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例えば、僕らが  作者:
7/13

7.僕らの決別:前篇

 あれから、ひと月ほどが経った。

 七月に入ると、ずいぶん前から大々的に宣伝されていた那智主演の新ドラマが始まり、ますます彼の姿をテレビで見ない日はなくなった。

 熱愛報道の方はそれ以降の進展を見せなかったためか、今やほとんど囁かれなくなってきている。うちの事務所にも問い合わせの電話が山ほど掛かってきたけれど、『本人から何も聞いていませんので、真偽の程に関しまして、私どもではお答えいたしかねます』などと言ってごまかしておいた。

 そして――……。

 多忙を極める業務を終了させ、帰宅しようと駐車場まで歩いている途中で、僕はいつもスマートフォンをチェックする。そして、そのたびに溜息を吐く。もはやそれが日課といっても過言ではないほどになってしまっていた。

 画面には数件のメールやら電話の着信マーク。差出人は、言うまでもなく那智だ。

 あれ以来那智は、さすがに忙しいのかこちらへ会いに来ることまではなかったけれど、その代わり毎日何かしら連絡を寄越してくるようになった。それは電話だったりメールだったり様々で、必ず最低でも一日に一回は何かしらのコンタクトがある。

 しかし僕は、それをすべて無視していた。彼に対する感情の正体に気付いてしまってからは、ずっとそう。

 要するに、怖かったのだ。

 これ以上彼と接触してしまえば、もう後戻りできなくなってしまいそうで。彼への想いを、止めることができなくなってしまいそうで。感情をセーブしきれぬまま、彼を不用意に傷つけてしまいそうで。

 知りたくて知りたくない彼の本心を、いずれ目の当たりにしてしまうような気がして。

 あの時テレビの画面越しに見た、女優の神崎苑華と仲睦まじそうに寄り添いあう後姿を思い出すたびに、じくじくと胸が痛む。今の状態のまま彼に会ったら、余計なことを言ってしまいそうだ。

「はぁ……」

 誰もいない喫煙室――前にも言ったように、僕は別に煙草を吸うわけではない――で一人溜息を吐いていると、ガチャリ、と喫煙室のドアが開く音がした。煙草を吸いに来た人がいるのだろうかと、何気なくそちらを見る。

「はぁー……」

 僕以上に深い溜息と共に入ってきたのは、石動だった。どうやら、昨日から夜通し仕事が入っていた陽菜子のマネジメント業務をようやく終わらせてきたらしい。いつもおっとりとした雰囲気を纏っているはずの彼女は、今日は妙に重苦しいオーラを全身から漂わせていた。

「お前、煙草吸うっけ?」

 きっちりとした紺色のスーツの胸ポケットを探る石動に、何気なくといった風に尋ねる。石動も僕や沢城と同僚なので、ほとんど話す機会はないにせよそれなりに親しいのだ。

 彼女は曖昧に笑みを浮かべながら、「まーね」と答えた。その手の中には、巷でもよく見る銘柄の小さな箱がある。

「いつも吸うわけじゃないんだけど、たまに……気分転換したいときとかに、ね。意外かな?」

 もちろんだ。

 大仰に目をぱちくりとさせながらうなずけば、石動は再び曖昧に笑んでみせた。箱から一本取り出した煙草を口に咥え、ジッポーで火をつける。

 ふぅ、と煙を吐き出した石動の寂しげな横顔に、何かあったのだろうかと心配になる。もう一度尋ねてみようとしたところで、石動が口を開いた。

「あのさー、市橋くん」

「何?」

 スマートフォンにロックを掛け、ポケットにしまいながら返事をする。

 石動はいつになくおどおどとした様子だった。首を傾げながらも言葉の続きを促せば、「あのね」と遠慮がちにもう一度言う。

 そうして小さな声で、ポツリと呟いた。

「市橋くんは、なっちゃん……小清水那智のマネジメントから外れることになった時、どんな気持ちだった? どういう風に、本人に切り出した? どうやって……彼を、手放した?」

