13 教祖様
抱き合った後、何故かもう一回ブランコ漕ぎましょうか。なんて言った椿くん。
なんで?と思いながら数分無言でブランコを漕ぐ。
数分間も無言でブランコを漕いでいれば、流石に冷静になる。
なんであんな事、椿くんの前で言ってしまったんだろう。
椿くん、引いてるんじゃないの。なんて勝手に心の中で反省会を行おうとしていた時。
ぎい、ぎいとブランコを隣でこいでいた椿くんが夜空を見上げながら、ようやく口を開いた。
「美咲さーん、あのね」
「……うん」
「俺は美咲さんに『一秒でも早く別れてほしい』とか直接言っちゃうような人間だし」
「……うん」
「美咲さんより年下で、大学生で。美咲さんに説教なんかできる立場じゃないけど」
「……うん」
「まぁ。気が向いたら俺の説教くさい独り言に、耳でも傾けててください」
そう言って、椿くんは私を見て微笑んだ。
そして、ゆっくり口を開く。
「俺ね。小学校の時、凄いいじめられてたんです」
え、と呟く私に、椿くんが「いきなりこんな話してすみません」なんてちょっと微笑む。
私は何故か「そんなクズ一発ブン殴った方がスッキリすると思ったからですよ」なんて笑いながら言っていた椿くんや「それ、演技なんじゃないですか?美咲さんの事、キープしておきたいから」なんて笑いながら言っていた、いつもと違うちょっと優しくない椿くんの姿が頭に浮かんだ。
言葉を失ってしまう私と違って、椿くんはまた口を開く。
唐突な自分語りを笑ったりはしない。
たぶん、彼がこの話をはじめたのにはきっと意味があるだろうから。
「なんでだと思いますか?」
「……顔がお綺麗だから?」
椿くんは、私のそんな返答に「はは」と笑った後にまたぎいとブランコを漕ぎ始めた。
「理由ね。『苗字が変わってるから』それからだったんです」
「……そんな」
「つばき、なんて苗字珍しいもん。つば菌とか言われて。最初は笑ってたんだけど」
「……」
「どんどんさぁ、顔が女っぽいとか。オカマとか。そんな事まで言われ始めて」
「……」
「だから今でも『可愛い』っていわれたって、嬉しくないんですけど」
そういえば椿くんは、私が「可愛いね」って言うたびに。いつも「可愛いって言われたって嬉しくない」なんて言っていた。
『僕』なんていう一人称使ったことないです。なんてすごくどうてもいい所に反論してきた。
椿くんは、私の顔を少しだけ見ると「今度家に来た時、写真みますか? ほんとに可愛い顔してるんで」なんて笑いながら言った。
そして、またぎいとブランコを漕ぎながら口を開く。
「男より、女の子の方からのいじめの方がひどかったよ。男は別に男だけの遊びとかなら普通に混ぜてくれたし」
「……」
「みんなで、ポケモンやったり、スマブラやってる時。その時だけが楽しかったなぁ」
「……」
「でも女の子はさぁ。もう無視、無視、あいつとしゃべっちゃだめ。とか。俺の漢字ノートに触れば、菌がうつるとかさぁ……」
ぎい、ぎいとブランコを漕ぐ音。
小学校時代の彼を思って、もう泣きそうになる。
「俺、どうしても親だけには知られたくなかったのに。担任が電話しちゃって……」
「椿くん、いいよ、話さなくって……」
「これがね。俺の性格の問題なら良かったんですけど」
「……」
「苗字と容姿だったから、両親すごい責任感じちゃったみたいで……」
「椿くん、いいよ……」
「苗字も容姿も、親から貰った大切なものなのに、」
椿くんはしばらく、黙っていた。
涙はこぼしていなかった。さっきはあんなに泣いていたのに。
ただ淡々と語る椿くん。彼は一体私に何を伝えたいんだろう。
「最悪な小学校時代だった」
「頑張って生きてたけど、親への申し訳なさだけで生きてた感じ」
