運命の恋
ベティルは大陸の隅にある小国の王女として生まれた。
この小国は魔法を秘匿する一族が興した国で、代々魔法を伝え守る役割を課せられ、王族はもれなく魔法の知識を詰め込まれた。
すでに魔法の力を失って百年以上が経過し、学ぶと言っても本当に知識だけ。
呪文の意味も、魔法陣の使い方も分からないまま、とにかく知識が失われないようにと勉強する。
ベティルには沢山の兄弟がいたが、ベティルほど魔法の勉強が好きな子供はいなかった。自然と魔法を学ぶのはベティル一人となった。
他の兄弟たちが色々な遊びやおしゃべりに、と楽しく過ごしている中、ベティルはひたすら書物を読んでいた。
「ベティル、たまには息抜きも必要よ」
そんな風に気を配ってくれたのは一番上の姉だ。家族の会話に混ざることなく、持ち込んだ魔法書を読みふけっている妹に声をかけた。ベティルは顔を上げて、覗き込むようにしてかがんでいる姉を見る。
「今、とても面白いところなの」
「本は後でも読めるでしょう? あなたの分のお菓子もあるから、一緒に食べましょう?」
優しく誘われたが、読書の邪魔をされてベティルは不満そうに唇を尖らせた。
「今はいらない。後で食べるわ」
「姉上、もう食べようよ。ベティルは後でいいって言っているんだし」
「でも」
「本当に気にしないで」
そうやって姉の誘いを断る。
何度目かのお茶会の時から、姉はベティルを誘うことをやめた。ベティルも余計なことに気を遣わなくていいので、距離を置かれても気にしなかった。
ある日、自室で本を読んでいれば、楽し気な笑い声が外から聞こえてきた。その声がいつもよりも大きく聞こえて、顔を上げる。聞こえてくる音を拾えば、庭に家族が集まっていることがわかった。いつもと変わらないお茶会だと思うのだけど、今日に限ってひどく気になる。
落ち着かない気持ちでしばらく声を聞いていたが、思い切って部屋の隅に控えている侍女に尋ねた。
「何かあるの?」
「今日は一番上の王女殿下の婚約祝いに、ご家族でお茶会をしていらっしゃいます」
ベティル付きの侍女が淡々とした口調で告げた。
「……お姉さま、婚約したんだ」
初めて聞く話に、目を瞬いた。しばらく悩んだ後、立ち上がる。
「着替え、手伝って。お姉さまにお祝いを言いに行くわ」
「――わかりました」
ほんの少しの間を開けてから、侍女は頷いた。ベティルは昼の茶会に相応しいドレスに着替えると、先触れもせずに姉たちのいる庭へと向かった。
庭には両親、ベティル以外の兄弟が揃っていた。皆、婚約を結んだ一番上の姉を囲み、楽しそうに話している。その明るい雰囲気にベティルの口元が緩んだ。ふわふわとした空気に誘われて、家族に歩み寄る。
「お姉さま」
楽し気な雰囲気がしんと静まり、一斉に皆の目がベティルに向かった。他人を見るような目を向けられて、ベティルはたじろいだ。
「まあ、ベティル。来てくれたのね」
その場を取り繕うように姉が立ち上がり、声をかける。そして立ち尽くすベティルに近づくと、ベティルの両手をそっと握った。姉の手の温もりに励まされて、ぎこちない笑みを浮かべる。
「あの……婚約したと聞いてお祝いを」
「そうなのね。ありがとう」
にこにこと柔らかな笑みを向けられて、ベティルは体からほっと力を抜いた。姉に促されるまま、家族の中に入っていく。姉の隣に座り、兄弟たちの話を聞いた。ベティルは無理に微笑み、さも面白いことを聞いたかのような顔を作る。
だけど、どの話題もベティルにはわからなかった。
一番上の兄に子供ができたことも、年の近い姉が姉から仕事を引き継いで公務を行っていることも。
何もかも、初めて聞くことばかり。
戸惑うベティルを置いてけぼりにして、どんどんと話は進んでいく。姉以外、ベティルに誰も声を掛けなかった。その姉も他の兄弟たちとの話に忙しくて、ベティルだけを気にしているわけにもいかず。
近い距離で話を聞いているのに、ひどく遠い存在になっていた。
昔はこんなことは感じなかった。一緒にいて、自分も家族の一人だと信じられた。
話題が途切れた時、ベティルは適当に言い訳をしてその場を逃げ出した。
◆
自分と家族の距離が遠いものになったと感じた後、ベティルはますます魔法書にのめり込んだ。
