し癖のある黒髪は綺麗に後ろに撫でつけられ、額を露にしていた。その頭には王冠がある。詰襟の白い服の上にずっしりとした重そうな毛皮のマントを羽織り、堂々としていた。


 確かに顔はいい。それは間違いない。でもだからといって一緒にいられる人かというとそうではない。近づくにつれて、徐々に眉間のしわが深くなっていく。婚儀ぐらいにこりとすればいいのに、険しい表情のまま立っている。


「こちらへ」


 敵でも睨みつけているのではないかというほどの眼を向けながらも、ユリアナに手が差し出された。


 手汗、大丈夫よね。


 ロンググローブを付けているけど心配になってくる。汗染みとか出ていたらどうしよう。だがここで手を預けないわけにはいかない。


 恐る恐る白手袋に覆われた手に自分の手をそっと置く。ぎゅっと握りしめられて、息が詰まった。あまりの大きさの差に、恐ろしく思えた。


 変に怯えたり、委縮するのは神経を逆なでる。


 そんな王太子の言葉を思い出し、ゆっくりと呼吸をしてから微笑みを浮かべた。引きつっているという自覚はあったが、強張ったままでいるよりは笑顔っぽいものの方がいいはずだ。


 そう、笑顔だ、笑顔!


「どうぞよろしくお願いいたします」

「……」


 こちらを見分するように目を細めたが、激昂はされなかった。そのことに内心ほっとしていれば、腰に手を回され引き寄せられる。その近い距離にぎょっとした。


 エスコートされるとは思っていなかったため、思わず彼を見上げてしまった。こちらに視線を落としていた男と真正面から目が合う。

 赤みを帯びた濃い茶色の瞳が光の加減のせいか、とても赤く見える。赤い目なんて恐ろしいだろうとずっと思っていたが、見入ってしまうほど綺麗だった。


「なんだ」

「いえ」


 ぶっきらぼうな言い方の中に、ほんの少しだけ人間味のある温かさを感じた。緊張のあまりに自分がおかしくなっているだけかもしれないが、ユリアナにとって重要な一瞬だった。


 きっとやっていける。

 そう確信できるだけの何かをしっかりと掴んだ。


 不思議な感情もあるものだと思いつつ、二人で司教の前に立つ。司教は淀むことなく婚儀を執り行った。


 厳かな雰囲気の中、二人の婚儀は成立した。

 正式に夫婦として認められた瞬間、多くの貴族たちが喜びに大号泣した。先程の緊迫した空気から一転して、喜びの大合唱だ。教会は音が反響しやすいように作られているため、男の大号泣の合唱は地鳴りのように響いている。


 その異常な盛り上がりが恐ろしくて、思わず一歩後ろに下がった。


「あんなにも喜んでもらえるなんて……喜んでいいのか微妙」

「適切な判断だ。お前を祝福しているのではない。あいつらは俺に娘を差し出す必要がなくなって、よかったと喜んでいるのだろう」

「え、っと?」


 ユリアナの呟きに、隣に立つ男が興味なさそうに答えた。戸惑いながら彼を見上げれば、面白くもなさそうに鼻を鳴らした。


「婚儀は終わった。行くぞ」


 ユリアナの腰を強く引き寄せると、小脇に抱える。完全に足が浮き、思わず顔を引きつらせた。


「ちょっと待ってください! これは流石に恥ずかしい……!」

「黙っていろ」


 不機嫌に言い捨てられて、口をつぐむ。だけどこの格好で退場するのは嫌で、味方を探した。誰かフレデリックを非難してくれという気持ちで目を向けるが、誰もかれもが微笑ましい笑みを浮かべている。


 最後にマクレガーと目が合った。彼は声に出すことなく口だけ動かした。


『そのまま退場してください』


 フレデリックのやることはすべて是となるようだ。反論する気力が萎え、逞しい彼の腕に全身を預けた。力が抜けたのが分かったのか、フレデリックは小さく笑うと花嫁を小脇に抱えたまま、赤い絨毯の上を歩いて退場した。


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