カミサマ紙飛行機
僕は紙飛行機を飛ばしている。
中学の頃の僕には、物理法則なんてものは頭の中にあるはずがなかった。自分の中であてずっぽうに、ひたすら飛行機を折って空へと飛ばしていた。中学二年の教室は校舎の最上階で、青空の裏側まで見えてしまいそうだった。遠くに飛ぶはずだった失敗作の紙切れたちはむなしく墜落していく。まるで僕のようだった。
折り方を教えてくれたのは、同級生の男の子だった。彼は、細っこくて色白で、折れてしまいそうな腕と足を持っていた。いつも髪の毛がぼさぼさで目が隠れていて、学校には三日に一度来る程度で、目立った友達もいなかった。誰も、彼を見ないし気にしない。自分もその一人で、ある日までは、彼のことなんか考えたことが無かった。
一年も前のことになる。もう用途の無いリコーダーを持って帰るのを忘れて戻ったとき、彼は放課後の教室にいた。まだ明るい日の光に溺れた午後五時の教室は、先ほどまで生徒であふれかえっていた熱量を置き去りにしてたたずむ。彼はその教室で一人、細く小さな手で工作をしていた。
「帰らないの」
僕はそう聞いた。
「帰らないよ」
「…最終下校時刻だよ」
「そっか」
そのままひたすら工作を続けるので、聞いてるの、と近寄ると、彼の腕が見えた。腕には四角いばんそうこうが一つ乗っていた。もう片方の腕は包帯でぐるぐる巻きだった。
「そのけが、どうしたの」
思わず僕はそう聞いた。
「これ?生きたダイショウだよ」
「ダイショウ?」
「うん、ダイショウ」
僕にはどういうことかわからなかった。けれど、彼の伏せた瞳のせいでこれ以上の詮索はできなかった。
「…紙飛行機って、どこまでいけるのかな。僕ね、本気でね、折り方次第では神様に届くと思うんだ」
彼はダイショウと言い放った瞳を一転輝かせてそう言った。
「なるほど。だから、紙飛行機」
「そう、紙飛行機」
「どういうこと」
「そういうこと」
そういってニヒ、と笑うのだ。普段は見えない大きな目が覗いた。その笑顔につられて、彼と一緒に最終下校時刻を破って紙飛行機を折った。二人で変な形のものをたくさん折っては飛ばして笑いあった。最後の紙切れが無くなったとき、体育の鬼教師が入ってきて、そこで僕らのいたずらは終わった。
彼と話したのは、それが最初で最後だった。次の週、彼は東京に引っ越したと先生から聞いた。理由は父親の転勤なのか、ただの引っ越しなのかはわからなかった。これは母さんから聞いた話だけど、近頃ママ友の父親が暴行で逮捕されたらしい。
その翌日拾った紙飛行機に、「かみさま、パパが死んで、ママが痛い思いをしないですむようにしてください」と書いてあった。
あれから一年がたった。彼がどうして自分の傷をダイショウと言ったのか、僕は幼すぎてわかりはしない。二人で世界にいたずらをした心地よさだけが胸に残っていて、僕はどこにも行けなかった。
「君の名前を教えてほしかった」
そう書いた紙飛行機は、きっと君には届かない。