一人部屋に籠っていても、侍女が何もかもやってくれる。食事の支度も、お風呂の準備も、寝る時間の管理も。だから気にすることなく、魔法書に逃げ込んだ。
魔法書は沢山あって、時間がいくらあっても足りない。
沢山あった蔵書は読んでいないものもないほどになり、ついには物語にも手を出した。魔法書と違って神話はとても楽しいものだった。難しい古語を使っていたが、それも慣れていけばすんなりと読むことができる。
何よりも神話に出てくる魔法が目を引いた。今まで読んできた魔法書に書かれていた魔法が使われていることに気が付けば、ますます楽しくなっていく。
魔法書を読んでは空想に耽り、同時期の物語を読んでまた空想した。
中でもお気に入りは魔王を倒す勇者の物語。
黒髪に赤い瞳を持つ勇者の側には聖女と魔法使いがいた。魔法使いは勇者の補助を行い、魔王の手下を仕留めていく。最後の決戦で、魔法使いは勇者を庇い命を落とす。そして、必ず生まれ変わって、もう一度会おうと約束をするのだ。
もしかしたらこの魔法使いは自分かもしれない。
魔法使いは黒髪に黒目の女性。
ベティルも同じ色を持っていて、しかも魔法を秘匿する一族の者。
魔法を失ってしまったのはきっと魔王との戦いで力を使い果たしたから。勇者も生まれ変わっていて、きっと自分を探している。
そんな空想をしては、うっとりと酔いしれた。
魔法書と空想ばかりして過ごしていたベティルが成人を迎えた頃、大国との小競り合いが起こった。大国からの言いがかりであったが、それでも国力の差は絶大だ。戦って勝てる相手でもなく、周囲の小国はどこも白旗を上げた状態で、国の危機を助けてくれるような伝手もない。
国の中枢にいる人たちは皆顔色を悪くして連日会議を開いていた。打開策がないまま、大国から従属の証として、王族の姫を差し出すようにと迫られた。
ベティルにとって他人事だ。
政治のことは姉たちが担うべきことで、ベティルの役割は王族に伝わる魔法の知識を蓄えること。だから国王夫妻である両親も、重臣たちもベティルには特に何も言ってこなかった。
散々、話し合われた結果、一つ上の姉のレティが大国に差し出されることになった。レティは王女らしく美しく手入れされ、明るく誰にでも好かれる人柄だ。部屋に籠り、魔法書ばかり読んでいるベティルと並ぶと似た顔立ちにもかかわらず、姉妹に見えないほどだ。
他人事のように気の毒にと思いつつ、顔色の悪いレティの隣に並び、使者を待つ。
「え?」
やってきた使者団を見て、ベティルは目を見張った。大国の使者は戦争を仕掛けた国王の息子で、采配を振るっている将軍だった。
大きな体に精悍な顔立ち、何よりも黒髪に赤に近い茶の瞳をしている。
その姿を見てどくりと心臓が音を立てた。
「あの人……」
目を逸らすことができずに呟く。その呟きを拾ったのが一番上の兄だった。
「フレデリック王太子だ。血筋の悪い男が沢山いた異母兄妹を皆殺しにして、今の地位を手に入れたんだ。あんな男にレティを連れていかれるなんて……」
忌々しげだった兄の口調は最後にはレティを憐れんだものに変わった。ベティルはもう一度フレデリックを見た。
すっきりとした身のこなしから、剣の腕も素晴らしいのだろう。それはまるで勇者のように。
「わたしがお姉さまの代わりに行くわ」
「はあ? 何を言って……」
「別にわたしでもいいでしょう?」
長兄が眉をひそめたが、ベティルは気にならなかった。ただただフレデリックだけを熱い目で見つめる。
彼は気づいてくれるはず。
そして、膝をついて手を差し出して結婚を申し込んでくれる。
瞬きをすることも惜しむほど見つめていたが、フレデリックはその場を去ってしまった。気が付かれなかったことにがっかりしながら、すぐに両親の元へと向かった。
普段、距離を置いている娘が声をかけてきたことに驚きつつ、父王はベティルの話を聞く。
「なんだ?」
「レティ姉さまの代わりに、わたしが人質として行きます」
浮かれた気分で申し出た。気持ちはすでにフレデリックとの邂逅に向かっていて、何が何でも取り替えてほしい気持ちしかない。
「お父さまたちもわたしよりもレティ姉さまに残ってもらった方が嬉しいでしょう?」