 唐突な問い、そして彼女の口から久しぶりに出たあいつの愛称に、思わず動揺してしまう。

 彼女が言っているのは、言うまでもなく三年前のことだろう。

 あの時僕が、どう思ったか。どういう風に、話を切り出したか。

 ましてやその後、僕がどうやってあいつを手放したか、なんて――……。

 答えあぐねていると、石動は吸い込んだ煙を吐き出した後、寂しげにクスリ、と小さく笑った。

「ごめん。変なこと、聞いちゃったね」

「いや」

 構わない、と首を振れば、うわごとのような「ごめんね」がもう一度、妙に弱々しい調子で返ってきた。

 しばしの沈黙が下りた。紫煙が一本の筋となって部屋を巡り、やがて開けていた窓から少しずつ逃げ出していく。

 ふと視線を彼女の手元――煙草を挟んでいない方の手に落とす。僕の目の動きに気付いたらしい石動は、不意にふにゃりと表情を崩した。

「このジッポー、陽菜子がくれたんだー。オーダーメイドなんだって。ずっとねー、宝物なの」

 石動の少しふっくらとした女らしい手の中には、上下に小さな花があしらわれた、ゴールドピンクのジッポー。それは決して派手ではないにせよ、おしゃれでシックなデザインで……なるほど、普段の彼女の雰囲気によく似合っていた。

「三年くらい前だったかなー。陽菜子が成人した時に、自分のお給料でプレゼントしてくれたの。日頃の感謝の気持ちだって……」

 もう大人だし、自分で稼げるようにもなったから、葉月さんにこういうのを買ってあげられるんだよぉ、なんて言ってさ。

 嬉しかったなー、と独り言のように呟く石動の目は、どこか遠い。

 今日の彼女の態度、そして先ほどの問いかけで、僕はすでに彼女が何を言いたいのかを察していた。できるだけ刺激しないように心掛けながら、静かなトーンで問い返す。

「社長に、呼び出されたのか?」

 こくり、と石動が声もなくうなずく。先ほどまで吸っていたはずの煙草は、まだ十分な長さを残したまま、既に灰皿へと押し込められていた。どうやら、もうそんな気分ではなくなってしまったらしい。

 僕をじっと見つめる、小動物のようにくるくるとした双眼から、やがてポロポロと大粒の涙が零れ出た。

「い、石動!?」

 普段から何があっても能天気にニコニコしている、そんな石動が初めて見せた涙に、僕は驚きながらも慌ててハンカチを差し出す。石動は素直に受け取り、まずは涙に濡れた丸眼鏡を取って、軽く拭いた。それから、垂れがちの目から次々と溢れ出す滴を拭う。

「ごめんなさい……」

 丸眼鏡を掛け直した石動は、えへへ、といつも通りに笑おうとしたが、その子供っぽい顔は不自然に歪んでいた。それがやけに痛々しくて――三年前に見た那智の姿と重なってしまって、見ていられなくなった僕は反射的に目を逸らした。

「……いずれ来る別れだって、頭では分かってた。新人の担当するのは、初めてじゃなかったしね」

「うん」

「陽菜子の前に担当していた子は、確固たる信頼関係を築き上げる前にブレイクしちゃったから、手放すことはそれほど苦じゃなかった。向こうも、それほどわたしを信頼していたわけじゃなかったみたいだし……」

「うん」

「市橋くんも知っての通り、わたしが陽菜子の担当をするようになったのは、もう八年も前のこと。当時中学を卒業したばかりだった陽菜子と、わたしはずっと一緒だった。そりゃあさ、何かしらの情が湧いてくるのも当然だよね、お互いに」

「二人は、傍から見ても仲良かったしな」

 元気づけるように精一杯笑んでみせれば、石動は「うん」とうなずきながら小さく微笑みを返してくれた。すぐに目を伏せて悩ましげに溜息を吐いたから、それが空元気からきたものであることはすぐに分かったけれど。

