前編:真ん中一番後ろ右側
教科書を忘れたと、隣の席の男子生徒は天を仰いだ。
明るい茶髪をガシガシ混ぜて、彼は迷うそぶりもなく隣のソラを振り返った。そして、ごめん見せてと軽く手を合わせて頭を下げる。
それにソラは断るなんて思いつきもせず、慌ててうなずくことしかできない。
ハルキだっせー、とからかいの声が飛んできても彼は肩を竦めて笑うだけ。
机の縁に手をかけてずるずると寄せてくるのを真似して、ソラも自分の机を動かした。くっつけてできた机の溝に、開いた教科書の背表紙を合わせる。この春から隣の席になった彼が教科書を忘れたのは初めてだ。
「うわ。すごい、字が綺麗だ」
開いていたノートが目に入ったのだろう。
小さな、でもしっかりソラに届く声がして、ソラはあと少しでシャープペンを落とすところだった。
クラスメイトの視線が向いていたことですでに心臓が跳ねていたのに、予想外にも隣に話しかけられてソラは顔が赤くなるのがわかった。
「そ、そんなこと、ない、です」
震えて消えそうな声しか出ない自分が情けない。
それでもソラの声を拾ったらしいハルキは、不思議そうにこちらを見つめて目を瞬かせた。
「そんなことありまーす。俺、こんなに綺麗な字書けないよ」
ほら見てみ、とノートを寄せてハルキは罫線の間を駆け抜けている自分の字を見せた。
トントンとノートを指がつつく。勢いのある手蹟が彼らしいなとソラはこのとき、驚き続きでドクドクいう心臓を必死でなだめながら思ったものだ。
歯を見せて笑ったハルキ。
こんなちっぽけなやり取りなんて、彼のきらきらした日常の中では一瞬にも満たない些細なことだろう。
けれども、なんの代わり映えもしない静かな毎日が後にも先にも続いているソラにとっては、何日経ってもきらりと鮮やかに思い起こせるものだった。
誰と話すのも緊張してしまうソラとは違い、ハルキは明るくて誰とでも仲良くなれる人だ。
クラスでも男女問わずいろんな人に囲まれているし、廊下から彼を呼ぶ声が聞こえることだってある。へらりと目元を崩してよく笑い、肩が揺れるのに合わせて襟足で結んだ髪が躍った。
この学校は校則がゆるいから特に彼が違反しているわけではない。脱色もピアスも咎められることはなく、ただ、遅刻や学習への姿勢は教師たちがよく目を光らせている印象だけど。
すっかり桜の木が緑色になったころ、そんな隣の襟足がプツンという音と共にはらはら広がった。シリコンゴムが切れたのだとソラは察する。
ちらりと窺うとハルキは床に落ちたゴムを拾って、ため息を吐きながらうるさそうに髪を払った。
初夏ともいえるこの時期に、首元で髪が躍るのは暑そうだ。ただでさえ彼は休み時間に下敷きで扇いでいるわけだし。
ソラは、迷った末に静かに鞄からポーチを取り出した。ドクドクと胸が動いているし、胃は縮んで吐きそうだ。
震える手で猫の飾りがついたヘアゴムを取り出して、迷って、うるさい心臓と、赤くなる顔がみっともなくて余計にまた迷って、それでもそっと隣にこつりとゴムを置いた。
「あ、あの、これあげる」
目をまん丸にしたハルキに、バクバクする心臓と教室の微かなざわめきと教師の声に紛れて、小さくソラは言った。
でも、と戸惑う彼にもう一個持っているから大丈夫だとなんとか付け足す。
字を褒めてくれたささやかなきらめきには程遠いが、ソラはなにかをお返ししたかった。顔は真っ赤だし舌はもつれるし声も震えていたけれど、ちゃんと言えているのだろうか。
大きなお世話だと断られるかもと身を縮こまらせていると、ハルキはひょいと猫をつまんでくしゃりと目元を崩した。
「ありがと」
日に焼けた指先が猫を髪にくっつけるのを視界の端で見ながら、ソラは胸をおさえて大きな大きなため息をついた。体の力が抜ける。走ってもいないのに全身汗だくだ。