「交換はしない」
父王は頭が痛そうにこめかみを押えつつ、ため息をつく。すぐに手はずを整えてくれると思っていただけに、ベティルはぽかんとした顔になる。
「え? どうして?」
「少し考えたらどうだ。お前は魔法の知識をその頭に詰め込んでいる」
「それと何が関係するの?」
確かに王族には知識を保持する役割がある。だからこそずっと魔法書を読んできたのだ。でも、ベティルがいなくなっても、誰かがやればいいだけの話。難しいことではない。
理解できなくて首を傾げれば、再びため息をつかれた。
「魔法の知識を持った王族を国から出すわけにはいかない」
驚きの理由にベティルは息を飲んだ。
「そんな! わたしはフレデリック様についていきたいのに!」
「……この話はここまでだ」
ベティルの言い分を聞くことなく、父王は席を立った。その後を、側近たちが続く。立ち尽くす彼女に王太子が声をかけてきた。
「魔法書にばかり夢中になっているからだ。少しは常識を持て」
それだけ言って、彼も部屋から出ていく。一人残されたベティルはぐっと拳を握りしめた。思い通りにならなくて、涙が出る。手を伸ばせば届く位置に自分を求めているはずのフレデリックがいるのに、諦められない。
「――諦める必要ないじゃない」
ベティルは涙を拭うと、顔を上げた。そして急いで自分の部屋に戻る。
確か、魂を交換する魔法があったはずだ。今まで発動するかどうかは気にしたことがなかったが、もしかしたら動くかもしれない。
ベティルは自分の知識を総動員した。魔法は魔力というものがあれば自由に使うことができる。だけど、すべての人に満足な魔力があったわけではない。そこで作られたのが魔法陣だ。少しの魔力で動かすことができる。
ベティルは自室にある本棚を眺めた。ただあったからという理由で読んだ本であったが、魔力の量を増やす方法が書いてあったのを思い出していた。うろ覚えで、なかなか本が見つからない。覚えているのは背表紙の色だけ。
目についたえんじ色の背表紙の本を抜き取り、次々に広げていく。
しばらく経って、ようやく本が見つかった。
「魔力が足りなければ、補給すればいいのよ。魔力がないのなら、あるもので起動すればいい」
補給の方法は――。
ベティルは笑った。姉と魂を入れ替えてしまえば、姉の魂の入った自分の体はいらない。代償を入れ替わった後の自分の体に指定することにした。魔力を起動するために必要な道具はすでに見つけてある。
時間を惜しみ、ベティルは準備を始めた。
「どうぞよろしくお願い致します」
レティ――ベティルはフレデリックに微笑んだ。フレデリックは感情の籠らない目でレティを見てから、馬車に乗るようにと指示した。
レティの体に入ったベティルはこれからのことを思い、胸をときめかせた。
◆
大国の辺境にある離宮は沢山の王女が詰め込まれていた。離宮もさほど大きくなく、そして王女として暮してきた者たちには非常に満足のいかない生活を強いられた。
食事を抜かれることはなかったが、使用人は最小限しかおらず、自分のことは自分でしなくてはいけない。与えられた部屋も個室であったけれども、小さなものだ。
「修道院みたい」
どこかの王女がそう嘆いていた。戦争を回避するための人質であることは理解していたが、なかなかつらい生活だ。ベティルも家族とは疎遠になっていたが、好き勝手なことをできる自由があったし、王女としての生活は与えられていた。
その落差に慣れるのは大変だったが、いずれフレデリックが迎えに来ると思えば耐えることができた。
それに。
知らない人ばかりの環境で、しかもベティルのことを気にする人間もいない。ここに来るために姉のレティと魂を入れ替えたが、やはりレティと名乗ることに慣れず、ベティルを名乗っていた。やってきた王女の名前が違うと言われるかとドキドキしていたが、管理人も使用人も大した興味がないのか特に咎められなかった。
ベティルを名乗れることにほっとしながらも、本当に「王女」がいればよくて、王女個人など気にしないことに時折心が軋んだ。
