離宮に眠る敗戦国の王女
フレデリックの説明はとても簡単なものだった。
領地拡大のために先王が各地で戦争を始めた。その時から、人質として敗戦国の王女を連れてきていたらしい。始めは僻地にある幽閉用の城に入れていたようだが、先王が亡くなった後、フレデリックがすべて後宮に連れてきた。そこでようやく、罪人のような扱いから王女に相応しい生活へと戻ったらしい。
問題はその後だった。
幽閉されていた王女の一人がフレデリックに助けられたことで暴走した。ベティルという名の小国の王女で、自分こそがフレデリックの運命の相手であり、妃になる者だと思い込んだ。
もちろんそんな事実はなく、適当な時期になったら連れてきた人質の王女たちはそれぞれの国に戻すつもりだった。だが、そう決めていても何年も続いている戦争のこともあり、なかなか後宮の整理ができないまま放置することになった。その間に、さらに迷惑な妄想は確実な未来として彼女の中で育っていったそうだ。
「え、もしかして俺ってモテるんだという自慢なの?」
「どこが自慢になるんだ。ヤバい女に目を付けられた被害者だろうが」
フレデリックがむっとして唇を尖らせる。
「そんなに嫌いなの? てっきり最愛の彼女を害されて、離宮の人間を全部殺したのだと推理していたのに」
「なんだその最愛の彼女というのは」
フレデリックの顔が険しくなる。どんな顔をしても可愛いと思いつつもユリアナは素直に答えた。
「全員惨殺されている中一人生き残っていて、しかも離宮で大切にされている。そう考えるのが普通だと思うわ。わたしも祖国でそう聞いていたし」
「……なんだと」
「先ほどの離宮で彼女を見て、事実だと」
フレデリックはがっくりと肩を落とした。その様子がとても哀れで、つい頭を撫でてしまう。
「粘着質な女は嫌いだ。しかもあの女、思い込みが激しすぎる」
「陛下にも苦手な人がいるのね。それで、あの変な力は何なの?」
「魔法だ。あの女の国は建国以来、ずっと魔法を秘匿し守ってきたらしい」
おとぎ話のような説明に、ユリアナはキョトンとした顔になる。この大陸の創成期には確かに神、神子などと共に魔物や魔女と言った存在もあったと記されている。だがそれはすでに神話の世界であり、魔法と言われても素直に頷けなかった。
そのことに気が付いているのか、フレデリックは鼻で笑った。
「お前、信じていないだろう?」
「半々ぐらいかしら。先ほど導かれたこと、陛下の子供姿を考えれば、信じなくてはいけない気もするわ」
「とりあえず信じろ」
話が進まないからな、と言ってから、説明を続ける。
「つまり、何があったかわからないけれども、他の王女から現実を諭された結果、魔法を使って陛下の最愛になろうとしたということ?」
「ああ。その代償があの後宮にいた人間の命だ」
「……」
あまりのすさまじさに、ユリアナは言葉が出てこなかった。フレデリックはどこか遠くを見るような目で、ため息をつく。
「しかも伝わっていた情報が中途半端だったのか、もしくは誤ったものを使ったのかわからないが、俺はこのように日が落ちてから数刻後に子供に戻るようになり、あの女は眠りについた」
「……だから陛下はいつもわたしの所にやってくるのは夜になる前なのね」
理由は分かった。
ユリアナはしばらく自分の中で情報を整理をしてから、隣に座るフレデリックの顔を覗きこんだ。
「それで、陛下のその呪いはどうやって解けるの?」
「さあ? 俺が知りたい」
ユリアナの問いに、やや投げやりに答える。
「色々と調べたりしたりは」
「すでにあらゆる場所の文献は調べた。あの女の国の本もすべてだ。だがわからなかった」
フレデリックは悔しそうに歯ぎしりした。
「あの女を殺してやりたいのに、この呪いが解けない限りできない」
「どうして?」
「マクレガーが呪いを掛けた人間が死んだ場合、二度と元に戻れないかもしれないと言ったからだ」
なるほど。確かにおとぎ話とか寓話とかにはそういう類のものが多い。実際にあったことをモデルに口伝されてきたかもしれないと考えれば、迂闊なことはできないのも納得だ。
フレデリックは悔しいのか、ひどく怒っている。そして目じりには涙がうっすらと浮かんだ。可愛らしい幼子が悔し気に涙を滲ませる姿はユリアナの庇護欲をひどく掻き立てた。
彼の方へ体を寄せると、ちゅっと彼の額にキスを落とす。驚いたフレデリックはぱっと額を両手で押えた。恥ずかしいのか、顔は真っ赤だ。
大人のフレデリックは毎日のようにユリアナに濃厚すぎるほどの大人のキスをしているのだが、どういうわけか照れている。
