桔梗ヶ丘高校野球部
「まだ野球部作らないんですか?名門私立ともあろう学校なのに。」
「す、すみません…。」
2018年3月の岩手県南の高校の校長会議。謝っているのは、私立桔梗ヶ丘高校の校長、村田源一郎。真面目な性格で、41歳の若さで校長に就任した。しかし、その性格が災いし、他校の校長や教育委員会からパワハラを受けてしまうほどの社畜ぶりも持っていた。
「校長、お呼びでしょうか?」
「あ、佐藤教頭。今年度の進学者名簿はあるかい?」
「ええ、こちらにございます。」
「もう他校からバカにされるのは懲り懲りだ。野球部を創部したい。誰かこの願いに呼応してくれるような生徒はいないか?」
桔梗ヶ丘高校は、岩手県第2位の学校偏差値68を誇る名門私立。加えて、豊富な学校行事と充実した設備もあり、県南地方の若者の憧れの学校であった。しかし高校の部活で特に人気のある野球部が無いため、他校から蔑まれる存在でもあったのだ。
「ええ、野球経験者は散見されますが、なにせ野球部推薦の枠など無いもので…。」
「そうか…、まあそう簡単には行かないものだよな。」村田がそう言って偶然開いたページに、その男のプロフィールが載っていた。
「この子は?」
「あ、大沼慎太郎君ですか。地元・初岡村の中央中で生徒会長をしていた子ですね。彼は人望が物凄く厚いと評判でしたので知っていました。しかし部活での目立った功績はありませんよ?」
「人望か…。これは創部の上では実力より価値があるかもしれない。よし。教頭、すぐに大沼君宛てに手紙を。入学式後に校長室に来るよう連絡してくれ。」
「了解致しました!」
「…え、俺なんかした?」
突然の手紙。校長室への呼び出し。実力で掴んだ桔梗ヶ丘高校入学の権利を早くも失ったのか、と慎太郎は青ざめた。この手紙が、彼の人生を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らない。
「駿希〜、球場行こうぜ〜。」
「おう!いいぜ!」
菊地駿希。慎太郎の大親友。初岡中央中ではエースとして活躍した、文武両道に優れたイケメンだ。
「そういやシン、お前何部入るの?」
「あ、俺?うーん…ハンドボールいいなぁと思ったんだけどさ、女子人気凄いじゃん?だから辞めたわ笑」
「あーね笑笑」
慎太郎は友人数が推定250人を超える人脈マンだが、15年間彼女ゼロ。今も片想いこそしているが、性格で人を選ばない女子への不信感は、この頃から少しずつ増えていたのである。
「大会でいなくなる時に廊下で頑張って、って駿希も言われたっしょ?控えの俺には言わねーから女どもは笑笑」
「そーゆー差別すんのやめてほしいよねマジで笑」
女子はレギュラーと控えとで応援の熱量が違う。野球部での経験から、慎太郎は女子人気の高い部活を毛嫌いしていたのだ。
「まーでも、シンの性格なら、高校でモテそうだけどね。」
「まーたそーゆーこと言う笑 いないからそんな人笑」
学生時代によくある『モテたい願望』も、この頃の慎太郎には、普通の人の約10分の1しかなかった。
そんなこんなで迎えた4月6日。入学式。302人の新入生が行進した。新入生代表の言葉は駿希。入試では5教科総合498点を誇り、内申点を含めた総合は1000点満点中986点という桁違いの成績で、文句なしの首席を獲得していた。
「中学校3年間の、弛まぬ努力が奏功し、こうして名門、桔梗ヶ丘高校に入学できたことを、新入生一同、心より嬉しく思います。」
駿希は大役を無事務めあげた。
入学式後、慎太郎は校長室へ向かった。
「はじめまして、大沼慎太郎と申します。」
「おお、君が大沼君か。急に呼び出してごめんね。私が校長の村田だ。よろしく。」
村田校長は穏やかな表情だった。慎太郎は安心した。
「君を呼び出した理由はだね。」
校長は話し始めた。
「実は今年度から、この桔梗ヶ丘高校に野球部を創部したいと思っていたんだ。私が校長に就任した3年前からの願望だったのが、ついに今年度設備が整って創部出来るようになってね。そこで君に是非入部して欲しいんだ。」
「え、僕がですか?それはちょっと…」
慎太郎は戸惑いを隠せなかった。そもそも桔梗ヶ丘高校入学を決定した要因の一つが、野球と離れたかったからだった。野球部の無い桔梗ヶ丘高校は慎太郎のニーズにも合っていた。その高校が野球を創部するというのは、慎太郎からすれば話が違うことだった。当然交渉は難航。すぐに2時間が経過した。偉い人を前にしても自分の意見を簡単に変えない芯の太さは、慎太郎の武器の一つでもあった。
「仕方ない、黙っておこうと思ったが…」
校長は、ついに野球部創部の本当の経緯を話した。
「実は野球部が無いことで、他校からの軽蔑の意見が毎年殺到していたんだ。野球部がないこともまた、桔梗ヶ丘高校のブランドの一つだと思って断り続けてきたんだけど。もはや我慢の限界という感じなんだ。大人の事情を、せっかく努力して入学してくれた生徒の君に押し付けるのは酷いことだと思って隠していたが…。これが最後の頼みだ!無理なら正直に無理と言ってくれて構わないが…是非、野球部に入ってくれ!君の力があれば、たくさんの部員が集まると思うんだ。一緒に新しい歴史を作ろう!!」
2時間自分を貫いた慎太郎だったが、この一言に心が揺らいだ。いつしか偽善になった、武器の優しさ。この場に及んで再び、『人を助けたい』という純粋な善の心が働いたのだ。悩むこと10分、慎太郎の出した答えは…
「…わかりました。やりましょう。新しい歴史、僕も作りたいと思います!」
「本当か!?嬉しい!!恩に着るぞ!大沼くん!」
校長は思わず慎太郎の手を取った。慎太郎は入学後3時間で、新天地の人の心を掴んだのである。
「シン、どうだった?」
約2時間半の間、ずっと近くの公園で待っていた駿希が話しかけた。
「俺、野球することになったわ。」
「はい??」
天才・駿希も思考が停止した。
「え、どゆこと?」
「なんかさ、野球部創部したいから是非入ってって言われたのよ。並々でない熱量に負けてしまった。」
「おーっとそーゆーことか。」
「でさ…」
言いかける慎太郎にすかさず駿希は待ったをかけた。
「言いたいこと分かった。『野球しよう?』だろ?」
「なんでわかった?笑」
「さすがに分かりやすすぎ笑 いいよ、やろーぜ!」
「さすが駿希!!」
山本三丁目クラブで3、4番として活躍した『シンシュンコンビ』が3年ぶりに復活した瞬間だった。
(第一話 終)
※この物語はフィクションです。また、登場する人物・地名・学校名は架空の名前です。パワハラなどの事実もございません。