沈みそうになる気持ちを振り払い、ベティルはノートを広げる。自分の記憶にある魔法書の内容を思い出し、役に立ちそうなものを忘れないように記していた。何年も読んでいるだけで実際に魔法を使ってみようとしてこなかった。だけど、姉のレティとの魂の入れ替えを成功させたことで、色々と試したくなっていた。
幸いにして、ここは忘れられた離宮。沢山の姫たち、そして沢山の使用人達。確かに王族としての暮しを考えれば質素だ。だが、魔法の試しと考えればこれほど恵まれた環境はない。ここで死んでも誰も気にすることはない。殺されたとなれば目立つかもしれないが、突然死なら環境が過酷だと判断してくれる。
ベティルはひっそりと、やってみたい魔法を試していった。
魂を入れ替えた時のように魔力の不足分を誰かの命で補いながら、少しづつ実験する。
「人を魔物にすることはできるけど……獣は面倒ね」
失敗を何度か重ねた後、ようやく小さな鳥を魔物にすることができた。魔法で魔物に変化したとはいえ、鳥は鳥だ。どうやら食料をやる必要があったようで、二日ほど放置したら死んでいた。
「何がいいかしら」
無機質なものを魔物にしても仕方がない。どうしようかと庭を散策していると、美しい花たちが咲いていた。たまには気晴らしに、と美しい花たちに誘われてどんどん奥へと向かう。そのうち、開けた場所に出た。
「あら、ベティル王女。よかったら一緒にお茶でもいかが?」
どうやら他の王女たちが茶会をしている場に出てしまったようだ。ベティルはぎこちなく微笑む。
「でも」
「元気がなさそうね。無理もないわ」
王女たちはベティルの返事を聞くことなく、次から次へと話していく。時間を費やすための茶会ではこうしてダラダラと話すのがいいようだ。断るのも角が立ちそうなので、仕方がなくベティルは勧められるまま席に着いた。
「ベティル王女は体調に気を付けてね?」
「ありがとうございます。今のところ、大丈夫ですわ」
「それならいいのだけど。最近、急死する方が多いから」
ため息交じりに誰かが言う。
「仕方がないですわ。あの方、最初の頃からここにいたわね。確か、もう三年を超えると言っていたと思うわ」
「どなたか亡くなったの?」
静かに聞けば、隣の彼女が声を潜めた。
「ええ。ずっと帰りたいと泣いていた王女だったわ。わたしたち、一体いつまでここにいればいいのかしらね」
「わたくしたちは人質ですもの。国のために死ぬまでここにいるしかないのだわ」
投げやりな言葉のやり取りに、ベティルは口をつぐんだ。彼女達の話を聞いている限り、人が突然死んでも自然と受け入れられているように思えた。誰もがここにいるよりもいいと思っているのかもしれない。
そんなことを思いながら、黙っていれば、ふとテーブルの上に飾られた白と赤の花が目に入った。薔薇のような華やかさではないが、二つ揃うととても印象深い。
「……この花は?」
「これはこの土地でしか咲かない花なのですって。少しでも慰めになればと分けていただいたのよ」
「とても綺麗ね」
ベティルは花をじっと見つめた。
「気に入ったのなら、部屋に飾ったらいいわ」
「いいの?」
「ええ。もちろん」
「では、遠慮なくいただくわ」
赤と白の花はベティルへと渡された。ベティルは笑みを浮かべ、お礼を言った。
そんな単調な生活を三年ほどしたころ、離宮にいる人たちに王宮へ呼び寄せる連絡が入った。
◆
幸せすぎて、眩暈がする。
ようやくフレデリックが迎えに来てくれる。
辛い三年間だったが、それすらもこれからの幸せを考えれば、必要だったと思えるほど。
「わたくしたち、どうやら王都にある後宮に入れられるらしいわ」
とある国の王女がそんな情報をもたらした。集まっていた数人の王女たちが期待と不安の表情でそれぞれの思いを話している。
「後宮? わたしたちは側室になるということなのかしら?」
「あら、でもこの国は一夫一妻制じゃなかったの?」
「それがね、数代前の国王が後宮制度を作ったそうで――」
そんな基本情報が浸透するのは早かった。とにかくこの辺境にある離宮よりも、王都にある後宮の方が居心地はいいはずだと誰もが頷いている。
「ふふ。もしかしたら見初められて王妃になれるかも」
「まあ! あの冷酷王の妃だなんて、わたくし、恐ろしいわ」
