03 つもりだった
私と、高原浩介が出会ったのは、高校の頃。
私も浩介もお互い部活をしていたため、そこそこな活発人間としてクラス内カーストに登録されていた。
ギャルやチャラ男ほど身分は高くないが、運動ができるので重宝されるタイプ。そして私も浩介も世渡り上手というかなんというか。
いい具合に、カーストの上の身分の方たちをヨイショしつつも、ちょっと大人しそうな子とも仲良くする事ができていた。
カースト制の高校時代、身分違いの恋などはめったに生まれず。
「似たようなポジション」「似たような性格」「似たような頭の良さ」な私と浩介は、自然と話す機会も増えた。
そして文化祭。恋が加速する時期である。
一緒に用意をしたり、ギャルとちょっとおとなしい子たちの橋渡し役をお互いが務めているうちにお互いを意識し始めたのだ。
「お前、多分俺の事好きだよ」
これが告白の言葉。
今思い返せばムカつきしか覚えない言葉。なのにあの時の私は「浩介君……か、カッコイイ~!」なんてきゅんきゅんしていたのだから笑える。
はじめてのキスは、今でも覚えている。
中夜祭のダンスパーティーなんかで盛り上がっている校庭を、教室の窓からふたりして電気もつけずぼんやり見ていた。
「中夜祭、盛り上がってんなー。大久保、良かったわけ? いかなくて」
「めんどくさいんだもん。……でも、家には帰りたいって気分でもない」
「あ、分かる。参加したくはないけど、見てたいって感じ」
「それな」
そう言って、二人して顔を見合わせて笑う。
価値観が合うだとか、そんなムツカシイ言葉がぱっと浮かんでくるような高校生ではない。
ただ、浩介君は私と考えが似ている。そう簡単な言葉でまとめていた。
クラスのギャルがオシャンティーに作り上げてくれたTシャツ。
今日が終われば、もうパジャマになることが決定しているちょっと虚しいTシャツ。
浩介が真面目な顔で私を見れば。校庭のどんちゃん騒ぎが、何も聞こえなくなる。
キスをする前って、ひとはこんな顔をするんだ。なんて初めて知ったあの文化祭の日。
キスをした後に「思ってたほど柔らかくなかった」なんて感想を言えば、浩介は顔を真っ赤にさせていた。
「そんなに続くなんて、凄いね」友達はみんなそう言った。
普通のカップルのつもりだった。
私と浩介の間の合言葉は「それな」ぴっと指さして言うのがポイント。
同じような考えで過ごしているつもりだった。
喧嘩をしても次の日には「もうどうでもいっか」なんて二人して笑ってる。
気があってるつもりだった。
嫌だと思った事は、ちゃんとお互いが言い合って、直すようにしていた。
対等な関係でいたつもりだった。
結婚しよう、って言葉が嬉しかった。
彼の苗字になるつもりだった。
……つもりだった。
*
「え、先生、その、結婚する予定だった相手の人に……」
スマホをすっとしまう私に、椿くんが目をうろちょろさせながらそう呟く。
ぼんやりと彼の飼い犬を見ていた私を見た椿くんは、気の使い方を完全に間違っているようで「あ、そ、その犬『チョコ』っていうんです!」なんていう紹介をはじめた。
ちょっと黙ってしまった私を見て、椿くんは「えっと、先生……」なんて私の顔を覗き込んでくる。
「今日、部屋に行ったら知らない女の子と浮気してた。それで部屋出てった後に来たメールがこれ」
「な、なんで浮気なんか……」
「……知らない。っていうか、椿くん『先生』っていうのやめよっか。なんか色々勘違いされてもいやだし……」
そう言えば、椿くんは少しもじ、とした後に「じゃあ美咲さんって呼んでもいいですか」と言う。
知ってたんだ私の名前。大久保っていう苗字しか知らないと思っていたのに。
「美咲さん? ……ああ、まぁなんでもいいけど……」
話が若干ずれてしまったな。なんて思ったけど、もうそのままでもいいか。
数年前に綺麗に整備された川辺。私は、川の向こうの道路を走る車のライトをぼんやりと見つめる。
「美咲、さん。その……何年くらい、その、付き合ってたんですか……」
「高校から……多分九年くらい」
「き、九年!? 凄いですね!」
「ほんとね……今まで、別れようって話になった事もないのに、なんで急に……」
ヤバい、話し始めればまた鼻の奥がツンとしはじめてきた。
ほんとに、九年間も付き合ってさぁ。何を今さら浮気なんかしてんのって話なわけ。
美咲、結婚の話はなかった事に。
そんな一文で、私と浩介の九年間は片付けられてしまうのだろうか。
本当に意味が分からない。
喧嘩なく円満に九年間過ごしたって訳じゃない。
でも喧嘩の後に私が部屋を飛び出したって、すぐに追いかけてくれた。たとえ半裸でも。
「そ、その……結婚とかってもうすぐの予定だったんですか?」