ちょっとでも、役に立てたならいいな。笑ってもらえて、よかった。
彼の襟足に猫の飾りがいることが、なんだかくすぐったくてソラはこっそり頬をゆるませる。
自分の髪は肩から少し長いくらいで、もうずっとこの長さだから慣れていた。食事と体育のときには結ぶが、それ以外はなんの飾りっ気もなく下ろしたまま。
そしてその日のお昼に髪を結ぶために取り出したゴムは、隣へあげたものと色違いだったことを思い出した。意図せずおそろいみたいになってしまった。
ソラは隣をそっと窺う。
いつもとまったく変わらないハルキが、ソラの2倍はあるだろう弁当を頬張っている。まだ卵焼きしか食べていないソラとは違い、彼はもうほとんどが空である。
ゴッゴッとペットボトルのお茶を飲んで弁当箱を鞄に放ると、ハルキは背もたれに体を預けてスマートフォンをいじり出す。サッカー行かない? と誘うクラスメイトの声には手を振っていた。
あ! 猫だ~! クラスの女子がハルキのゴムに気付いて声をあげたのは放課後間近なときで、もう髪を解いているのにソラは無駄にビクッと肩を揺らしてしまう。
かわいいと褒められてハルキがにこにこしている。
その隣で会話に入ってもいないソラは生きた心地がしなかった。そうか、おそろいみたいだと周りに思われて、彼に迷惑がかかるかもしれない。
ソラは自分の考えなしな行動にがっくりしたけれど、今日が変則的だからだと思い直した。ゴムが他になかったから使っているだけで、ハルキはきっと明日はいつものシリコンゴムに戻るだろう。好きで猫をつけているわけではないのだし。
そう思って、ソラは自分のゴムを変えることはしなかった。
それなのに、朝、隣の席に鞄を下ろしたハルキの襟足にはまだ猫がいてソラの喉から声にならない悲鳴が出る。ゴムを取り替えてくればよかったと思ったけれどもう遅い。
彼にとってソラのゴムは迷惑ではなかったのだとホッとして、おそろいみたいでうれしくなってしまうけれど。ソラは体育の時だけ使って、次の日は迷った末になんの飾りもない黒いゴムをポーチに入れることにした。
ソラはうれしくても、ハルキはそうでもないかもしれない。
ろくに話すこともできず、クラスに馴染めてもいない自分である。恐れ多かった。
「数学の課題やってきた?」
とある朝、授業の支度をしていると隣から声がかかった。
心臓がジャンプして、ソラはじわじわと顔を赤くする。
「や、や、やってきた、けど」
「けど?」
あれ、会話が終わらない。
ソラはますます言葉がうまく出てこなくなる。膝の上にある手に汗がにじんだ。
「す、数学、苦手だから、あのあの、自信はなくて」
がやがやした教室ではすぐに溶けてしまいそうな声なのに、ハルキは耳を澄ましてソラの言葉を拾っていた。
こちらへ前屈みになったまま、なるほどとうなずく。
「文章問題多かったしね、俺も苦手。最初の計算はできた?」
「け、計算は……ええと、あ、あ、あの」
どうしよう、どうしよう。ハルキは、なにを聞きたいんだろう。
思えば思うほど、ソラの頭は真っ白になってしまう。ちゃんと答えないと、がっかりされてしまうかもしれない。指先まで震えてきた。
ソラがこんなにも情けなく気が小さいのは、小学校に上がったころによくちょっかいを出してきた男の子がいたからだと思っている。その子は大きな声で笑っていつでも外を駆け回っているような子だった。
その子のことが怖かった。
大人しいソラにセミをくっつけたりミミズを投げたり、泣きべそをかいてやめてと言っても友達と大笑いしてからかうくらいには、ヤンチャが過ぎるのだ。
クラスが変わるまで二年間もその子に嫌なことをされ続け、ようやく離れられたころにはすっかりソラは誰と話すにも迷うようになっていた。言い返そうとしても倍以上の声で囃し立てられ、また余計にいたずらされる。だからソラは、なにかを言うにも躊躇いが生まれるし言葉がつかえる。
