難しくてお手上げ
資料をテーブルの上に放り出すと、そのままユリアナは突っ伏した。
フレデリックと朝食を摂った後、ユリアナは大量の資料と格闘していた。時間はあっという間に過ぎ、すでにお昼だ。アレシアに声を掛けられて驚いたほどだ。
「簡単なものでいいわ」
「わかりました。今、ご用意します」
アレシアは片手でつまめるパンを用意した。机から離れることなく、とにかくテーブルに積まれていた資料を一つ一つめくっていく。
フレデリックの命令によって運ばれてきた資料は重要度の順に分けられており、ユリアナは上から順番に手に取った。
資料は各国から集められた魔法や呪い、魔女や魔法使いといったどこか空想の世界のようなものが書かれていた。
魔法という荒唐無稽の力をふんだんに発揮して、未曾有の敵と戦うのだ。魔法の宝石の嵌った杖を使い、この世界に充満しているという魔素という魔法の素を集め、なんだかよくわからない呪文によってびっくり現象を引き起こす。
ユリアナは滾々と書かれたこの説明をしばらく読んで、自分の今までの経験と文字から受け取れる世界を想像してみた。
だけど、思いつくのは祖国での狩りの様子。斧を魔法の杖に置き換えてみたけど、しっくりこない。敵も最後に戦ったずるがしこいキツネだ。己の力のなさを嘆くほどの絶望はそこにはない。
自分の想像力のなさに、ため息しか出ない。
「何をぼんやりしている」
テーブルの上でぐるぐるしていれば、呆れたような声がかけられた。慌てて顔を上げて扉の方へ向けば、ドアに寄りかかるようにしてこちらを見ているフレデリックがいる。ユリアナは目をぱちぱちと瞬いた。
「陛下、どうしました?」
「もう夕方だ」
そう言われて、彼から視線を逸らし窓の外を見れば日が傾き始めている。雲一つなかった青い空は夕焼けの赤と夜の色が混じり合っていた。美しいグラデーションを見て、自分が一日何も成果が出せなかったことに愕然とした。
「本当だわ。一日が終わっちゃった」
放心したように外を見ながら、ユリアナは呟く。フレデリックは寄りかかっていた扉から体を起こすと、大股に彼女の所まで近寄った。そしてテーブルの上に広がる資料を見て、納得したように頷く。
「だから無理をしなくていいと言っている」
「無理じゃないもの。そういうやる気をそぐようなことを言わないでほしいわ」
「この程度でやる気がなくなるならやめておいた方がいい」
バカにされているわけではないが、事実を言われてユリアナは機嫌が悪くなる。フレデリックはユリアナの機嫌など気にすることなく、隣に座った。そしてユリアナが読んでいた資料を手に取った。
「これはこの世界に魔法使いが沢山いたころの話だな」
「そうね。想像するのが難しいわ。ところで陛下はこの資料、読んだの?」
「もちろん。腹が立つほど読んだ」
簡単な作業だと言わんばかりの態度に、ユリアナは再び突っ伏した。フレデリックはそんな彼女を鼻で笑った。
「そもそもお前は狩りをしていた生活をしていたのだろう」
「そうね。古語なんて勉強するよりも、一頭でも多く仕留める方法を身に着ける方が祖国では正義だから」
生活スタイルが違うと言われればその通りで。
だが、ユリアナはマクレガーに啖呵を切った手前、どうしても理解ぐらいはしたかった。それが不幸にも呪われた体になった夫に対して妻がすべきことだ。
フレデリックに恋焦がれているわけではないが、フレデリックが離縁しないと言っている以上、これからもこの場所で生きていくことになる。そうなると彼の問題は自分の問題だ。
フレデリックは不貞腐れているユリアナを不思議そうに見つめた。
「別にお前が頑張らなくとも、呪いの解除については専門家にやらせている」
「そういう問題ではないのよ」
「じゃあ、どういう問題だ」
ユリアナは口をつぐんだ。フレデリックは手に持っていた資料をテーブルに戻すと、テーブルに伏したまま黙り込む彼女の顔を覗きこんだ。ユリアナは自分の気持ちを言いたくなくて、視線を逸らした。大きな手が彼女の頭をポンポンと優しく叩く。
