後宮に行ってみたい
アレシアに追い立てられるように部屋に戻ると、すぐさまお茶とお菓子が用意された。長椅子に座り、涼しげな顔をしてお茶を入れるアレシアをじっと見つめた。
ここに戻るまでの道すがら、疑問を投げかけ続けたにもかかわらず、アレシアはすべてを無視した。絶対に聞きだしてやると、ユリアナは腹の奥に力を入れる。
「後宮、本当にあったのね。話には聞いていたけど、どうして今まで隠していたの?」
「隠していたわけではありません。あまりにも不吉なので皆話題にするのを避けているのです」
「でも、陛下は入っていったわよ?」
アレシアはお茶をユリアナの前にそっと置いた。
「知る必要はないと思います」
「でも貴女だって後宮は王妃の管轄だと言っていたじゃない」
「う……そうですが」
先ほど言ってしまったことを突っつけば、アレシアが怯んだ。どうやら余程、知ってほしくないようだ。そのまま教えてと言っても教えてくれないだろうから、遠回りに質問を重ねることにした。
「そもそも、後宮って何なの?」
「――本気で言っています?」
「だって祖国にはなかったから。うちの王族、昔から多産系なのよ。何代か遡れば貴族全員と血がつながっているのではないかというぐらい跡継ぎに困らない血筋なの」
アレシアはユリアナの説明に、唖然とした顔になる。
「どういうことですか?」
「だから、わたしも五人兄妹の末娘だし、お父さまも兄妹が五、六人いるの。さらにその先、お祖父さまにも兄も姉も本当に沢山いてね。わたしの兄に子供が生まれなくても、王族は困らないほど沢山いるのよ」
「王族が沢山いるとしても……果たしてうまくいくものでしょうか? 直系男子がいなくて王位継承権争いが起きてしまえば、国が荒れてしまいます」
ひどく常識的なことをアレシアが言うが、ユリアナは声を出して笑った。
「起きないわよ。あんな貧乏国の王なんて、ハズレくじもいいところですもの」
「ハズレくじ」
「そう。毎年、どうやって冬を越えようかとか、商人に勝つためにはどう駆け引きしようかとか。下手をしたら農作業だけでなく狩りまで行かなくちゃいけないし、他国には見栄を張らないといけないのにそんなお金はどこにもないし」
そう説明すれば、アレシアは目を白黒とさせた。想像をはるかに超えたユリアナの祖国の状態に、何も言えない。ようやく絞り出した言葉は、「平和でよいですね」とどうでもいいような言葉だけだった。
気まずい沈黙の後、アレシアは気持ちを切り替えるように小さく咳払いをする。
「では、後宮についてご説明します」
落ち着きを取り戻したアレシアは淡々とした語り口調で後宮の説明を始める。ユリアナはそれを静かに聞いていた。
アレシアの簡単な説明をまとめれば、国王の側室や愛妾、あるいは愛人たちが住まう場所が後宮。この国は元々敬虔な信仰を持っていたため一夫一妻制だった。ところが、数代前の国王は敬虔な信者ではなかった。国が栄えていたのもあって、遠い他国の後宮という制度を持ち込んだ。
表向きの理由は王妃が跡継ぎを作れなかった場合に側室を迎えるためということらしいが、実際は自分の愛人を住まわすためだ。
「ふうん。でも、どうして後宮制度が必要だったの?」
一夫一妻制であっても、愛人を持つ王族なんてどこの国でもいる。ユリアナの一番上の姉は正妻だが、愛人は手の指が足りないほどいるという。だから別に後宮なんて制度、作らなくてもいいはずだ。後継問題というなら、生まれた子供に権利を与えればいいだけだ。
「それはわかりかねます。ただそういう理由で後宮があるとだけ理解してもらえれば」
「わかったわ。では、陛下がこれから沢山の側室を持つ可能性があるということね」
「ええ、まあ」
アレシアはひどく歯切れの悪い返事をした。というのも、現国王であるフレデリックは正妃もいないにもかかわらず離宮を使用していた。領地拡大に伴い、侵略した国の王女を側室として連れてきて、後宮に押し込んだのである。