もうあのころとは違うとわかっているのに、ちっとも頭は言うことをきいてくれない。
ハルキへなにを言いたかったのか、言わなくちゃいけないのかもわからなくなって、言葉を必死に見つけようとするのにソラはただただ息が苦しくなるだけだった。
「慌てなくていいよ、ゆっくりで。俺、ぜーんぜん急いでないんだ」
それなのに、びっくりするほど穏やかでやわらかい声が、ソラのぐちゃぐちゃな頭の中に響く。
机に頬杖をついたハルキが、本当に言葉どおり、なんにも気にした様子もなくソラを見ている。
「心臓が死にそうになったら、ゆっくり息するといいよ。それくらいで置いてきぼりにはならないから」
のんびり。猫が伸びするみたいに。んーと背中を伸ばしたハルキは、不思議なことにソラへまたくしゃっと笑った。
置いてきぼりにはならない。
ソラは、目がまん丸になった。やわらかに目元を細めてハルキは急かすこともなく、かといって放っておくこともなく。
ソラは、ゆっくりと息を吐き出す。
「計算も、苦手?」
吐き切ると、ハルキと目が合った。
「う、うん」
「そっかー、例題もわかりづらいときあるもんね」
他のクラスメイトと話すみたいに、ハルキはソラへそのままうなずく。そこで数学教師がやってきて、みんなが慌ただしく席に着くので自然と会話が終わって二人とも前を向いた。
なぜか、会話になっていた。
ソラはまだうるさい心臓をなだめながら何度も瞬きする。
たぶん言った通り、気にしない人なんだろう。気にしないというか、そのまま受け入れるというか。だからハルキには友達がたくさんいるんだとソラは思う。
「俺が話しかけるのって、大丈夫?」
それ以来、ちょこちょこと話かけてはソラを慌てさせるハルキが、そんなことを言ったのはゴムを渡してひと月も経っていないころだ。
驚いて左側を見つめると、彼は相変わらずのんびりした空気のまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「話すの苦手だろうから」
「……に、に、苦手なんだけど、あのあの」
「うん」
慌てすぎて言葉が口の中で転がっていってしまうソラは、なんとか答えたいと思ってゆっくりと息を吐きだした。
嫌じゃない。そんなこと、あるわけがない。ただ、自分が下手くそなだけで。
「あの、も、もっとちゃんとできたらって、思ってるんだけど、き、緊張しちゃって……」
震えた声はやはりみっともなく震えていて、最後のほうはちゃんと言えたかどうかもあやしい。
それなのに、ハルキはそっかとなんてことなくうなずいてふわっと目を細めた。
「もしよければだけどさあ、俺とたくさん話してみない?」
置いていかれないようにソラが息をこぼしていると、もちろん待ってくれていた彼からこんな言葉が返ってきたのである。
聞き間違えかと思ってソラがなにも言えずに息まで止めていると、彼は慌てたように先を続けた。
「えーと、ほら。野球の試合に出るのだって初めは緊張するけど、試合始まればそんなこと忘れるし。何回も出れば楽しみでしかたないみたいな」
がしがしと髪を混ぜて尻尾が揺れる。
ああ、優しい人なんだなあ。そう思って、ソラは体がポカポカした。慌てたときの汗がじっとりするのとは違って、胸がふわふわするような感じだった。
野球の話が出たわりに、ハルキは野球部でもないし昼休みに校庭で遊ぶことがないから不思議だったけれど、ソラはそれよりも早く返事をしないとと気を取り直した。
慣れるだろうか。慣れて、みんなみたいに普通に笑ったり話したりできるだろうか。なるべく話さないでいいように本ばかり読んでいる自分が。
「……いいの?」
そもそも、ハルキに迷惑がかかる。
