導かれた先
「どうしてドレスを作るの? まだ着ていないものが沢山あるじゃない」
散策をしながら、今日の予定を聞いていたユリアナは聞き返した。
ユリアナの後ろに一定の距離を保ってついてくる侍女のアレシアを振り返る。アレシアはいつものように淡々とした表情で頷いた。
「半年後になりますが建国記念祭が行われます。そのためのドレスです」
「建国祭ということは特別なドレスがいいということなのね。だったら婚儀の祝宴で着たドレスでいいわ」
「一度、お披露目したドレスを再び着用するのはよろしくありません」
アレシアの言いたいことも分かるが、もったいない気がして仕方がない。ドレスを披露したのは本当に一瞬だった。不機嫌なフレデリックの隣に立ち、貴族たちの前で挨拶をしてそのまま部屋に連れ込まれたからだ。
フレデリックは貴族特有の長い挨拶が嫌いらしく、本当に本当に短かった。何のために着替えたのかわからないぐらい。婚儀の思い出は散々であったが、ドレスは素晴らしかった。
「あのドレス、すごく素敵だったわ」
ユリアナの瞳の色に合わせた淡い緑色を重ね合わせた柔らかな生地、肩から胸にかけて飾られた布で作られた可愛らしい花々。
婚儀の衣装は華やかではあったが王妃という地位にふさわしいほどの重厚さがあったため、余計にその軽やかさと愛らしさが嬉しかった。
うっとりとした気持ちでドレスを思い出しながら、再び散策を始めた。
「もう一度、着てみたいわ」
「では、似たような雰囲気のドレスをお作りしましょう」
「同じドレスを着てはいけないのなら、少し針を刺してアレンジしても」
無言で拒絶された。ユリアナは肩をすくめた。アレシアは本当に優秀な侍女で、フレデリックの怒りを買わないことを基準に行動する。このまま意地を通してもいいことはないことは理解していた。アレシアが大丈夫だと判断した望みは叶えられることが多いので、素直にここは引き下がる。
恐ろしいほどのドレス代だとしても、フレデリックにしたら大した金額ではない。これこそ生まれと育ちの違いからくるものだろうなとユリアナはため息をついた。
「王妃殿下」
花を楽しみながら気の向くままに歩いていたら、鋭い声でアレシアが名前を呼んだ。驚いて振り返れば、見慣れない建物が見える。
「いつの間にここまで入り込んだのかしら?」
あれほど知りたいと思っていた後宮だが、他にも沢山やることがあったのと、アレシアに他の人に害が及ぶと脅されていたこともあって、すっかり興味が薄れていた。
木々の間から覗く離宮は他の建物とあまり変わらない作りをしているはずであるが、離宮を取り巻く空気が少しだけ重苦しい。人を寄せ付けない何かを感じた。
あの離宮には何かあるから近づいてはいけないと頭に警告音が鳴るが、離宮を見てしまうと鳴りを潜めていた好奇心がむくむくと頭を出し、行きたくなってくる。ソワソワした気持ちで、アレシアを見つめた。
「アレシア、ちょっとだけ……」
「王妃殿下、これ以上は立ち入り禁止です。戻りましょう」
ミンターがアレシアよりも先に促した。ミンターは護衛に徹しているせいなのか、滅多なことでは口を開かない。ユリアナへの注意はアレシアが行う。
珍しいこともあるものだと思いつつ、仕方がなく素直に頷いた。ミンターの後について歩き出す。ところが、歩いても歩いても不思議なことにいつもの庭に戻らない。普段から能天気であまり考えていないユリアナでさえ、困ってしまった。
「ねえ、さっきから同じところをぐるぐるしているような気がするのだけど」
「……そうですね」
「ほら、そこの気持ち悪い色の花を見て。さっきからずっとこちらを見ているわ」
やや肉厚の白の花弁にはぷっくりとした赤いジェリーが不揃いにへばり付き、葉の縁には黒い粒々がびっしりと並んでいる。
明らかにこの庭にないはずの植物だ。たった一輪であったが、その存在感は恐ろしいほどあった。
「王妃殿下、気持ち悪いものに指を向けてはいけません。呪われます」
「触っていないのだから、呪われはしないと思うけど……」
顔色をなくしたアレシアがそう注意してくる。ミンターは難しい顔をして、注意深くあたりを見回していた。
「呪いなんてあるわけないじゃない」
「そういう風に馬鹿にしていると大変なことになるのです」
「アレシアって意外と信心深いの?」
真剣に忠告してくるアレシアを面白く思いながら揶揄う。アレシアも最初は諭すような態度であったが、次第に頬を上気させ、言葉の端々に熱がこもり始める。そんな二人を止めたのは、ミンターの呼びかけだ。
「王妃殿下」
二人はぴたりと口を閉ざし、ミンターの方へと顔を向ける。ミンターは非常に険しい表情だ。元々ユリアナを見る目は冷ややかなことが多いのだが、このような切羽詰まったような目を見たことがなかった。その眼差しに、思わず背筋を伸ばした。
「どうしたの?」
「……どうやら見つかってしまったようです」
「見つかった? 何が?」
よくわからなくて首を傾げれば、ミンターはぐっと顔を近づけてきた。声を潜め、囁く。
「今から言うことをよく聞いてください」
「わ、わかったわ」
あまりの深刻な様子に、茶化すことなく頷いた。
◆
どれくらい歩いただろうか。
いい加減、ユリアナはこの迷路に飽きてきていた。
深刻な顔でミンターにアレシアと共に逃げるようにと言われたのが数刻前。
ミンターに示されたのはいつも散策する庭への道だ。曲がり角のない真っ直ぐな道で、迷うはずもない。
それなのに、一緒にいた筈のアレシアとはぐれてしまった。後ろではなく、道案内するように前を歩いていたはずなのに、気が付けば彼女の姿が見えなくなっていた。不安に思いつつも、目印として教えてもらっていた遠くにある塔を目指してとにかく進んだ。
一心不乱に元の場所に戻るようにと足を進めていたが、いつの間にか見知らぬ回廊にいた。回廊の柱の間からは目印にしていた塔とアレシアが毎日散策している庭が見えている。そのまま回廊から出て真っ直ぐに歩けばたどり着きそうなものなのだが、どうしても行くことができない。
この状態をおかしいと思いつつも、不可思議なことは世の中いくらでもあると開き直り、考えないようにしていた。それを何度か繰り返して。
回廊の脇にある気持ちの悪い花を見て、とうとう元の庭に戻ることを諦めた。アレシアとミンターと一緒にいた時には一輪しかなかったその気持ちの悪い花は右を見ても左を見てもこちらを監視しているかのように咲き乱れていた。
「……見慣れてくると美しく見えるものかしら?」
柔らかさを感じる花弁の赤い模様が血のように感じ始めていた。ぞくりと寒気を感じたが、無理やり首を左右に振って沈む気持ちを奮い立たせる。
大きく息を吸い、認めたくない現実と向き会うことにした。
回廊の行きつく先にあるのは、濃い目の茶色の扉だ。華やかな彫刻が施されており、この部屋が特別な場所だと扉を見ただけでもわかる。
「ここ、後宮よね」
知らないうちにここに来ていた。
そして、いつの間にか一人になり、この扉の前に導かれている。
認めたくはなかったが、それが現実だ。
目の前にある扉をじっと見つめた。
ユリアナは覚悟を決めて取っ手に手を伸ばした。