「ほら、言え」
「嫌よ」
「そういう態度をとるから、言わせたくなる」
ユリアナの拒絶を面白がりながら迫ってくる。ユリアナはうううっと唸った。頭を撫でていた手がそのままするりと頬を包み込む。突然謎の雰囲気を纏いながら顔が近づいてきた。
いつもの冷めた空気が消え、甘さを湛えた眼差しになる。その恐ろしいほどの切り替わりに、ユリアナの頭が沸騰した。慌てて体を起こし、フレデリックと距離を保つ。
「どうしてそんな無駄に色気が!?」
「色気? そうか、お前は俺に色気を感じるのか」
いいことを聞いたと言わんばかりに、フレデリックがニヤニヤし始める。
「誰だって、性格に難があっても見た目が良い男性からそういう目で見られたらドキドキするでしょう?!」
「性格に難のある相手にドキドキするなんて、お前は被虐趣味でもあるのか」
「ないです、そういう勝手なことを言わないでちょうだい!」
恐ろしいことを何か納得したように言い始めたので、力強く否定した。フレデリックはその必死の様子がおかしかったのか、声を押し殺すようにして体を震わせる。
揶揄われたと理解した途端に、ユリアナは動いた。隣に座るフレデリックめがけて、背もたれにしていたクッションを叩きつける。避けるつもりはないのか、フレデリックはにやけたままクッションを受け止めた。何度目かになって、ようやくユリアナの手を抑え込む。
「拗ねるな」
「拗ねてないもの。正当な怒りよ!」
「それが拗ねていると言っている。わからないところは教えてやるから」
軽くいなされて、ユリアナは唸った。
「もう!」
「それとも夫婦らしいことをするか」
夫婦らしいこと、と艶のある声で囁かれてユリアナは体から力を抜いた。脱力した体はそのまま前に崩れ、フレデリックの胸に寄りかかる。
「……一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「もしかして、陛下はわたしのことを気に入っています?」
ぼそぼそとした小さい声になってしまった。これだけ打ち解けている状態ならばともしかしたらという気持ちになっていた。
フレデリックがすぐに反応しないので、ユリアナは自分の早とちりに体中が熱くなってくる。恥ずかしさで、大声をあげて廊下の隅から隅まで走りたい気持ちになってくる。だが、謝る方が先だと、顔を上げた。
「すみません、勘違い……えっ?」
ユリアナはフレデリックの顔を見て驚きに固まった。フレデリックは顔を真っ赤にして、硬直していた。目が合えば、フレデリックはほんの少しだけ瞳が揺れた。だが、彼の口から出た言葉ははっきりとしていた。
「勘違いではない」
「それって、気に入っているということでいい?」
「ああ」
ユリアナは嬉しさよりも驚きで、めまいがしてきた。だけど、これはフレデリックの妻として生きていくならとても喜ばしいことだ。ユリアナはフレデリックから体を起こし、そのまま伸び上がった。頬にちゅっと可愛らしいリップ音を立ててキスをする。
「――お前は」
「はえ?」
ぐるりと視界が回った。いつの間にかフレデリックに押し倒されていた。
「一度だけしか言わない。俺はお前が妻でよかったと思っている」
「ええ、と。信じてもいいの?」
「信じろ」
よくわからない断言であったが、まあいいかと、ユリアナは微笑んだ。フレデリックはため息を一つついてから、覆いかぶさる。そして、彼の唇が。
「あっ!」
ユリアナの唇を塞ぐ直前に、フレデリックの体が縮んだ。ユリアナの上には大きな服を着た男の子がいた。
「クソッ! あの女、呪いが解けたら切り刻んでやる!」
「まあまあ、わたしも頑張るから」
「お前に期待していたらいつになるかわからないから嫌だ」
フレデリックは子供っぽい怒りを爆発させたが、可愛いばかりだ。ユリアナはそんな彼をぎゅっと抱きしめた。
「うん、小さくて可愛い」
「可愛いなんて嬉しくない!」
二人は再びじゃれ合い始めた。