聖水の素
三番目の姉のシエナから荷物が届いた。すでに中身は検められているので、手紙も荷物も開封済みのものがアレシアから差し出された。
「ありがとう。でも何故シエナお姉さまからなのかしら?」
首をひねりつつ、それらを受け取る。荷物はテーブルの上に置き、まず手紙から広げた。シエナからの手紙は季節の挨拶から始まり、ユリアナを心配する言葉、そして今回シエナが荷物を送ることになった経緯が連なっていた。
ユリアナから手紙をもらった一番目の姉のミアが大陸屈指の商会に嫁いだシエナに相談し、ちょうどいい品があったから直接こちらに送ったそうだ。二人の姉の優しさに思わず笑みが浮かぶ。
「いつかゆっくり話したいなぁ」
姉たちとはかなり年が離れているので、ユリアナは本当に小さい時にしか一緒に過ごしていない。それでもこまめに里帰りしては優しくユリアナに笑いかけてくれていた。王族としての心得を色々と教えてくれたのも姉たちだ。
顔をほころばせながら手紙を読み進めれば、最後に一緒に送った荷物についての使い方が色々と書いてあった。
手紙をテーブルに置くと、箱を開ける。
小さめの宝石箱とたっぷりと宝石が飾られた短剣、それに壺が入っていた。
「壺」
大きめの壺で、全体的には銅褐色の色をしている。露店に売っていそうな安そうな壺だ。華やかさも芸術性も感じられない。手紙をもう一度読んでみれば、「有難い壺」と書いてある。
「使い方は邪悪な空気を感じる方向に置いて、朝晩祈りを込めるといいそうよ」
「……それは飾るということですか?」
アレシアが真顔で聞いてきた。ユリアナは壺を自分の目の高さまで持ち上げ、壺の中や底を見回した。何の変哲もないが、壺の裏には「幸運を招く」と書いてある。
「後で考えるわ」
「そちらの短剣はちなみにどんな効能が?」
アレシアも慣れたもので、テーブルに置かれている下品一歩手前ぐらいの短剣を指さした。
「これは悪を斬ることのできる短剣らしいわ」
「ということは、由緒正しい聖遺物でしょうか」
「由緒正しければいいけれども」
どちらかというと、バッタ物を掴まされた気がして仕方がない。シエナは信心深くないので、信心深い知り合いがこれは素晴らしいものだと言いきったら素直に受け入れそうである。やや不安に思いつつも、最後の宝石箱を手に取った。
美しい彫刻が施された蓋を持ち上げた。中には親指の先ほどの大きさの丸い水晶玉が箱いっぱいに並んでいる。子供なら喜びそうだが、どうやって使うものかがわからない。箱の中に紙が入っていたので、それを取り出す。
「聖水の素?」
どこにでも売っていそうな普通の水晶玉にしか見えないが、この水晶に祈りを込めて水の中に入れると聖水ができるらしい。
「ねえ、アレシア。これに祈りを込めて、水に入れると聖水ができるみたい」
「意味が分かりません」
「では一般的ではないのね?」
「聖水は聖職者の祈りが込められたものなので……」
アレシアも知らないことだったらしく、眉間にしわが寄った。ユリアナは透明な水晶玉を一つ摘んだ。宝飾品に使われそうなほど表面がつるりとした美しい出来だ。たとえ聖水ができなかったとしてもかなりの価値がある。
「これ、とある教会で売られているみたい。教会の名前は秘密らしいわ」
「――売られているのですか」
「金額は安いみたいね」
アレシアは黙り込んだ。聖水の素を信じていないのがありありとその顔に書いてある。ユリアナでさえ、流石に信じられずにいるのだから仕方がない。
「ねえ、本当にこれで聖水ができると思う?」
「この国の教会も腐りきっていますが、聖水の素というのも釈然としません」
アレシアの言いたいことも分かる。ユリアナも心のどこかではこの聖水の素で作った聖水など、井戸水と変わらないのではないかと感じている。
「でも気持ちの問題というのもあるわよね」
「確かに信仰とはそういうものですから」
「そうね、そうよね。わたしが強く祈ればいいのよ、きっと」
そう何とか自分を納得させると、アレシアに水を持ってきてもらうことにした。
「聖水の素、使うのですか?」
「折角だし。これで本当に聖水ができるなら助かるわ」
「ですが……」
「心配しなくても、出来上がったものはわたしが飲んでみるつもり。それで問題がないようだったら、陛下にも飲んでもらうわ」
流石に毒見なしでフレデリックに飲ませるわけにはいかないので、そう言ってみたのだが、アレシアの顔色は悪くなった。
「王妃殿下、毒見などしないでください。ちゃんと毒見係がおりますので、必要ならば連れてきます」
「え、そうなの?」
「はい」
アレシアはそれ以上は言わなかったが、ユリアナにはなんとなくわかってしまった。吹けば飛んで行ってしまうような小国の王女が大陸の覇者と言われているフレデリックの正妃になっている。
最初の頃は彼の冷酷な噂から近寄ることもなく歓迎していたが、フレデリックは周囲の予想とは反してユリアナを大切にしている。
ユリアナは外に出ることはほとんどないのだが、それでもフレデリックと一緒に散策する時もある。最初の頃は驚いたような顔をしていたが、回数を重ねるごとに、好意的ではない視線を向けられるようになっていた。
二人の姿を見て、欲が出たのだろう。ユリアナが不慮の病や事故で亡くなれば、もしかしたら、という気持ちが生まれた。
「本当に大国の貴族って面倒くさいわね。わたしが死んだとしても、次の相手に陛下が同じ態度を取るとは限らないのに」
「その通りです。王妃殿下にしか穏やかな態度は取っていないのは見てわかるはずなのですが」
アレシアは半分ほど水の入った水差しをユリアナの前に置いた。ユリアナは手に持っていた水晶を両手で握りしめ、教会で目にした司教の祈りのポーズを真似る。
そして、祈りを込める。
「……祈りの言葉? 何を言ったらいいのかしら?」
信心深くないユリアナにはすぐさま聖職者のありがたいお言葉が出てこなかった。仕方がなく、祖国の聖職者たちを思い出してみたが――。やはりそれっぽい言葉ではなかった。
「心を込めたらよいと思います」
固まってしまったユリアナにそっとアレシアが助言する。
「そうね。では呪い……魔法が解ける様にと祈るわ」
お願い事を決め、目をつぶる。強く強く、お腹の底から祈った。両手に握りしめた聖水の素が少しだけ、温かくなった気がする。
「よし」
そっと水晶玉を水差しに沈めた。
静かに静かに水晶玉が底に向かって落ちていく。その様子をじっと見つめていると、次第に水の中にキラキラとした何かが広がった。幻想的な変化に目を奪われつつも、この水を飲んでいいのか微妙な気持ちになってくる。
「……これって飲んでも大丈夫なのかしら?」
「やはり毒見係を呼びましょう」
聖水として使わないという選択肢を選ぶことなく、ユリアナは素直に頷いた。