表向きは側室であるが、言葉を変えれば人質だ。当然、人質相手に子供なんて作るつもりもなく、後宮はいわば豪華な牢屋と変わらない。もっとも普通の牢屋とは違い、ある程度の予算は付けられ、きちんと教育された使用人たちが沢山仕えていた。
「そして、あの後宮に住んでいた人は陛下に殺されてしまった」
「……」
アレシアは答えることなく、ただユリアナを見た。ユリアナは遠慮することなく次の質問を繰り出す。
「沢山いた中で、一人だけ生き残ったと聞いたけど?」
「その話をどこで?」
「どこで、というよりも有名じゃない。だからこそ、各国の王族に恐れられてしまったわけよね。それで、その人、どうなったの?」
「――申し訳ありませんが、わたしには答えることはできません」
アレシアは表情を強張らせ、目を伏せた。ユリアナはアレシアが話してくるのをゆっくりとお茶を飲みながら待った。
最後までお茶を飲み干してしまうと、ユリアナはカップをテーブルに戻した。
「アレシアが教えてくれないなら、誰かに聞いてくる」
にこりとほほ笑めば、アレシアの目が死んだように暗くなる。明らかな変化に、ユリアナはまずいことを言ったことを知った。
「ちゃんとこっそり聞くわよ。だから心配はしなくて大丈夫よ」
「こっそりでもすぐにばれます。そうなったら、こっそり聞いた相手にも処罰が」
処罰という言葉を出されてしまえば、ユリアナは諦めざるを得ない。仕方がなく、もう一度、先ほどの質問を繰り返せば、アレシアはため息交じりに先ほどとは異なる返事をした。
「わたしは知る立場にありません」
「本当に? 隠していない?」
「本当です。あの騒動の後始末はすべて宰相閣下が行いました。わたしは後宮の担当ではなかったので、実際に何が起こったのかは知らないのです」
マクレガーの名前が出てきて納得した。彼の冷静な顔を思い出し、てきぱきと処理したんだろうなと想像する。
「マクレガーに聞いても教えてもらえそうにないわね。でも気になる」
「人が沢山亡くなったのです。王妃殿下はそのような場所に行くことが恐ろしくないのですか?」
「今は綺麗になっているだろうから、大丈夫だと思うわ。目の前に広がっていたなら恐ろしくて失神してしまうかもしれないけど」
ユリアナの能天気な返事に、アレシアは危機感を募らせた。
「お願いですから、くれぐれも離宮には立ち入らないようにしてください」
「え? ちょっとだけ覗くだけよ?」
「絶対に駄目です」
きつい口調で念を押されて、ユリアナはため息を漏らした。
「もう、頭が固いわね」
「不吉な場所というのもありますが、わたしが心配しているのはそこではありません。あそこに立ち入った人たちは原因不明の病になっているのです」
「でも、さっきぐらいの距離なら大丈夫じゃない?」
「王妃殿下」
アレシアが冷ややかな目で見てくるので、ユリアナは肩を竦めた。
「じゃあ、遠くから見るだけ」
「……諦めるという選択肢はないのですか?」
「だって興味あるんだもの。何か秘密があるようで、わくわくしない?」
「いいえ」
すぐに否定されて、ユリアナは口を閉ざす。
「いいですか。王妃殿下が病気で倒れると、使用人が大変なことになります」
「大変なこと?」
「はっきり言えば、陛下に殺されます」
「え……まさか」
笑い飛ばそうとしたが、あまりにもアレシアが真剣な顔をしているので口元が変な形に歪んだままになった。
「自覚してください。陛下は王妃殿下を気に入っております」
好きとか愛しているとか、ではなく、気に入っている。
確かにそれは間違いないことで、ユリアナも冗談でしょうと笑い飛ばせなかった。
「陛下は自分の持ち物に瑕がつくことを嫌います。なので、あの場所に立ち入ったことで病になったりしたら……」
「したら?」
「きっと、二度と会うことはできないでしょう」
そう言いながら、自分の首を斬るように手を動かした。流石にユリアナもそれの意味することは理解した。
「え……職を解雇?」
「まさか。物理です」
十分にあり得る話なので、ユリアナは流石にこれ以上、行ってみたいとは言えなかった。