4.猫舌
2Fの窓際の席で向い合せに座る俺と陽毬。
「つ、冷たかったわ……」
「そ、そら……」
じーっと俺の頼んだホットコーヒーを見つめてくる陽毬である。
彼女が注文したのはシェイク(苺味)だった。3月は寒暖差が激しい季節だけど、今日は一段と肌寒い。
さすがにシェイクはまだ早かったらしい。
「……」
「飲む?」
黙る彼女に冗談めいて聞いてみる。
「いいの?」
「うん」
ところがどっこい、彼女はホットコーヒーに手を伸ばしふーふーしながら躊躇せずコップに口をつけた。
それ、飲みかけなんだけど……いいのか?
「じゃあ、これあげる」
「いや、それはちょっと……」
陽毬がジェイクをズズイと前に押し出してくる。
「大丈夫。ストローを替えるから」
「いや、ストローはむしろ……いやそんなことじゃあなくて、冷たいじゃないか」
「ちょっと待ってて」
ホットコーヒーの入ったカップを机に戻し、彼女は階下に消えて行き――
カップと砂糖、フレッシュを手に持ち戻ってきた。
どうやら彼女は俺のためにコーヒーをわざわざ買ってきてくれたらしい。
「はい」
「いや、俺はそっちでいいよ」
自分の飲んでいたコーヒーを指さす。
対する彼女はかぶりを振り、俺に新しい方のコーヒーを差し出してくるのだった。
「私はこれでいいの」
「あ、いや……」
「出来立ては、熱すぎるじゃない」
陽毬は俺から目を逸らし、ボソリと呟く。
猫舌らしい。
「な、何よ」
黙っていたら、陽毬がじとーっと俺を恨めしそうな目で見上げてくる。
その仕草にドキリとしてしまった。
拗ねた顔が子供っぽくて、普段のクールな彼女とのギャップで……。
「あ、ごめんごめん。弄る気はなかったんだよ」
「どうだか。まあいいわ。さっそく作戦会議をはじめましょう」
「おう」
といっても特別に何か準備するわけじゃあない。
このまま会話をするだけなんだけどね。
「長十郎さんについてどう思う?」
「どう思うと言われてもふんわりし過ぎてどう返せばいいか」
「じゃあ、まず最初に。わざわざ言わなくてもだけど、念のため確認するわね」
「うん」
「長十郎さんって幽霊よね」
「間違いなく幽霊だと思う。そうじゃないかと思っていたけど、俺が『聞こえる』のは幽霊の声だとは……」
半ば確信していたさ。俺が聞こえるのは生きている動物じゃあないと思っていた。
姿形は見えないのに、声だけが聞こえるのだもの。
だから、昨日、長十郎と隼丸を見た時にもすぐに現実として受け入れることができた。
彼は元人間だから会話もできるし、自ら幽霊以外の何者でもないことを証言してくれたものなあ。
「そっか。陽翔は『聞こえる』んだったわ。だから、幽霊に今まで確信が持ててなかったのね」
「そそ。『見えた』から確信できたよ」
「ごめん、陽翔」
「謝るところあったっけ……」
首を捻ると、陽毬にまたしても恨みがましい目でじとーっとされてしまった。
「な、何故、その態度……」
「何でもないわ。話を戻すわよ」
「うん」
「長十郎さんは幽霊で、ずっとあの杉の木の下で長い時を過ごしてきたのよね」
「そこだよ。浅井さんの気持ちを確かめてからにしたいけど、悠久の時をあのまま過ごしたくはないんじゃないかと思うんだ。だから」
「成仏よね」
俺の言葉に陽毬が言葉を重ねる。
い、いいところを取られてしまった。ちょっとだけ悔しい。
「幽霊と話をするのは初めてだから推測でしかないけど、幽霊ってのは」
「この世に未練を残しちゃったから、天国へ行けない魂よね」
「そ、そう。それで」
「長十郎さんに未練のことを聞きたいわね」
す、全て先んじて言われてしまった。ちょっとくらいは俺に言わせてくれてもいいじゃないか。
こんな時はコーヒーでもやけ飲みするしかないな。うん。
「熱っ!」
余りの熱さに口に含んだコーヒーを吐きそうになった。
勢いよく行き過ぎたぜ。まさかこんなに熱いとは。
「あはは。子供っぽいところあるのね」
陽毬がすっとハンカチを机の上に置く。
あれ、口からコーヒーが出てたのか……。
確かめようと手で口元を拭おうとしたら、彼女が机に右手をついて体を伸ばす。
何だろ? と思っている間に、彼女は俺の口元へハンカチを。
「な、なな……」
「せっかくハンカチを出したんだから、使いなさいよ。手で拭おうとしたでしょ」
「ほ、ほっといてくれ」
な、何ちゅうことをするんだ。
今、指先が俺の頬に少し触れた気がするぞ。
「長十郎さんの未練って何なんだろ。気になるわ」
「そ、そうだな」
俺はさっきのハンカチの方が気になって仕方ないわ。
「未練を解消したら成仏して天に昇ることができるなら、協力したい」
「うん、私も!」
「ずっと、杉の木の下で縛られて時を過ごすなんて酷い話だと思うから」
「陽翔」
「ん?」
陽毬が右手を斜め前に掲げる。
手を出せと?
おずおずと彼女の真似をして手を前に出したら、彼女がぱーんと手を合わせてきた。
な、なるほど。ハイタッチしたかったのね。
「乗りかかった船だもの。私達に出来るなら何とかしたいわね」
「そうだな! やるか」
「ええ」
こうして、俺と陽毬は長十郎成仏大作戦を決行することを誓い合ったのだった。
◇◇◇
「本当にいいの?」
「うん。今一番やりたいことは、浅井さんと話すことだから」
「正直、私もそうよ」
「だろ?」
「ええ。そっちじゃないわ。右よ」
ファーストフード店を出た俺たちは、真っ直ぐに長十郎のいる神社に向かう事にしたんだ。
陽毬は俺に駅前だけでも案内するって言ってくれたんだけど、もう俺の頭の中は長十郎の未練のことで一杯でさ。
だから、彼女に頼んで真っ先に彼の元へ向かっていいかって聞いたんだよ。
彼女は彼女で俺と同じように長十郎のことが気になって仕方なかったようだし、意見が一致したってわけなのだ。
っつ。
う、腕を掴まないで……ちょっとだけ恥ずかしい。
「だから、右だって」
「ご、ごめん」
さりげなく数歩前に進んで彼女の手を自分の腕から離す。
「もう、子供ね。そんなに急がなくても長十郎さんは逃げないわよ?」
「分かってるって。だけど、な」
陽毬に向けにやりと笑みを浮かべ、歩く速度を上げる。
突き当りを左に曲がろうとしたところで、後ろから俺を追いかける彼女に「右よ」って言われてしまったことは秘密だぞ。
そうそうここだ。この道だよ。
曲がったところで、昨日見た道に来たことが分かった。
あれだあれ。あの細い道を入ると古びた石畳になっていて……。
「お先―」
「あ……」
「ぼーっとしてるからよ」
「ちいい」
追いかけようとしたら、足場が悪くつんのめってしまう。
「気をつけなさいよ。この道、古すぎるし整備されてないもの」
「おう」
腕を組み呆れた顔で首を傾ける陽毬であったが、何のかんので立ち止まり、俺に声をかえてくれた。
さすがにこの隙に追い抜こうとするのは憚られ、彼女へ先に進むように告げる。
流石俺、大人なところがあるじゃあないか。ははは。
「置いていくわよ」
容赦ない陽毬の一言が飛んできた。