二人の気持ち
夜になり、呪いの時間に切り替わる。
呪われた体は毎夜、正確な時間に変化をもたらす。
ユリアナはフレデリックの私室で彼の体の変化をじっと待っていた。
鍛え上げられたがっしりとした大きな体が、仄かに発光しながら小さく縮んでいく。初めて見た時には、本当に小さくて守ってあげたくなる華奢な体だった。
「信じられない。わたしより大きいじゃない」
「あと数日と言ったところか」
それが聖水を飲み始めて十日目の今夜、フレデリックの身長はユリアナの背を抜いていた。少しだけだが、見上げないと視線が合わなくなる。その事実がなぜか面白くない。
フレデリックは自分の体の大きさがさほど変わらなくなったことが嬉しいのか、いつになく上機嫌だ。何度も何度も手を握りしめたり、軽く体を動かして確認している。その動作をユリアナは複雑な目で眺めていた。
「本当に数日で解けてしまうの?」
「ああ。今は大体16歳ぐらいだな」
「そんな……」
ユリアナは呪いが解けることが可愛らしいフレデリックに会えなくなることだったことに気が付いて、愕然とした。小さな子供のフレデリックはとても可愛らしくて、ユリアナは密かに夜の時間を楽しみにしていた。
「いつまでも子供でいてたまるか」
ショックで不貞腐れるユリアナを見ながら、フレデリックはどこか得意気だ。まだ子供っぽいところが残っていることから呪いが残っているのがわかる。十日で十歳以上大きくなっていることを考えればフレデリックの言っていることも的外れではない。
「もう抱きしめてあげられないわ」
「俺はここにいるのだから、俺を抱きしめればいいだろうが」
ユリアナは失われてしまう癒しの時間を思い、さめざめと嘆いた。そんなユリアナに偉そうにふんぞり返りながら彼は言う。
「そういうことじゃないのよ」
「――お前は」
フレデリックは少し改まった顔でユリアナをじっと見つめた。その目がいつもと違っていて、ユリアナは首を傾げる。言葉の続きを待ったが、いつまでたってもフレデリックは口を開かない。
「陛下?」
小さな声で呼びかければ、フレデリックは首を左右に振った。
「俺の呪いが解け始めているから、ユリアナも十分に気を付けて欲しい」
「何を?」
「あの女だ。俺が解け始めているということは、あの女もそのうち起きるだろう」
不穏なことを聞いてユリアナは目を見開いて固まった。
「どういうこと?」
「簡単な話、あの女は俺にかけた呪いを失敗して寝ている状態だ。俺の呪いが解ければ自然とあの女への反動もなくなる」
「うわ、だったら解かない方が良かったのかしら? そうしたら大好きな可愛らしい陛下であり続けたわけだし」
ぽろりと本音が漏れれば、フレデリックの大きな手が顎を掴んだ。
「可愛いと言うなと何度言ったらわかるんだ」
「顔、近い! 手を離して!」
あまりの至近距離に声をあげれば、フレデリックが煩そうに顔をしかめた。手が離れると、すかさずユリアナは距離を取る。
「当面の間、護衛を増やす。しばらくは部屋に籠っていろ」
「散策は?」
「絶対に駄目だ。庭は特に危ない」
この城の中で危なくない場所などないような気がしていたが、ユリアナはとりあえず頷いた。
「絶対に護衛を側に置く、外には出ない。他には?」
「聖水の素、持ち歩くぐらいか」
聖水の素、と言われて目を瞬いた。
「なんだ」
「聖水の素、信頼しているのだと思って」
「信じるしかないだろう。事実、俺の呪いが解けつつある」
「それもそうだけど」
目で確認したことは怪しいことでも肯定するだけの心の柔軟さは持っていることに驚いた。フレデリックはとにかく短気で、自分がこうだと思ったこと以外は受け入れないと思っていた。ユリアナはいいことだと、頷く。
「陛下は――」
「そろそろ名前で呼べ」
「ええ……。すごく仲がよさそうで嫌だわ」
ユリアナは渋い顔をして見せれば、フレデリックのこめかみに青筋が立った。
「俺たちは結婚しているんだ。夫婦仲がいい方がいいじゃないか」
「だってそれではお飾り王妃とは言えないから」
フレデリックは顔を強張らせた。先ほどの機嫌の良さが嘘のように、重苦しい空気に変わっていく。その変化にユリアナは目を丸くした。
「お飾り? どういう意味だ」
「そのままの意味よ。だってわたしって子供を産むために選ばれたのよね? 公務ができるほど頭もよくないし……ということは、お飾りで、跡取りを産んだ後は陛下は好きな女性と」
続きは言えなかった。
フレデリックは力の限りユリアナを抱きしめる。ぎゅうぎゅうに抱きしめられてユリアナの意識は一瞬空白に飛んだ。フレデリックはユリアナの耳元で小さな声で呟く。
「俺はお前をお飾りだと思ったことはない」
「でも」
納得できなくて苦しい呼吸をしながらも反論する。あまりにも苦しそうだったからか、フレデリックは少しだけ力を抜いた。
「どうしてそういう判断になるんだ」
「だって、生き残るためには空気になるのが一番だって」
「誰が」
ユリアナがぼそぼそと言い訳をするので、フレデリックは忍耐強く聞き出す。ユリアナは困ったように微笑んだ。
「え、っと。ここに嫁いでくる前に、家族が」
「ほう」
「だって陛下は煩い女が嫌いで、気に入らないとすぐに斬ると噂されていたから。だから、大人しくお飾りになれば生き残れるかなと」
まあ間違いはないな、とフレデリックは素直に認めた。ユリアナは怒りを買わなかったことにほっと息をついた。
「そうだな、お前以外の女に対してはその認識で正しい。生きたければ、俺の視界に入らない方がいい」
そこで一度言葉を切ると、フレデリックは改めてユリアナの顔を見つめた。嫌な顔もせず、無表情でもない彼に見つめられ、ユリアナは次第に落ち着かない気持ちになってくる。
フレデリックはもう一度しっかりとユリアナを抱きしめた。
「俺はお前のことが好きだ。恐らく愛していると言ってもいいぐらいだ」
「はい?」
予想すらしていなかった告白に、ユリアナの頭は真っ白になる。
「そうだな。多分、愛だ」
「嘘でしょう?」
「いいや、多分間違っていない」
多分、という言葉が気になりはしたが、恋愛感情など持ったことがなさそうなフレデリックが断言できないのは仕方がないのかもしれない。気に入っていることは間違いなかったので、それ以上に好まれていたのだろう。
「……光栄です?」
「欲しい言葉はそれじゃないな」
期待するような目を向けられたので、ユリアナは思わず目を伏せてしまった。
フレデリックに対する気持ちに名前を付けようと思ったことがなかった。だから突然言われても困ってしまう。そう思いつつも、胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。
「まあ、今はいい」
フレデリックは特に追及することなく、ユリアナのこめかみにキスをした。