椿くんは、眉を下げて笑った。
そういえば、椿くんは中高一貫の男子校に通っていた。なんて事を今さら思いだす。
「ま、中高はその分すっごい楽しかったんですけどね。ほんと男子校行ってよかった」
「……」
「中学で、はじめて男友達4人で泊まって一晩中ゲームした日。俺、トイレで隠れて泣いちゃいましたもん」
「……」
「ちなみに親も号泣してた」
「……」
「高校時代もほんとに、楽しかった」
「……」
「受験期は先生に恋して。あ、俺別に女の子の事嫌いなわけじゃないですからね。あの時の奴らが嫌いなだけで」
「……うん」
「俺ね。今でもいじめてきた奴の名前とか、全部覚えてるんです」
苗字名前、苗字名前、苗字名前、苗字名前……。
椿くんは個人情報をたらたら垂れ流しながら、またぎいとブランコを漕ぎ始める。
「それでねぇ、また人生って残酷っていうかいうか。そのうちの一人とさぁ。無理やり連れてかれた合コンで出会っちゃうわけですよ」
「……椿くん、もういいよ、話さなくていい」
「俺、心臓どくどく。頭真っ白で、ゲロ吐きそうになってる時に言われたのがさぁ」
「『え、椿くんひさびさぁ♡ すっごいカッコよくなっててビックリしちゃった!』だよ」
はははは、と笑う椿くん。
「で。なんか、小学校一緒だったとかそのメンバーに自慢しだして」
「……」
「俺、ずっとずっと、そいつのせいで小学校時代苦しかったのにね。ほんと」
「……」
「帰って……情けないですけど死ぬほど泣きましたよ。俺はずっとずっと、あんな奴は絶対いつか苦労するし、絶対いつか痛い目にあう。って信じてたのに。ぜーんぜんそんな事なくて、大した不幸知らずゆるふわ女子大生になってましたから」
椿くんは、立ち上がった。
そして、私の方を見てちょっと微笑む。
泣いているのは、私の方だった。
そして「なんで美咲さんが泣いてるんですか」なんて苦笑しながら、ブランコに座る私の前に彼はしゃがむ。
「美咲さん」
「……」
「傷つけた方っていうのは、ほんとに驚くくらい自覚してないから」
「……うん」
「俺みたいにウジウジ引っ張ってないで、すぱっと忘れるのが一番」
椿くんは、少し眉を下げて笑う。
「俺はね、今でも。あの時いじめてきた奴らがどっかで幸せになってるかもしれない。って思うとほんとに暴れたくなる。不幸になってればいいのにって思う」
「……つばぎぐん」
そんな可愛い顔してるのに?
そう言えば、椿くんはほんとに暴れたくなるんですって。なんてまた笑う。
「でもなにより。二十歳を超えた今でもずっとずっとこの感情を、抱いてることが苦しい」
「……」
「俺が、不幸になれって祈ったって。あっちは勝手に幸せになってるのにね」
「……」
「『根っからの悪人はいない』って言うでしょ」
「……うん」
「ほんとにそれですよ。知らない間にコロっと良い人間になって。勝手に幸せになってくんです」
ただただバカみたいに泣いている私に対して、椿くんは「美咲さん、ちょっとそんなに泣かないでくださいよ! 俺の『絶対泣かせない』とかいう約束、もうギャグみたいになってるじゃないですか!!」なんてちょっと怒ってる。
そして、もー。なんて言って私の涙をぬぐう椿くん。
その笑顔にただ胸が痛む。
「美咲さんの場合は、俺とちょっと違いますけど……」
「……うん」
「俺、『今までありがとう。楽しかった、大好きだった』って伝えればいいって言ってたじゃないですか」
「……うん」
「なんか、そう言えば本当に『こんな終わり方だったけど、あ~九年間よかったかもな~』って思いませんでした?」
「お゛も゛っ゛た゛ぁ゛」
次世代にゃーんちゅう中の人募集って、今やってない?