こんな陽だまりみたいなやさしさに頼ってしまって、いいのだろうか。
俯きがちなソラを前にしても、ハルキはのんびり普段の調子のまま。
「いーよ。俺も手持ち無沙汰にならないし、ウィンウィンになるならそうしよう」
ソラはきっとおもしろいことも言えないから、ウィンウィンと言うにはハルキに得なことなどほとんどないのに。
じわりと目の前がにじんできたのに、慌ててソラは瞬きを繰り返す。そして、ゆっくり息を吐き出した。
「……ありがとう」
頬がゆるんでしまったのは、もうどうしようもない。治るように、慣れるように、ソラが頑張るしかないのだとひっそり胸の中で強く思った。
「昨日までの本は読み終わったの?」
宣言通り、ハルキは授業の隙間や休み時間、気が付いたときなどなど、暇さえあればソラに話しかけてくれた。
隣のクラスへ行ってくると言って、お弁当を空にした後に教室を出ていったのだが、帰ってくると椅子を引きながらソラを振り返った。ソラはおっかなびっくりうなずく。
「う、うん」
「読むの早くね? すご。こんな厚かったよね」
「挿絵もあるから」
「でもたまにでしょ。俺たぶん寝ちゃう」
返事をするまでに時間がかかっても、ハルキはソラを置いていくことはしなかった。
だからソラも、訊かれるばかりではなくて訊き返すことができる。
「あ、あの、本は、読まないの?」
「俺? うーん、読まないなあ。漫画は読む」
たしかに、彼が読書をしている姿は想像できなかった。
うっと言葉に詰まったソラに喉を鳴らして笑ったハルキは、頬杖をついてこちらを窺う。
「なんかおすすめある? 俺が読めそうな簡単なやつ」
「ちょっと、薄めの?」
「そうそう」
自分の部屋の本棚を思浮かべてソラはうなずいた。
「さ、探してみる」
「ん。ありがと」
なんてことない会話を続けるようになって、だんだんソラもハルキと話すときにつっかえることがなくなってきた。
ハルキがクラスメイトと話しているときにソラに声をかけてくれることも増え、だんだんとソラはハルキ以外の人とも話すようになった。心臓はうるさいが、言葉を捕まえられずに黙ったまま会話が終わることはない。ひと言でも、なにか伝えることができる。春のソラでは考えられなかったことだ。
夏が終わり秋だなあと思っているともうすっかり冬で、寒いねえと昇降口で行き合ったクラスメイトとマフラーを解きながら笑った。
ソラちゃんおはよ~と教室でも声がかかる。おはよう、となんの迷いもなく返せる。ソラは毎日毎日、少しずつ変わってきた生活があたたかくて、今年の冬はカイロなしでも大丈夫かもしれないなんて思っている。
一月が終わってカレンダーをめくったとき、ソラは自然と真ん中近くの日付に目がいった。
今月はイベントがある。そんなの、昔から知っていたけど、友達同士でチョコを交換するくらいしかしたことがなかった。
チョコ、あげられたらいいな。
自分がまさかこんな気持ちになるなんて。ソラはムズムズしていたたまれないような気持ちになるが、それでもせっかくだからこんな機会だし渡したいなと思った。
毎年眺めながら通り過ぎる売り場へ、今年は足を向けてみた。駅に併設しているデパートでは特設会場ができていて、二月になるともうたくさんの人たちが立ち寄っている。
ソラは歩きで通っているから学校帰りに駅まで来るのは久しぶりだった。
もう来週がバレンタインだから、この日も人でごった返している。その人混みに紛れていろんな売り場を覗いて、どうしようかと頭を悩ませることになった。
小さめで、高くなくて、あまり気を遣わないようなやつ。
こんなにチョコを買うのに真剣に悩むことになるとは。ソラは結局1時間以上唸り続け、一周回ってよくわからなくなり、一番初めにいいなと思ったトリュフ4つの詰め合わせをレジに持っていった。紺色の光沢のある包み紙に、白とシルバーのリボンが二重にかけられていてオシャレだ。