身の程知らずの期待を口にする者がいる。ベティルは流石に聞き捨てできずに、眦を怒らせた。
「フレデリック様の妃はわたしがなるのです」
「ええ?」
きっぱりと言えば、困惑の声が聞こえた。それもまた気に入らなくて、イライラする。
「わたしからよいように図らうようにお願いしてあげるから、媚を売るなんて無様な真似をしないでほしいわ」
「……ベティル王女は自分が王妃になると言っているの?」
顔を見合わせていた王女たちのうち、一人が首を傾げ呟く。ベティルは胸を逸らし、威厳のあるような態度で頷いた。
「そうよ。わたしとフレデリック様は運命でつながっているの」
「運命ですって?」
王女たちは小さな声で囁き合った。その様子はとても畏怖しているとは言い難く、どこか馬鹿にしたような空気がある。ベティルは不愉快そうに眉根を寄せた。
「運命が事実ならいいわね。わたくしたちは邪魔はしないわ」
「そうね。わたしは祖国に帰りたいもの」
王女たちは口々に言い始める。ある王女がベティルをじっと見つめた。
「もしあなたがフレデリック王の運命で、何でも望みを叶えてもらえるようになったのなら、わたくし達を祖国に帰すように進言してちょうだい」
「帰りたいの?」
「もちろんよ。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」
フレデリックが気移りするかもしれないという示唆に、ベティルは目を吊り上げた。
「バカにしているの!?」
「落ち着いてちょうだい。わたくしたちは帰りたいだけ。その他はいらないわ」
冷静な言葉に悔しさがこみあげてきたが、ベティルは感情を押し殺した。
「ええ、わかったわ」
「ありがとう。あなたとフレデリック王の幸せを祈るわ」
離宮にいた人間は全員、王都にある後宮に入れられた。住めるだけの準備が整った頃、フレデリックが顔を出した。
「今まで不自由だったと思う。これから祖国に帰す手続きをする。もうしばらくここで過ごしてほしい」
無表情であったが、穏やかな口調で王女たちに告げた。王女たちは涙を流して喜ぶ。
「ありがとうございます」
「すぐにというわけにはいかない。何かあれば、使用人に伝えてくれ」
穏やかに話す彼をうっとりと見つめていた。
最後に手を差し伸べて婚姻の申し込みをしてくれるだろうと期待して待つ。
期待に満ちた目でフレデリックを見つめていたのに、必要最小限のことだけ告げてフレデリックは後宮を後にした。
「あの……」
もしかしたらここにいることに気が付いていないのかもしれない。
そんな気持ちでフレデリックに声をかけたが、彼は気が付くことなく足早に去っていく。その後姿にベティルは茫然とした。
「ベティル王女、何か思い違いをしていたみたいね」
「そうね、運命ではなかったようね」
祖国に戻れるという安心感からか、王女たちの口から棘のある言葉が飛び出した。
「思い込みって怖いわね」
「でも仕方がないのではないかしら? あんな環境でしたもの。自分を助けてくれる運命がいないと耐えられないわ」
くすくす笑いが大きくなっていく。王女たちは好き勝手にさえずった。
ベティルは聞いていられなくなって、その場から逃げ出した。
「運命じゃないなんて、信じない。フレデリック様が勇者様の生まれ変わりで、わたしの運命なの」
自分に言い聞かせるように強く強く信じる。
部屋に着くと、乱暴に扉を閉めた。扉に背を預けたまま、ずるずるとその場にしゃがみこむ。
「大丈夫、フレデリック様はまだ思い出していないだけ」
だけど。
ふとベティルに初めて疑問が生まれた。
もしこのまま思い出さなかったら?
もしこのまま他の女性を選んでしまったら?
一度生まれた疑問は次第に大きく膨れ上がり、ベティルを追い詰める。
「だったら、思い出してもらえばいいのよ」
ベティルには魔法の知識がある。
その中に運命の糸を繋げるものもあった。
ないのなら、作ってしまえばいい。
繋がっていないのなら、繋げてしまえばいい。
「そうよ、始めからそうすればよかったのよ。待つ必要なんてない。わたしがあの人を運命だと決めたのだから」
おかしそうに笑うと、ベティルは立ち上がった。
そして、その夜。
ベティルは運命を繋ぐ魔法を使った。
Fin.