「何をする!」
「キス」
「そうじゃなくて、なんで今……キスなんて」
もごもごするフレデリックを可愛いと内心悶えながら、ぎゅっと抱きしめた。
「うんうん、わたしも頑張るわ」
「お前、余計なことをするんじゃない」
「どうして?」
フレデリックが突然冷静になった。ユリアナは彼を抱きしめたまま、聞き返す。
「……危ないじゃないか」
「心配してくれるの?」
「当然だ! お前は俺の妻なんだから!」
幼子になるとだいぶ素直に思ったことを口にするようだ。真っ赤になって照れながらも、どこか得意気な顔をしている。普段の無表情さが嘘のようだ。
「じゃあ、わたしは貴方の妻なんだから頑張らないとね」
「わざわざ危ないことに首を突っ込むなんて、バカじゃないのか」
「バカで結構よ」
「マクレガーが色々と薬を探してくれているから、お前の手伝いなどいらない」
よほど関わってほしくないのか、突っぱねるように荒い言葉を吐く。だがそれすらも可愛くて頬が緩んでしまう。
フレデリックはユリアナのふにゃふにゃの笑顔を見てそっぽを向いた。
◆
温かい温もりに包まれていて、とても気持ちがいい。
まだ誰も起こしに来ないから、とユリアナはもう一度深く眠りに落ちようとしていた。
「ユリアナ」
低い声が名前を呼ぶ。ユリアナはぼんやりと誰の声だったかと思いつつも、眠りを妨げるそれが気に入らなくて、遠ざけるように寝返りを打つ。
「起きろ、朝だ」
「んん――――!」
突然、鼻を摘ままれて目を開けた。目の前には意地の悪そうな笑みを浮かべているフレデリックがいる。冷ややかな眼差しを至近距離から打ち込まれて、ユリアナは目を大きく見開いた。
「……大人になっている」
「そりゃそうだ。呪いは夜だけだからな」
にやりと笑うと、そのまま抑えつける様にしてのしかかってきた。どうやら温かいと思っていたのは彼の体だったらしい。しかも上掛けの下は裸だ。
夜は幼子の大きさであるが、朝には元の大きさに戻るため服は着ていられないらしい。もっともな話だが、ユリアナには刺激の強い状態である。ユリアナは彼の体を遠ざけようと体をくねらせた。
「朝になったら覚悟しろと言ったよな?」
「聞いたような、聞いていないような……」
冷や汗をかきながら、とぼけてみる。昨夜は本当に小さくてかわいくて仕方がなかった。ユリアナが抱きしめればすっぽりと腕の中に入ってしまうほどだ。なのに、今は逆転している。重い男の体を押しのけようとするが、全く歯が立たない。
必死になってもがいているユリアナを見下ろし、フレデリックはにやにやと笑っていた。その笑みが気に入らなくて、ユリアナは唇をへの字にする。
「もう! どいて!」
「昨日の俺の気持ちが分かったか」
「ええ、わかったわよ」
渋々答えれば、ようやくフレデリックは体重をかけるのをやめた。軽く頬にキスをしてから、体を起こす。
「きゃあ!」
「あ?」
勢いよく体を起こすと、そのまま上掛けが落ちる。見事な肉体がそこにあった。筋肉に覆われた逞しい体には沢山の傷があった。その傷の量にも驚いたが、男性の裸を至近距離でしかも朝の光の中で見たことがない彼女にしてみたら、青くなったり、赤くなったりと気持ちが忙しい。
「もう結婚してしばらく経つだろうが。何を今さら……」
「そんなこと言ったって、いつも薄眼でしか見ていなかったから」
「へえ」
いいことを聞いたと言わんばかりににやつくフレデリックに枕をぶつけた。枕を回避しながら、フレデリックは用意してあったガウンを羽織る。ようやく目を向けられるようになって、ユリアナはほっと息を吐いた。
「今日からこっちで寝ろ」
「どういう心境の変化?」
驚いて聞き返せば、フレデリックは肩をすくめる。
「呪いのこともバレたから、寝室を分ける理由がない」
どうやら呪いのことを知られたくなくて夕方だけやって来ていたらしい。ユリアナとしては反対する理由もないので、頷いた。言うことだけ言って部屋を出ていこうとする彼を慌てて引き留めた。
「ちょっと待って! 今日から調べたいのだけど」
「お前がやらなくてもいいんだが」
「いいじゃない。わたし、暇だし」
フレデリックは拒絶するように黙り込む。調べたいという気持ちを込めてじっと強い眼差しで見つめ続ければ仕方がないなとブツブツ言いながら了解した。
「マクレガーに伝えておく。資料を見せてくれるはずだ」
「ありがとう」
「本当に無茶をするなよ。あと、離宮には絶対に近づくな」
最後の最後まで念を押してから、彼は部屋を出ていった。