勘違いの恋の成れの果て
肩で大きく息をする。
冬になる前の死闘を繰り広げる狩りでもこれほど体力を消耗したことはない。
そもそも冬の狩りは念入りな準備をしている。ユリアナは手伝い程度であったので、どれほどそれが重要であるかはなんとなくしか理解していなかった。こうして窮地に立たされてみれば、狩る相手に対して準備を怠らないことがいかに重要か理解できる。
そんなどうでもいいことを思いながら、次々に向かってくる花の蕾の茎に向かって鉄扇を力強く振り続けた。ベティル自身、戦いに縁のない人なのだろう。彼女の攻撃は単調で、ユリアナも反射的に鉄扇を翻した。たまに叩く位置が悪く蕾が割れ、ねっとりとした液体が飛んでくる。ドレスは見るも無残なぐらい、緑の液体でドロドロだ。
問題は体力に限界があるユリアナに対して、ベティルには限界がないことだ。彼女はよくわからない力を使ってすぐに斬り落とされた蕾の代わりを作り出す。
いつになったらフレデリックはここに来るのか。すでに限界が見えているのに、一向に彼がやってくる様子がない。ひしひしと近づく終わりに、不安と焦燥が入り混じる。
「あっ」
ユリアナは目の前に迫った蕾を見て、咄嗟に横に転がった。慌てて自分の手を見れば、持っていたはずの鉄扇がない。辺りを見回せば、最後に叩いた蕾からさらに奥の床に転がっていた。どうやら力を込めて叩いた勢いで鉄扇も一緒に飛ばしてしまったようだ。
得意な鉄扇であったが大量に叩いてきたため、右手はすっかり痺れて感覚がなくなっていた。疲れた体は重く、足に力が入らない。ユリアナは歯を食いしばり、よろめきながら無理やり立ち上がった。
そんなボロボロのユリアナを見て、ベティルは口元に楽し気な笑みを浮かべた。
「何とも無様ね。見ているだけで辛いわ」
「そうね、これ以上はムリね。ああ、こんなことで死ぬなんて運がなさすぎるわ」
ユリアナは役に立たなくなったサッシュを口元から外しながら、自分の状態を冷静に判断した。
「でもわたしが死んだところで代わりの王妃が来るだけだと思うけど」
「なんですって?」
「だって、貴女、陛下に嫌われているじゃない」
「嫌われている?」
ただの軽口だったが、ベティルの癇に障ったようだ。ざわりと空気が変わった。ユリアナはもう疲れ果てていて、言葉に気が回らなくなっている。怒りを滲ませた彼女に冷めた目を向けた。
「陛下がヤバい女に目をつけられた被害者、と言っていたもの。間違いなく嫌われていると思うわ」
「そんなはずはないわ! わたしたちは愛し合っているのよ」
「愛し合う? 陛下と手を繋いだり、微笑みあったりしたというの? いつどこで?」
暇な時間に読んでいた恋愛小説を思い出しながら、聞いてみる。フレデリックの説明からすれば、彼女とまともに話したことなどないはずで。
無神経なことを聞いている自覚はある。もしかしたらもっと怒らせてしまい、感情的になったベティルが暴走するかもしれないが、ユリアナにはもうこれぐらいしか時間を引き延ばす方法が思いつかなかった。
気が付かれないようにさりげなく左手をドレスのポケットに突っ込んだ。そしてお目当ての物を掴むと、息を大きく吐いた。ぎゅっと手を握りしめ、心の中で早口で祈りを込める。
気持ち悪い植物が枯れますように。
気持ち悪い植物が枯れますように。
気持ち悪い植物が枯れますように。
ベティルから注意を逸らさず、ひたすらそれだけを念じた。
「フレデリック様は閉じ込められていたわたしを助けに来てくれた」
ベティルは恍惚とした眼差しで彼女の愛の思い出をユリアナに語った。ユリアナは自分の口元が引きつるのを自覚しながら、とにかく時間稼ぎのために聞き手に徹する。
「……確かに前王に辺境に幽閉されていたところを、彼が王都の後宮に連れてきたのは事実ね」
「とても素敵だった。歩けないわたしを抱き上げてくれて」
うん?
