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08 クズの極みおまえ

「ウィーッス、クズ野郎~」


 私がそう言って手を挙げてみれば、黒のピーコートを着た浩介はぐっと眉を寄せてかなり嫌そうな顔をした。


 午後7時、いつもの場所。

 よくこの川辺で柵にもたれながらタバコを吸ったよね。

 特に会話はなかったけど、町の光をただただ黙って見つめる浩介の横顔が好きだった。



「美咲」

「……どうも」

「どっか中入る? ……寒いだろうし」

「いい。タバコ吸いたいから」


 ああね。と返事をする浩介。九州出身でもないくせに。

 可愛らしい椿くんと、すっきりイケメン系浩介を足して2で割ればちょっとチャニーズ目指せんじゃないの?なんて頭の中で勝手にクソコラを初めていた時、浩介は小さな声で「美咲」と私の名前を呼んだ。



「……連絡、ちょっと無視ってて悪かった」

「あー。いいよいいよ」

「色々、考えとか整理してて。それで……」


 浩介が、少し視線を斜め下に落とした。

 この表情をする時は、いつだって私に何か申し訳なさを感じている時の顔。

 私のロリックマカップを皿洗い中に割った日も、こんな顔をしていた。



「浩介。いいよそんな顔しなくて。今日はただ、他人に戻る儀式だと思ってくれれば」


 こんな言葉がすらっと出たのは、椿くんのおかげなんだろうか。


 私の胸くらいまで高さがある柵に肘をつく。

 そして、ぼんやりと目の前の川に反射するネオンの光を見ていた。


 浩介は何も言わなかった。

 お口の寂しさを埋めるためにも、ポケットからタバコを出して一本加える。そしてライターにしゅと火を付ければぼんやりと灯る炎。

 浩介もつられたようで、私と同じ銘柄のタバコをすっと加える。ぱっとライターを手渡せば「サンキュ」なんていつものように浩介は呟いた。



 会話はない。

 と、いうよりも何を話せばいいのか分からなくなる。



 黙って、川の向こう側のビルの窓の光を見つめていた。

 浩介も同じ所を見ていたらしく「残業かな」なんてわりとどうでも良い事を呟いた。



「凄いなー、ほとんどの窓明るいじゃん」

「あの窓の向こう側で、まだ働いてる人がいるとはなー」

「私たちは、川で黄昏ながら別れ話してんのになー」

「……美咲」

「右から、残業、残業、残業、ひとつ飛んで残業、もひとつ飛んで……あそこでは上司と部下がひみつのオフィスセックスしてる」


 そう言えば、浩介は「ふはっ」なんて笑った。タバコの煙が変な所に入ったらしくちょっとむせていて、してやったりという気分。

 それにしても、こんなロマンチックな場所で別れ話をするなよ。なんて今さらか。



「美咲」

「なんだい」

「……悪かった」

「主語」

「浮気、して……悪かった」


 ぽつ、と浩介がそう呟いた。

 浮気をして悪かった。そんな事を言いつつも、彼の本当に言いたい事は何となく分かっていたので特に何の返事をする事もなく黙ってタバコの煙を吐いて居た。



「俺は、本当に美咲の事が好きだった」


 過去形。



「でも、今は……もっと好きな人がいる。……だから、美咲とは結婚できないし、……別れるつもりで今日来た」

「でしょうねぇ」


 浩介の方を見ずに、そう呟いた。

 柵の上に肘をついていた方の人差し指で、とんとんと自分の頬を叩く。



「浮気、いつぐらいから?」

「……半年ぐらい前」

「思ってたよりロングラン」


 半年ぐらい前って、何があったかな。なんて思い浮かべてみる。

 どうでもいい時事ネタは浮かんでくるのに、自分自身は半年前どんな事をしていたかという事は思いだせない。

 それにしても、私も私でよく半年間も気づかずにいたよな。美咲の鈍感っぷりには乾杯、という感じか。



「凄いね……ほんとに半年間気づかなかった」

「……美咲は、俺にあんまり興味なかっただろ」

「……」

「九年間付き合ってても、いつも俺ばっかり美咲の事を好きだった」


 は?なんて私は反論しそうになったけど、椿くんの言葉を思いだしてぐっと抑える。

 タバコの煙が肺を満たせば、ちょっと、ほんのちょっとだけ気持ちが落ち着いた気がした。



「他の人を好きになろうがなんでもいいけど。ちゃんと私と別れてからにしなよ。相手の子にも悪い」


 ま、私も私ですけどねぇ~。と言いかけたけど飲み込んでおいた。


 隣に立つ、浩介を見る。

 ほら、美咲はそうやって俺を突き放して。

 なんて表情を浩介が浮かべるもんだから、本当に一発殴ってやりたくなる。

 別れたい、って言ってるのはあんたでしょ。

 私以上に好きな子ができた、って言ってたのはあんたでしょ。


 あんたは一体私にどうなってほしいの。

 ここで、なんて言えばあんたは満足するの。

 ほんとに、あんたの表情一つで、いろいろ読み取ってしまうから九年間の月日が憎いよ。



「……もうこの話やめ。あんたは他に好きな子がいて、私も別にあんたを追いかけるつもりもない。これでおしまいっ!」

「……美咲。ほんと、」


 続きがあるような物言いをしたくせに、浩介はぐっと黙った。

 私はタバコを携帯灰皿の中にぶち込んで、浩介の顔を見た。



「九年間、楽しかったよ。……ありがとう」


 こんな言葉、言うつもりなんかさらさらなかったのに。

 椿くんが言えっていうから。なんて心の中で誰宛か分からない言い訳をしてみる。

 それでも、言葉っていうのは凄いもんで。

 自分の発した言葉が、鼓膜に返ってくると何だか本当にそんな気分になるのだ。



「いま思えばさ、九年って凄いよ。ほんとよく続いた。だからさぁ、まぁクズ浩介さんもそんな悲しい顔なさらずに。最後は楽しく九年間の思い出でも振り返って、笑顔でお別れって事で」