「でもね。別れの時を知ってるからこそ……そういう信頼関係が、続いていくのが辛かった。陽菜子の知名度が上がっていくたびに、そろそろなのかなって、何度覚悟を決めたか分からない。でもやっぱり、いざその時が来ると……なんて言うかさー、やりきれないよね」

 事務所の意向なんて、所属俳優は――陽菜子は、知らないんだし。その上で何事もないかのように振る舞うのって、すごく難しいよね。

 誰に聞かせるわけでもなさそうな石動の独白を、僕は曖昧に相槌を打ちながら聞いた。心がどんどん、あの頃に戻っていくような気がする。石動の気持ちは、痛いほど分かった。

 けれど僕と石動とでは、一つだけ違うことがあった。

 石動はいつか来る陽菜子との別れの時を知り、それなりに覚悟していた。その瞬間に日々怯えながら、彼女との時間を過ごしてきた。

 けれど僕は、知らなかったんだ。専属マネージャーを務めるのが、初めてだったから。

 所属俳優である陽菜子や、那智と同じように。いつか来る別れの時について、実際にその時が来るまで、少しも知らされてなどいなかった。

 最初から別れを前提として時を過ごしてきた石動と、いつか来る別れのことなんて少しも知らぬまま過ごしてきた僕や陽菜子、そして那智。

 いったい、どちらの立場がより辛いのだろう……。

「石動、僕はさ」

 重々しく口を開いた僕を、ん? と首を傾げながら石動が見る。表情は変わらず悲しみに歪んでいたけれど、その瞳が幼子を見守る母親のような優しさを秘めているような気がして、僕はなんだか少しだけホッとしていた。

「社長から、那智の担当替えをするって聞かされた時……正直、混乱したんだ。僕も俳優たちと同じように、何も聞かされてなかったから。まぁ、入社したばっかりで担当も初めてだったから、その辺に関しては仕方ない部分ってのもあったんだけど」

「うん」

「実はさ……担当替えをあいつに知らせるとき、ちょっとしたいざこざがあって。まぁ、簡単に言えば、上手くいかなかったんだ。それ以来、僕とあいつはちょっと気まずい関係で」

「……」

 自分たちもそうなってしまうのではないかと、恐れているのだろう。石動の顔が、辛そうに歪んだ。

「長年一緒にいたのは、僕らも同じ。けどだからと言って、同じ末路をたどるんじゃないかなんて、変に不安になることはないと思う。だって陽菜子はさ、青春時代を女優活動に捧げてきた。有名な女優になることを、ずっと夢見てきた。それは、お前も間近で見てきたんだからよく分かるだろ」

 こくり、と石動は重々しくうなずく。そんな彼女を励ますように、僕はもう一度笑みを作り、穏やかに続けた。

「普段はおっとりしてるけど、ホントは賢い子だし……話せば、きっと分かってくれるよ」

「……そう、かな」

「そうだよ。だから、頑張れ」

 ふわふわとした頭をそっと撫でてやれば、ぎこちないながらも安心したような笑みが返ってきた。どうやら、上手く元気づけることができたらしい。

「ありがとー、市橋くん」

 にこっと屈託のない笑みを浮かべた石動に、まっすぐな感謝の言葉をぶつけられ、僕はほんの少し照れてしまった。石動の頭から手を離し、熱くなる頬を見られないように、さりげなくそっぽを向く。

 その時、突然ガチャリ、と喫煙室のドアが開く音がした。石動と二人、目を見張りながらそちらを見る。そして僕らは、さらに大きく目を見開いた。

「陽菜子、」

「那、智……?」

 石動と僕の呟きが、シンと張りつめた喫煙室内に響く。

 僕らの視線の先に立っていたのは、口元を両手で押さえながらはらはらと涙を零す陽菜子と……やけに険しい表情をした、那智だった。

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