クラスの子たちにお菓子をもらって食べていたから、嫌いではないはず。そっと、渡せたらいいな。よろこんでくれたらいいな。思いながらソラは足早に家に帰った。
忘れないように、チョコは当日まで机の上に置いておくことにする。それが目に入るたびにドキッと心臓が騒ぐので、ソラは忘れがちだった息苦しさを久しぶりに思い出した。
起きて、カレンダーもスマホも2月14日と知らせてくる朝は、腹を括って鞄に入れる。崩れないように鞄の底でポーチとお弁当の間にはめ込み、気持ち足運びは慎重になる。
どうやって渡そう。朝挨拶しながらだといきなりすぎるだろうか。
落ち着かないまま本を開いて隣の席の椅子が引かれるのを待つも、本のページは進まず、文字は目を滑るばかり。
休み時間とか、放課後のほうが気を遣わないかもしれない。どうしよう。迷惑にならないかな。
全然進まない本にため息を落として、ソラが鞄に視線を向けたところで。おはよー、と待っていた声が教室に入ってきた。ビクッとソラの肩が跳ねる。
ソラがまだなにも身動きしていない間に、ハールキ! と駆け寄ったクラスメイトがかわいい包みを渡し始めた。だいたい、なにをするにも遅いソラはこういうときもまごまごして出遅れる。それはハルキとよく話せるようになっても変わらないものの一つだった。
彼女たちが渡しているものはどうやら手作りらしく、透明な袋で口をカラフルなテープでとめてあった。いかにも友チョコ。それにソラはちょっとホッとして、でもそんなの一瞬で消えて、自分のチョコを思い浮かべた。
鞄にあるのは、綺麗にラッピングされたチョコ。
ソラは胃がきゅうっとなった。重たい重たいため息がこぼれる。
なんであんなにかしこまったものを買ってしまったのだろう。日頃のお礼とするなら、自分ももっと気軽に渡せるものにしたらよかった。
そうすれば、きっと彼も気にしない。たぶんもらったもののひとつとして数えてくれただろうに。そこに込められた気持ちは、気付いてくれなくていいのだから。これはただの自己満足だから。
それでも、渡そうか。どうしよう、渡して迷惑じゃないだろうか。それとも、明日から変わってしまうだろうか。
よそよそしくされてしまったら、ソラはもう心臓がなくなってしまうかもしれない。深く呼吸したところで、こればかりは取り返しがつかなかった。
意気地なし。気が弱いところを治したかったのに、結局自分はちっとも変わっていないんだ。
ハルキー! ほらチョコあげる! 今度は違うクラスの女子たちが顔を出して彼に包みを置いていく。ハルキはありがとうと笑って受け取っていた。
いいな。ああやって、渡したかったなあ。
放課後が近づくにつれてソラの肩は下がっていく。
「元気なくない? 体調悪いの? 大丈夫?」
こんなときだって、隣の彼は優しさをお裾分けしてくれた。それがますますソラを意気地なしにさせていく。
もし渡したら、こういう会話もなくなってしまうのか。
「……ほんのちょっと、お腹が痛いだけだから、大丈夫」
後悔と考えすぎで胃がキリキリした。体調不良ではないが腹痛は嘘でもなく、おそらくひどい顔をしているはずだ。
ハルキはいつもの陽気な笑みを引っ込めて、まだソラのことを見つめていた。
だからソラは、ありがとうと小さく笑って、それから鞄をぎゅっと抱えてバイバイと手を振る。ガタンと隣で椅子が揺れた音がしたけど、居た堪れなくて足早に教室をあとにした。
来年。来年は、もうちょっとしっかり用意しよう。こんな気持ちは一度でたくさん。
クラスは変わってしまうけれど、来年頑張れるように、変わらなくては。ソラは熱くなってぼやける視界にうなだれながら、鞄を持つ手に力を込めた。