大量の資料
ユリアナはアレシアとミンターを連れて、フレデリックの執務室へと向かった。王族の居住区域から出るのは婚儀以降、初めてだ。
ユリアナは興味津々で城の中を見る。王族の居住区域から出ていけば、文官や警護の騎士など、様々な人がいる。彼らはユリアナを見て一様に驚いたような顔をするが、すぐに頭を下げて恭順の意を示した。
「ねえ、声を掛けてあげた方がいいの?」
こういう時の作法がわからず、付き従うアレシアに小声で聞いてみる。アレシアはすました顔で、首を左右に振った。
「にこやかに立ち去ればよいです。声を掛けられたことで、勘違いしてもいけませんから」
「わかったわ。迂闊に話しかけてはいけないということね」
貴族は上位者に取り入ることをごく自然にするから注意が必要なのだとか。ユリアナは後ろ盾がないので、そこを狙ってくる貴族もいそうだ。
「それにしても贅沢な作りの城ね」
貴族たちの挨拶をにこやかに受け取りながら、ユリアナは祖国とは違う豪華な城に感心していた。前国王、つまりフレデリックの父は侵略戦争を繰り返しているぐらいなのだから、もっと武骨な城だと思っていた。
だがこうしてじっくりと見てみれば、かなり芸術に力を入れていることがわかる。高い天井には神話の時代の物語が描かれ、窓枠には細かな彫刻が施されている。柱にも美しいレリーフが彫られており、廊下だけでも見どころが沢山あった。客人が通るところだけ見栄えよくしている祖国とは違う。
「あれって、いくらぐらいするのかしらね」
廊下の壁に飾ってある絵画に視線を向けた後、アレシアをじっと見る。だがアレシアがその程度で動じるわけもなく、静かに見返してきた。
「王妃殿下、値段を憶測するのは下品です」
「こっそりでいいから教えて?」
どうしても知りたくて我儘を言えば、アレシアは渋々と言った様子で教えてくれた。金額を聞いて、気が遠くなる。
「祖国の1年分の予算と同じだなんて……正気なの?」
「正気かどうかと言われれば、正気です。かの有名な画家の作品ですので。この国にとっては端金です」
「端金……」
国力の差に愕然としながらも、廊下に飾ってある絵画をよこしまな気持ち見てしまう。勝手に数字を弾いていたが、途中でやめた。金額を想像しただけで恐らくこの廊下を純粋な気持ちで歩くことができなくなりそうだ。
「そろそろ陛下の執務室です」
「ええ、わかったわ」
ユリアナは先ほどまでの気の抜けた表情を改めた。背筋を伸ばし、さっとドレスを確認する。乱れたところはない。
ミンターが護衛騎士に声をかけると、すぐに扉が開いた。促されて中に入れば、フレデリックは不在であったが、マクレガーはいた。
「ごきげんよう」
ユリアナが声を掛ければ、すぐにマクレガーの顔が上がる。
「ああ、王妃殿下。お待ちしておりましたよ。これを処理するまで少しお待ちいただきたい」
そう言いながら、手に持っていた書類を少しだけ持ち上げた。ユリアナはゆったりとした行動を意識しながら頷いた。この部屋には何人もの文官がいるので、よそ行きの顔を作った。
「ええ、よろしくてよ」
「では、お言葉に甘えて。どうぞそちらに座ってお待ちください」
示された長椅子を見れば、壁に控えていた侍従が案内してくれる。優雅さを心がけながら、腰を下ろした。無駄のない動きで、侍従はユリアナにお茶を差し出した。花の甘い香りのするお茶に、思わず口元がほころぶ。
「いい香りね」
「最近流行りの花で作られたお茶でございます」
「ああ、だからこのような色なのね」
主にこの国で飲まれているお茶は紅いものが多い。ところが出されたお茶は薄い黄色をしている。薄い色合いのため、味も薄いのかと思っていたが、案外しっかりとした甘さと爽やかな味があった。
「美味しい」
初めてのお茶をじっくり味わいながら飲んでいれば、マクレガーがようやく立ち上がった。
「お待たせしました。用件は陛下から聞いております」
「では、さっそくだけれども、資料を見せてもらいたいの」
「お持ちします」
頷いてから、侍従に指示をする。すぐさまテーブルの上には資料となる本が侍従によって綺麗に山となった。
「え、こんなに?」
「これはごく一部です。重要かと思われた物だけを集めてあります」
「それでも解決しなかったということ?」
「そうです。ただし、他の人が読めば違った解釈があるかもしれません」
山になった資料を茫然と見つめた。もっと絞り込めているものだと思っていたので、予想外の量だ。
「もちろん、途中でやめてもらっても構いません」
マクレガーの淡々とした口調を聞いて、ユリアナは不愉快そうに眉根を寄せた。始めから成果を求めていないような態度を取られたことが非常に癇に障る。
「心配しなくてもちゃんと調べるつもりよ」
「恐れながら、こちらの文献はかなり古いものも多く、一般教養程度では読めません」
はっきりと知識がないだろうと言われ、ユリアナはますます難しい顔になった。確かにユリアナには教養がないかもしれないが、やると言った以上きっちりと調査をするつもりだ。だが今どれほど言葉を重ねたとしても、説得力が全くないのはわかっている。
ユリアナは心の中で盛大に文句を言うことで気持ちを冷静に保ちながら、一番上にある一冊を手に取った。表紙をめくれば、独特な言い回しの文字が目についた。今はあまり使われない古語だ。
「これ、創世記の話よね? 関係あるの?」
「後半の方に気になった点があったようなので」
マクレガーはそう説明しながら、紙片の挟まっているページをめくるようにと告げてくる。言われるままめくってみれば、紙片には気が付いたことや疑問点が細かい字で書きつけられていた。
「こうしてメモが書いてあるのね」
「ええ。ですから、気が付いたことがあれば同じように紙を挟んで書いていってください」
追加してもいいのかとふんふんと頷いていると、扉が乱暴に開いた。驚いて顔をあげれば、大股でフレデリックが入ってくる。いつもの詰襟の上着を肩に掛け、白いシャツはボタンが上からいくつか開いている。あまりの砕けすぎた格好にマクレガーのこめかみに青筋が立った。
「陛下、きっちりとボタンを締めてください。腐っても国王なのです」
「気にするな」
マクレガーの苦言にも気にすることなく、ユリアナの側に立った。彼はテーブルの上に山ほど積まれた資料を見て、口元を歪めた。見るのも嫌になるほど見ていたのか、今にも燃やしてしまいそうな目をしている。
「説明はもう終わったのか」
「まだ途中ですよ。邪魔ですから剣の訓練でもしてきてください」
マクレガーは追い払うようにフレデリックに向かって手を振った。フレデリックはマクレガーを無視すると、ユリアナの持っている資料を奪い取った。資料をテーブルの上に戻すと、ユリアナの腕を引っ張り立たせる。
「後で俺が教える。資料はこいつの部屋に運んでおいてくれ」
「え? でも」
「陛下、素直に一緒に食事をしたいと言えばいいものを」
険しい顔をしていたマクレガーがにやにやと笑った。フレデリックはむっつりとしながらも、ユリアナの腕を離さない。
「食事?」
「もう昼だ。天気がいいから、テラスに用意してある」
説明らしい説明がないが、どうやらこれが彼の仕様のようだ。空気のようにして仕事をしていた文官たちから微笑ましい眼差しを向けられた。