私、ほんとにそれにエントリーしたいレベルで濁点まみれの言葉を発してる。
突然、鼻水交じりに涙をぼろぼろこぼす私に、椿くんは笑う。
そして「先生は思いすぎて、キスまでいっちゃいましたけどね!」なんてちょっとわざとらしくすねた様子を見せた後に、また笑う。
「浮気されて、最悪な別れ方だったって美咲さんは思ってますよね」
「……うん」
「……でも俺的には、あんな裏切りものと付き合った最悪な九年間だった。なんて思わずに」
「……」
「最後の半年間くらいはウンコだったけど、八年半は本当に良い経験だったって思ってほしい」
「づばぎぐん」
大丈夫私?
凄い泣いてるけど。
なんか、もう椿教祖様に布教して頂いて居る気分。
「今は、美咲さんが言ってたみたいに。惨めで恥ずかしいって思うかもしれないけど」
「……」
「絶対、絶対に時間が解決してくれる」
「……」
「相手の幸せを祈る必要なんかないですけど」
「……うん」
「美咲さん。お願いだから俺みたいに、ずっとずっと、相手の不幸ばっかり願って苦しまないで」
はは、泣き過ぎですよ。なんて椿くんは私のだらだら流れ出す涙をぐっとぬぐう。
ひとを恨み続ける人生に、何の意味があるんだろう。
自分が恨んだ所で、何も変わらない他人の人生なのに。
でも、ひとを恨まないと、憎まないと、心がもたない事だってある。椿くんみたいに。
「九年間、美咲さんはずっと彼氏さんの事好きだったんですよね」
「……うん」
「じゃあ、恨むのは裏切られた半年間だけにしときましょう」
「……」
「まぁ、そうは言っても」
「……うん」
「その半年の間、彼氏さんの事恨めしく思う暇なんかないくらいに」
「……うん」
「俺が、あなたの事を愛しますのでご安心を」
そう言って笑う椿くんの笑顔。
椿くんの言葉を聞いて思った。だから、地球上には宗教があるんだって。
恨むしかなくって、憎むしかなくって。でもどうしようもなくって。
だからきっと「悪い事したやつは神様がどうにかしてくれる」だとか「人のおこないを神様は全部見てる」だとか言ってうやむやあやふや神様を人は信じるんだ、って。
でもあいにくわたしは、日本生まれのほぼ無宗教人間。
いまさらアーメンハレルヤ南無阿弥陀仏なんて祈ったって、神様に失笑される予感しかしない。
だから、私は椿くんを信じよう。
教祖様……。なんて呟いて居る私を見て、椿くんは「え、教祖様って何ですか?」なんて苦笑。
「……美咲さん、俺と付き合ってください」
真面目な顔をした椿くんがそう言う。
私が首を横に振れば、え。マジですか?なんて呟く彼。
「まだだめ」
「……じゃあ、いつなら」
「別れた日と記念日を一緒にしたくない」
だから、私の家にきて。
そう言った。
椿くんは、全然言ってる意味が分からない。なんて表情を浮かべる。
「私の家に来て、十二時ちょっきりベッドの中で、もう一回そう言って」
そう言えば、椿くんは顔を真っ赤にさせて私をじっと見つめた。
この表情、見覚えがある。
高校二年、中夜祭にはしゃぐ皆をぼんやりと見ていた時。
もう名前を出しちゃいけないあの人もこんな表情をしていた。
キスをする前の表情。
今回は、椿悠馬という男性が私の目の前にいる。
一回、唇が重なった。
もしインプットAV・アウトプットうっとうしいディープキスもどきなら「ちょっと落ち着こう」なんて言って唇を離してた。
でも違って。
片手は私の輪郭に添えられていて。もう片方の手は、私の後ろ髪を撫でていて。
何度も、角度を変えて甘いキスが落とされる。
私の息があがるタイミング、なんで分かるのかな。
もうだめだ、って時に唇がほんの少しだけ離されて。酸素供給がまたはじまって。
私の目をじっと見つめた彼が「好きです」って呟く。
「椿くん、……キス、上手だね」
そんなバカの極みみたいな事を言えば。椿くんは「ここから先は下手くそですよ」なんて笑った。