ユリアナはフレデリックから聞いていない内容になってきて、不愉快になってくる。ベティルの妄想だと思いたいところだが、それにしてはあまりにも具体的過ぎる。モヤモヤを抱えたまま、相槌を打ち、ベティルの気持ちを過去に向けさせる。
「膝を突いて、とても甘い笑顔でわたしに愛を囁いたのよ」
「それは嘘ね」
ユリアナは反射的に否定してしまった。フレデリックの見た目がいいことは認めるが、決して優しい男ではない。気を許した人間以外には無表情で冷ややかだ。甘やかな表情を浮かべるわけがない。
否定されたベティルは先ほどまでの柔らかな雰囲気が消え、目を尖らせた。
「嘘ではないわ」
「あなたがそういう風に思い込んでいるだけよ。大体、貴女を愛しているのなら陛下はわたしを正妃にするわけないじゃない」
「うるさい!」
彼女の怒声に反応して、蕾たちが大きく膨れた。ユリアナは感情的になった彼女めがけて、渾身の祈りを込めた聖水の素を投げつける。
小さな水晶玉は彼女の胸に当たった。だが聖水の素はぶつかったことで勢いを失い、床に転がる。ころころと小さな水晶玉は転がって見えなくなった。
聖水の素に触れたが、期待した変化は見られず。
「……」
もう一度、と同じように早口で祈りを込めて聖水の素を素早く投げつけた。それもまた同じように彼女に当たって床に転がった。もちろん変化はない。ユリアナは自分の失敗を悟った。
「嘘でしょう? 水に溶かさないと駄目ってこと?!」
こちらを威嚇していた蕾たちが一斉にユリアナめがけて飛んできた。逃げることもできず、頭を抱え目を固くつぶった。すっかり聞きなれてしまった花たちの空を切る鈍い音が耳に入る。
痛みを覚悟してその瞬間を待った。
「……?」
いつまで経っても痛みも衝撃もない。恐る恐る目を開けてみれば、大きな背中がそこにあった。彼は長剣を操り、ザクザクと花たちを切り刻む。蕾も茎も関係なく切っているせいなのか、蕾の切り口からねっとりした液体があふれ出していた。びちゃびちゃと気持ちの悪い音を鳴らしながら、植物たちが床に落ちる。
「陛下?」
「随分とボロボロだな」
一通り切り終わったフレデリックは鞘に剣を戻しながら、ユリアナに近づく。混乱して立ち尽くしているユリアナの頭にぽんと手を置いた。
「間に合ってよかった」
「遅いっ! 死ぬかと思ったじゃない!」
フレデリックの暖かな体温を感じた瞬間、ユリアナの緊張が解けた。助けに来てくれたという嬉しさがあるものの、理不尽な戦いを強いられた不満で素直に礼が言えない。
フレデリックは泣き笑いのユリアナの頭をゆっくりと撫でた。
「時間がかかったのは悪かった。ここまでよく頑張ったな」
「そうよ、頑張ったのよ」
積もり積もった文句をぶつけてやろうとしたが、途中で何を言おうかわからなくなってしまう。いい言葉が出てこなくて、困った顔でフレデリックを見上げた。
フレデリックはちゃんとわかっていると言うようにもう一度頭を撫でる。
「さて、さっさと処分しようか」
「処分って……」
「呪いも解けた。あの女を殺しても問題なかろう」
当り前のことを告げる口調に、ユリアナは何とも言えない顔になった。
「ねえ、本当に彼女と甘酸っぱい思い出はないの? 陛下が甘い顔で愛を囁くなんてあり得ないと思うけど、それだけの思い出に書き換えてしまえる何かがあったのではないの?」
「……記憶にないな。そもそも俺は成人してからほとんど戦場にいる。特定の女を作る暇はない」
どうでもいいような様子で答え、フレデリックは長剣をベティルに向けた。ベティルは突然現れたフレデリックに満面の笑みを浮かべた。
「迎えに来てくれたのね。待っていたわ!」
「……お前を殺しに来た」
感情の乗らない声音でフレデリックが告げた。彼の冷たさをものともせずに、ベティルは仕方がないわというように微笑んだ。
「わたしが魔法に失敗してしまって怒っているのね。でもあなたと幸せになるためにはどうしても必要だったの。でももう大丈夫よ」
「……恐ろしいほど人の話を聞いていないな」
フレデリックが引きつった声を出した。熱に浮かれたような目をしてベティルはフレデリックにゆっくりと近づいた。ユリアナはフレデリックの腕に軽く触れて注意を引く。
「ねえ、本当に殺すの?」
「当然だ。あの女は生かしておけない」
「でも」
ユリアナは目の前で人が殺されるところを見たことがなかった。もちろん狩りをして生死を彷徨ったり、大けがをして腕や足を失った人の手当てをしたことはあるがそれだけだ。
「そもそも、あの女は人間なのか?」
「人間でしょう?」
「よく見ろ。あの背中にある植物はあの女から生えていないか?」
そう言われて、ユリアナはフレデリックの肩越しにベティルを観察した。ベティルは美しい顔立ちをしていたがその顔の周りを毒々しい花たちが飾っている。ずっと背景だと思っていたが、彼女がこちらに近づくのと一緒に動いている。どうやら寄生されているようだ。
「――あの植物の本体が彼女だとしたら、斬っただけでは死なないわ」
「死なない、とは?」
「あれ、再生するの」
そう、再生する。何度も何度も茎を叩き落としても、すぐに新しいものが作られる。ベティルが人間であれば、剣が届けば死ぬだろうが一体化しているのなら無理だ。
「聖水は試したか?」
「水がないと駄目みたい。聖水の素を投げつけたけど、何も起こらなかった」
フレデリックはなるほど、と呟き考え込む。
「今から言うことをよく聞け」
「何?」
「あの女の注意を俺が引き付ける。その間に廊下に出てミンターの所に行くんだ」
「ミンターが来ているの?」
一人で来たわけではないのだと知り、胸に安心感が広がる。
「そして聖水を取ってこい」
やりたいことが分かったので頷く。フレデリックは横目でベティルを見ながら、ユリアナに覆いかぶさるようにかがんだ。
「陛下?」
にやりと笑ったフレデリックはベティルに見せつけるようにユリアナの唇にキスをした。




