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夢の終わり


 今、何故キスをされたのか理解できなくて目を瞬いた。夜のような濃厚なキスではなくて、ちょっと触れるだけの挨拶のようなキスだ。フレデリックに問うような眼差しを向けたが、彼はユリアナの頬を撫でただけだった。


「後ろを見ずに廊下を真っすぐ進め。ミンターたちがいるはずだ」

「わかったわ」


 促されて温室の外へと続く廊下を見れば、激しく花々が茎をうねらせている。驚いて振り返れば、ベティルが怒りに体を震わせていた。苛烈なほどの嫉妬をユリアナに向けてくる。その激しさに、ユリアナの口元が引きつった。


「どうしてあんなに怒っているの?」

「俺がお前にキスしたからだろうな」

「それ、わたし、悪くないわよね?!」


 驚いてフレデリックを見れば、楽しげに唇を歪める。その笑みに怒らせるとわかっていてしたのだと悟る。できれば穏便にすませていきたいのに、と泣きたくなってきた。


「心配しなくても俺が押さえておく。お前は前を見て、全力で走れ」


 ポンと背中を押された。よろめいて一歩を踏み出した瞬間、すぐ後ろの床に花の蕾が突き刺さる。先ほどとは比べ物にならないほどの激しさに、ユリアナは全力で走り出した。


 彼女の激しい怒りを感じて、足が自然と動く。ちらりと後ろを見れば、フレデリックが無造作に花の茎を払っていた。ベティルはフレデリックがユリアナを庇うものだから、ますます逆上しているようだ。聞こえないが、楽しげな様子からもしかしたら煽るような何かを言っているのかもしれない。


「きゃあ!」


 フレデリックを気にしていたせいか、植物に足を取られた。走る勢いもあって、バランスを崩して転んだ。

 床に手を突き、足を見れば蔦のようなものが靴のヒールに巻き付いている。床に伸びていた蔦を踏んだことで、絡みついてきたようだ。


「もう! 邪魔!」


 絡まった蔦を取ろうとしたがなかなか取れない。ユリアナは両足の靴を脱ぎ捨てた。急いで立ち上がり再び走り出すが、すぐに蔦が絡まろうとする。息を切らしながら伸びてくる蔦を避け、一歩一歩と廊下を進んだ。


「王妃殿下!」


 ミンターの声がした。顔をあげれば、庭のすぐ側にミンターと何人かの騎士がいる。


「ミンター! 会えてよかったわ!」


 走っている方向を変えて、ミンターの側に行こうとそちらに向かう。だがあと一歩のところで、見えない何かが先に行くことを阻んだ。


「何この壁?」

「ここから先、我々は入れません。どうしても弾かれてしまって」

「ええ? どうやって陛下は入ってきたの?」


 ミンターは何やら取り出した。驚くことに、この離宮に飛ばされる前に作っていた聖水の入った壺だった。


「聖水を使って中に入りました」

「聖水があれば入り口はできるのね」

「残念ながら、我々は同じ方法を試しましたが入れませんでした」

「……そう」


 ユリアナは天を見上げた。とにかく何か考えないといけない。だけど、色々ありすぎて頭は上手く働かなかった。とりあえず考えることをやめ、フレデリックに言われたことだけをすることにする。


「陛下に聖水を取ってくるように言われたのだけど、どのくらい残っているのかしら?」

「申し訳ありません。中に入ろうと試して、ほとんど使ってしまいました」

「水はある?」

「すぐに汲んでまいります」


 ミンターの指示で騎士たちがすぐさま壺に水を入れに行った。騎士を見送りながら、ため息をついた。


「聖水の素の予備もありますが……必要ですか?」

「水に溶けていないと効果がないのよね」


 先ほど投げつけたことを話せば、ミンターの眉間のしわが深くなる。


「なんて危険なことをしているのです」

「だってあの時はいい方法だと思ったのよ」


 肩を竦めれば、ミンターが険しい顔をしたまま口をつぐんだ。今説教されても辛いばかりだと気が付いたユリアナは話題を変えた。


「そう言えば、彼女、陛下に膝を突いて求婚されたと言っていたけど本当?」

「あり得ません。後宮へ移動した時には陛下は最初に後宮に集められた王女たちに挨拶をしましたが、すぐに次の戦場へ移動しています」

「ふうん。一目見て勝手に運命的な何かを感じたのかしら」


 それにしても極端に思い込んだものだ。色々と聞いていると、騎士が壺を抱えて戻ってきた。


「こちらに押し込んでみて」


 騎士は水の入った壺を床に置き、ユリアナの方へと押しやった。物は通すのか、壺が透明な壁を越える。ユリアナは押し込まれた壺を自分の方へと引き込む。


「うまくいきましたね」


 ミンターがほっとしたように呟いた。ユリアナも少しだけ笑顔を見せる。


「聖水を作ったら、陛下の所に行ってくるわね」

「我々は入れる場所がないか、探してみます」


 ユリアナはポケットから大量の聖水の素を取り出した。落とさないように気を付けながら、まとめて両手で握りしめると祈りを込める。


 この悪夢のような状況が消えるように。


 そんな気持ちを強く込めながら、仄かに暖かくなった水晶玉を全部壺に入れた。聖水の素はゆっくりと底に沈んでいく。キラキラとした何かが大量に溶け込み、壺の中が眩しいほど輝いた。