「もうすぐ? ……ああ、もうすぐだったのかな……23歳の時に初めて『結婚して』って言われて……」
わりと真面目な顔をして言っていた浩介に「就職したばっかりだから、もうちょっと安定してからにしよう」なんて私は断ってしまった。
でも、浩介は「ですよね~」なんて笑っていた。
もう少しお金を貯めて、もう少し生活を安定させてから。なんて言っていたのがダメだったんだろうか。
でも、でも浩介だってそう言ってたじゃんか。
二人で100円ショップに行って、結婚したらこんな食器を買おうよ。なんて言ったり、お料理便利グッツを見つけて「便利~」なんて二人で言って。
子供ができたらタバコをやめよう。なんて禁煙をちょっと先延ばしにしたりして。
私の部屋に積み重なってる、ゼクシイの山。
それを全部、古紙回収に出せっていうのか。
あ、もうちょっとギブ。なんて言って顔を両手で覆った。
顔を見ていないから分からないけど、声色からして椿くんは相当焦っているようで「え、その、あ、いろいろ聞いちゃってすみませんん!」なんて言いながら私の背中を摩擦で火でも起こしたいのかってレベルでさすりだした。
「……椿くん、ごめんタバコ吸ってもいい?」
気持ちを落ち着かせたいから。なんて言えば、椿くんは少しびっくりしたような顔をした。
あ、そうか。彼は、私がタバコを吸うという事を知らないんだ。
成人してから吸い始めたから、もう大学時代には実はタバコ沼に足を突っ込んでたんだけどバイトの前には吸わないようにしてたし、消臭剤もしっかり使ってた。
「先生、じゃなくって美咲さん。タバコ吸うんですね」
「……ごめん、一本だけにしとくから……タバコの煙、苦手?」
「いえ、大丈夫です!」
ぐちゃぐちゃの箱からタバコを取り出して、ライターで火をつける。
椿くんはそんな様子をもの珍しそうな表情をして、じっと見ている。
タバコを始めた理由は、別に大したものじゃない。
浩介は大学生特有の「タバコ吸える俺カッケェ」タイプであった。
そんな浩介に「喫煙所の外でちょっと待ってて」なんて言われて、待つのが寂しかったから。それだけ。
タバコの煙をゆっくり吐いている時に目があえば、必ず微笑みを返してくれる、浩介の事が好きだった。
闇に溶ける、白い煙を見つめながらゆっくり口を開く。
「椿くん……あのね」
「……え、なんでずっ、ごぇ、」
そう言ってむせ始めた椿くん。
私はすぐさまポケット灰皿を取り出して、タバコをその中に突っ込む。
そして、左手をぴんと伸ばしてぱたぱたとふる。さっきまで吐いて居た煙をこうやっていれば浄化できないか、なんて安易すぎる考えか……。
「ごめん! タバコの煙苦手だった?」
ごほごほ。とむせながらもぶんぶんと首を横に振る椿くん。
いや、絶対に苦手だよね。なんて言いたかったが彼は頑なに、自分はタバコの煙が苦手じゃない。と主張するので、今度は黙って私が彼の背をさすっていた。
「ごめん、もう吸わない……」
「いや、全然大丈夫ですよ。ちょっとむせちゃっただけで。それより先生、タバコ吸うんですね。意外」
「……先生じゃない」
私がそう言えば、椿くんはその可愛らしい顔を少しだけ緩ませた後に「訂正。美咲さん」と言う。
そんな時、チョコがそろそろお家に帰りたくなったのか。それとも散歩の休憩が長すぎると訴えているのか。どちらかは分からなかったけど椿くんに向かって「わん」と一度吠えた。
「あ、ごめん! チョコ! そろそろまた歩こうな」
「椿くん、ほんとごめん引き留めちゃって……しかも、なんかヘビィな話聞かせちゃって」
チョコの前にしゃがんで、頭を撫ではじめる椿くん。
椿くんは、ベンチに座っている私に背を向けたまま「家まで送っていきます」と言った。
「え、いや……いいよ。悪いし」
「いいんですって。一人で泣いて歩いて帰ったら不審者ですよ?」
振り返る椿くんは、笑っていた。
確かにな、なんて納得してしまうバカな私よ。
椿くんは、よっこいせ。と言って立ち上がると、私を見て目を少し細める。
「実はタバコ吸ってたり、九年間ずっと恋人がいたり。今日は今まで知らなった先生の秘密、いっぱい知っちゃいました」
「……一番の秘密は、その恋人に振られたばっかりって所だけどね。……まだ、友達とかにも言ってないし……」
「俺が知ってた先生は、先生の一部だったんですね」
そう言って、恥ずかしそうに笑う椿くん。
どういう意味だ。なんて思ったが、まずは突っ込みなんていう脳内回路が出来上がっているせいで「先生じゃなくって」と言ってしまう。
「一緒に帰りましょう。美咲さん」
そんな呼び方に、今さら少しくすぐったさを感じる。
うん、なんて返事をしようとすれば、それより先にチョコが「わん」と答えた。