 新しくタバコを一本取り出して、口にくわえる。

 浩介と一緒の銘柄のタバコを吸うのは、今日でやめにしよう。

 それは、浩介を忘れたいからか。それとも椿くんが苦手だからか。



「一年目は……もうはるか昔過ぎてちょっと……」

「二年目は……あーえっと、なんだ? チャリンコ二人乗りして、あんたの下手くそな運転のせいでぶっ転んだのは覚えてる」


 ほら、ここにまだ生傷が!なんて言って膝の裏を指させば、硬い表情をしていた浩介が少しだけ笑った。

 一人では思いだせる範囲がさぁ。九年もあれば、わりと記憶も曖昧だし……なんて思ってちょっとタバコを吸っていた時、隣に立っていた浩介は口を開いた。



「……三年目、違う大学に入っても休み合わせて遊んだりして……楽しかった」

「あ、そういや浩介。あんた、私がサークル一緒だったやっちゃん覚えてる? 結婚したよ」

「え、マジで?」

「うん。昨日メール来てた」

「誰と結婚?」

「いや、私の知らない人」


 コレジャナイ。とお互い顔を見合わせる。

 こうやって、普通に話をしてしまうのは、九年間の名残か。



「四年目、成人? あとで成人式の写真捨てとこ……あーもうそっから先覚えてない!」

「急に投げやり……」

「あたりまえじゃん。覚えてないよ。わざわざ何年目にどんなイベントがあったかとか」


 そう言った後に、二十三歳には一回目のプロポーズをされたけど。なんて言葉が頭に浮かんだけど言わずにいた。

 社会に出てから学んだ事は、「言うか言わないか迷ったことは、大概言わない方がいい」なんてこと。



「九年目で、さよならだね。……ほんと、長かった」

「クソみたいな終わり方だったけど、楽しかったよ。……ありがとう」



 もっと、言いたい事いっぱいある。

 ふざけんなって。

 お前なんか地獄に落ちろバーカとか。

 色々言いたい事はあるのに、


 なんでこんなにも言葉が出てこないんだろう。



「美咲……俺、どうしよう」


 そう言った浩介の瞳からは、涙がこぼれだしていた。

 どうしよう、っていう言葉の意味が分からない。


 情けない、泣くなよ男が。なんて思いつつも、浩介の方を見れば私もちょっと泣いてしまいそうになるのでそのまま前をじっと見ていた。



「俺、今日はもう美咲と別れるつもりで」

「……うん」

「もうずっと前から、別れようと思ってて」


 浩介の嗚咽が酷くなる。

 少しだけ、風が吹いたので顔をよりマフラーの中に埋める。



「どうしよう、美咲」


 茶色の柵が、じんわりと私の熱を奪っていく。

 木の柄がペインティングされているだけであって、本物の木の柵ではないから当たり前なのだけど。


 髪が風に吹かれて揺れるのが嫌で、左手で少し抑えてみる。

 隣の男を、見る勇気がでない。




 浩介。

 むかし、一緒に見てたドラマの内容を覚えてる?

 私たちは二人とも連続ドラマとかが好きだったからさ、いろんなドラマを見たよね。

 来週はどうなるかな、なんて予想を二人してしたり。主人公カップルを引き裂く悪女に二人して「ありえねぇ!」なんてキレたり。


 あんたは、ヒーローが浮気する話だったり傷心のヒロインがチョロチョロする話が好きじゃなかった。

 「なんだこのクソドラマ」って言ってた。



 私たちは九年間も付き合って。

 お互いの事を本当に分かり合って、愛し合ってると思ってた。

 結婚する相手は、あんたしかいないと思ってた。


 なのにご覧の有様だよ。

 あんた、クソドラマの主人公なみにクソ人間になってんじゃん。



「美咲、俺……どうしよう……」


 横目でちらりと彼を見れば、びっくりするくらいぼろぼろと涙をこぼしていた。



 昔二人で見てた、あの月9クソヒーローを思いだしてよ。

 クソヒーローっていうのは、高飛車ウザ発言をしてヒロインの事を振って。

 イエス!浮気!魅力のないお前がダメなんだ!って責任転嫁くらい軽くキメてもらわないと。



「……また、そうやって泣いて……」

「美咲」


 言葉を遮ってほしくなかった。



「ほんとに、今日はこんなつもりじゃなかった」

「……」

「もう冷めてた。半年前から、美咲と別れることばっかり考えてた。……いつ切り出そうか迷ってて、浮気ばれても『あーやっちゃったー』くらいにしか思ってなかった」

「……」

「何回もイメトレしてた、のに……」


 左手で口元を隠すクズの極みお前。

 まるで可愛い女の子が泣くみたいな仕草はやめてよ。

 ぼろぼろ、と涙がこぼれた後にもう一度「どうしよう、美咲」なんて言葉を紡ぐクソマウス。



「泣くな、ばか……」


 そんな事を言いつつも。

 どうして私も、同じくらい涙をこぼしているんだろう?

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