「……多かったかしら?」

「濃い分には問題ないのでは」

「それもそうね。では、わたしは戻るわね」

「あ、待ってください」


 ミンターが走り出そうとするユリアナを引き留めた。ユリアナは首を傾げた。


「どうしたの?」

「これを」


 ミンターが懐から短剣を取り出した。壺と一緒に送られてきた短剣だ。悪を斬ると説明されていたが、何とも微妙な顔になる。ミンターはユリアナの気持ちを察したのか、小さく笑った。


「ないよりはましですよ」

「そうかもね」

「ご武運を」


 この国に来てからこんな言葉ばかりだとユリアナは笑った。短剣を受け取ると壺を抱え直し、先ほど走ってきた道をもう一度走り出した。



 長いと感じていた廊下も、二度目になればそれほど長さを感じなかった。ユリアナは緩くうねる蔦を踏まないように気を付けつつ、温室へと向かう。温室に近づくほど、何かを切り裂く音が大きくなっていった。


 温室の入り口をくぐれば、そこには大量の花の残骸が床に転がっていた。むっとした空気が肌に纏わりついた。温室の中に入りたくないという気持ちがこみあげてきたが、そうも言っていられない。大きく息を吸うと、覚悟を決めて足を踏み入れた。


「なんだ、もう戻ってきたのか。思ったより早かったな」


 ユリアナが声をかける前にフレデリックが気が付いた。フレデリックは軽快に剣を振るっているが、数は減っていないようだ。ベティルの後ろからうねうねと伸びる花の茎が容赦なくフレデリックを狙っている。


「……増えている?」

「ああ。ちょっと煽り過ぎた」

「何を言ったの?!」


 フレデリックが反省するぐらいなので、かなり煽ったのだろう。女の嫉妬は怖いのだ。燃料を投下したら目も当てられない。


「大したことは言っていないぞ。如何にユリアナが美しく、愛らしいか説明した」

「陛下……」


 気が遠くなった。どう考えてもユリアナにとって害にしかならない説明だ。フレデリックは攻撃してくる花を切り捨てると、ユリアナの方へと下がってくる。


「ちょっとだけ聖水を掛けてみろ」


 ユリアナは頷くと、壺の中に手を入れた。ほんの少しだけ掬い取り、こちらに向かってくる花にかけた。


 水がかかったところから、じゅわじゅわと音が鳴り、溶け落ちる。斬っただけではすぐに蕾が作られていてたが、復活する様子もない。


「聖水、すごい」

「不本意だがそれは認めよう。あの女の気を引くから、聖水をかけてやれ」

「どうなるかわからないわよ?」


 花が溶けたことから、ベティルが聖水に触れて何もないことはない。フレデリックは肩をすくめた。


「あれはすでに人間と言えないだろうが。元に戻るならいいが、そうでないのなら仕方がない」


 言われていることはわかっている。だけど気持ちが重かった。


「ユリアナ」

「はい」

「止めを刺すのは俺だ。お前ではない」


 フレデリックはユリアナの目を見つめて断言した。ユリアナはお腹に力を入れた。覚悟の決まった顔を見てフレデリックは口の端をわずかに持ち上げた。


「いい顔だ。いくぞ」


 フレデリックはベティルの方に向かっていった。ユリアナも同時に彼女に近づく。


 そして。


 壺の中の聖水をベティルにぶちまけた。


「きゃああああ、いたい、いたい、いたい!」


 悲鳴を上げてベティルが床に倒れた。彼女の手足となっていた花たちは溶け落ち、ベティルはのたうち回る。フレデリックは彼女に近づくと、その胸に剣を突き立てた。


 信じられないと言うようにフレデリックを見上げるベティルの目。


「あ……ああ……」


 ベティルは絶命しなかった。押し込まれた長剣を両手で掴み、引き抜こうとする。体重を乗せているためか、簡単には外れない。聖水に触っていない花が頭をもたげた。フレデリックは慌てて飛びのく。


「愛しているのに」


 ベティルは涙を流しながら、胸から剣を抜き、ゆらりと立ち上がった。フレデリックは死なない彼女を見て舌打ちした。ユリアナはそんな二人を茫然として見ていたが、ミンターから渡された短剣をフレデリックに向かって投げた。フレデリックは反射的にそれを受け取り、鞘を払う。


「これで最後だ」


 彼は短剣を彼女の胸に差し込んだ。

 ベティルは唇を震わせたが声にはならなかった。そして、彼女はそのまま消えた。


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